2009年9月29日  明けるまでは雨。明けて曇、そして晴。


退院してきた。2週間仙台厚生病院循環器外科に入院し、心臓にステントを2カ所入れてもらってきた。再びのギリギリセーフ、幸運まだ残ってたんだね。

前のブログからブランクだった2週間、そういうわけで厚生病院の10階循環器病棟で静かに寝ていた。大体うまくいったけれど、後1ヶ月くらいは無理をしないようにと、僕の執刀医(ものすごく若くみえる)A野先生に言われている。しばらく静かにしていよう。


前のブログを書いた次の日、15日。朝一番で行こうと思っていたのが色々あって、9時過ぎにかかりつけの仙台東脳神経外科に着く。こういう時に限って渋滞の時間にばっちりぶつかったり、故障車が1車線塞いでいたり、何かあるものなのだ。診察券を出した時は既に10時近くで、今日はもう焦らないで、じっくり検査三昧だなと、のんきに構えていた。だが病院の人たちはそうは構えていなかったようで、券を出したら待ってる人たちをほとんどとばしてすぐ診察室に通され、院長のS木先生とお話。この前の専門検査でちょっと嫌な兆候があるので、このまますぐ専門の病院に行って精密な検査をしてもらってください、と言われる。仙台東の場合心臓系はオープン病院に頼むんだけどそこでいいかな?ときかれる。前にも書いたように、あそこの病院は僕にはあんまりいい印象がなかったので、ううむと唸っていると、ああそうか、厚生病院の方が職場に近いから、あっちの方が良いかなとS木先生が話を持っていってくれた。決まるとすぐ電話で確認をし紹介状を書いてくれた。僕は、特に何も言わずただ唸っていただけなのだが、そういうことになった。心臓なら厚生病院でしょうという話は、世間にあまり関心を払わない僕でも聞いていたので、ちょっと安心した。娘や手伝いをお願いしなければいけなくなりそうな友人たちの家にも近いし。

すぐに移動。仙台東のある利府街道をそのまま西進し、一本道だ。とはいえ、病院が調べてくれた所によると、厚生病院の外来受付は月曜火曜の午前11時までだというではないか。僕が利府街道に出たとき時計は既に10時を回っていた。こういう時に慌てて事故るんだよなと言い聞かせつつ、でもまあ急いでいく。もちろんこういう時も幸町のヨーカドーの前は渋滞していた。仙山線の踏切も混んでいた。しかしなぜか、この時は僕が(本当に)何気なく車線を替えるとその車線は突然ヒュッと空く(ような気がした)のだ。思ったより早く、北四の交差点(もちろん混んでいた)を過ぎ、大学病院(ここももちろん大混雑)を過ぎてしまった。おうこれは快調、うまくいけば見てもらえるかなと思った。そうしたら、大学病院前七十七銀行あたりから左車線渋滞。信号などとは関係なく一台ずつノロノロ進む。前の方を伺ってみると、なんとここまで来て厚生病院への入り口が渋滞。火曜日は混んでいて駐車場が満車なのだ。時間は10時半を過ぎている。やっぱり今日は下見だなと、心を切り替える。ジワジワ進み、病院の敷地へと左折する。一台出てきて一台入る。時計が10時45分を過ぎたあたり、僕は今日はすっかり諦めながら、でも入庫まで後2台目に進んでいた。すると本館から少し年取った守衛さんが一人、苦笑いしながら慌てたように駐車場入り口ゲートに駆けて来た。待っている車に謝りながらゲートの機械のふたを開けて何やら操作をしている。ゲートが、出入りに関係なく開いた。僕は一番上の階まで(この駐車場は3階建て)行くように指示された。坂をグルグル回って上まで出てみると、別ルートで来ていた守衛さんが、駐車の枠と関係なく、空いていて邪魔にならない場所に、車を順に詰めていた。指示されて壁際に寄せて止める。僕の一台後で、本当の満車。10時50分。ここで慌てて怪我してもしょうがないので三階から下りる階段の所に普通に歩いていく。僕は普通なら3階は階段を使う。エレベーターのことなんて全く考えになかったのに、僕が階段の降り口に着いたと同時に、その隣に並んであったエレベーターがドンピシャでしたから上がって来て扉がスイッと開いたのだ。一瞬立ち止まりましたね、僕は。扉は開いたまま。乗ったらすぐ扉は閉まり降下。エントランスに入って、外来初診受付窓口を見つけ(大変わかりやすい作りになっていた)「まだ大丈夫ですか?」「もちろん大丈夫ですよ。」と、仙台東からの書類を受付のお姉さんに出した時は、既に10時55分を過ぎていた。慌てたり走ったりは一切していなかったのに〆切り1分前ゴール。

指示されるままに、2階の循環器内科外来に行く。ここからの顛末はまた日を改めようと思うが、検査の結果心筋梗塞だということがわかり、検査の延長で心臓の血管2カ所にステントを埋める手術をおこない、1週間寝て再度カテーテル検査。その結果良好につき、一応今日2週間目退院ということになってこれを書いている。ずうっと真面目に寝ていたので便秘になった。

とはいえ、僕は、なんだかもう少し生きていなければいけないような気がしてきてはいる。