おう何と言うことだ、もう12月になってしまっている。11月の後半は毎日様々考えることがあって、考え込んでいるうちに日は過ぎた。
極小さい人たちとの活動を何回かした。彼らは、僕が小さかった頃と何も変わらない人間の幼体だった。彼等を取り巻く大人の変わり様がひどかった。ううむ、何がどう失敗だったのだろう?亘理山元空間博物館にも、何回か行った。いつでも大変快適なお散歩だった。普段は絶対思わないのに、もっと宣伝したいと強く思った。そうでもしないとあそこはなくなってしまうのではないかと心配だ。この機構は無くなっても、僕はもう知っているわけで何の問題もないようなもんだが、博物館として残るということで見える大切なものがなくなるのはやばい。美術館で、二人の作家のワークショップと公開制作があった。ううむ、こっちの方向ね、と思った。公務員は、毎年絶対胃検診を受けなければいけないということで、本当は夏前に飲むはずだったのに、入院に次ぐ入院でコンランし、今年は飲まなくてもいいんじゃないかと思っていたたバリウムを飲む検査を11月最終日に、なんと自宅から自転車で行ける名取高校で、先生達と一緒に受けさせられた。そうこうしているうちに12月の都図研の造形教育研究大会が近づいてきて、4日には板橋区成増小に行くことになっている。
箇条書きにするとこれらのことが起こり、その各々で僕はなにがしか考え込んだ。その上これらの公的な出来事の間に、幾人かの人が美術や教育を巡る興味深い相談をしにやってきた。これらも、今の僕の意見をまとめるのにいい機会だった。
東海地区のある大学院の学生が来た。美術館などの社会教育における美術教育のあり方の研究をしているということだった。文章を使った統計的な研究をしていて、ある程度の成果が見えてきたのだが、数字から推して行くと、宮城県美術館は何もしていないことになってしまうのだそうだ。でも、様々な所で宮城県美はよくやっているという話のようだ。しかし講座も、ワークショップも、講演会も、何もかも数字的には何も出てこないのだ。出てこない所は何もしていないことになる。でもおかしいので、見に来た、と言う。
ううむ、統計録る側の枠組みから離れられずに世界を見たら、まるで数世紀昔の西洋から見た世界文化史みたいになるのは当たり前じゃないか。ローマ以外に、文化はないのだ。エジプトの国外はすべて混沌なのだ。私が一番モノがわかっていて偉いのだ。
教育とは何をどうすることだったのか?社会って、何をどうしたものなのか?あなたの場合、彼らの場合。そのすべてに答えるためではなく、それらを見渡せる地点からの俯瞰図の意識。それが目的なのではなく、たいてい目的だと思われているものや事は手段であることの方が多い。それは手段だと、さしあたって開き直ってみて見ると、新たに見えてくる大きな世界。そういうことを気付く手段として美術は相当有効だと思うのだが。でも今の世の中では、美術が一番そういう世界から離れているように思える。
仙台の郊外の新しい団地にある小学校の2年生2クラスが来た。始まる前に先生が僕をそっと横に呼んで、クラスに5人問題児がいると教えてくれた。彼らのいう問題児は、彼らが考えている子供のイメージにあてはまらないということだけだった。僕には子供の発達による人間の幼体のイメージしかなく、かつそれは基本的にみんな違うという意識に基づいている。僕にとって問題児はいなかった。こっちに問題児だという意識がないと、その子供達は大変良い人間として付き合ってくれる。彼らはほとんど全員、利発で積極的で好奇心に富み、周りに気を配る人たちだった。それらをすべて先生の世界観の中に閉じ込めて、先生のコントロール下に置こうとされたら、子供は凄く嫌だろうと思う。そっちに行くなと手を引っ張られ、話を聞いてもらえず、話を聞きなさいと強要される。子供はどんどん嫌になって行くだろう。なんなんだろうなあこういうの。あ、特にその問題児の一人がエジプト人の頭良さそうな子で、僕には、まったく普通の子供に見えたのは、日本人として恥ずかしかった。その外国の子はまったく普通に生き延びるための人間として、自分で頭を動かし体も動かし確認し想像し突撃してみていただけに、僕には見えた。日本の典型的な小学校では8歳の人間として当然の、しかも相当優秀に当然の、そういう行為は問題児として多動の子になってしまうのだった。いったい日本はどうなってしまうのだろう。
前に書いた文を添付しておきたい。
造形教育の広がりを求めて
美術に関して、何かわからないことなんて、みんな(たとえば、この文を読んでいるあなたというような意味で)には、実はないのではないか。美術なんて、ほんとはもう、うんざりするほどよく知っていると、みんな心の深いところでは、何となく思っているのではないか。
美術は、全ての人間が、全部一人一人違うということを基盤に、人間全体の世界観を拡大してゆくということが存在の意義-仕事なので、未だ終わらずに拡大し続けている。教育の現場で、次の世代に伝えなければいけない、又は、伝えることができることは、ほとんどここのところだけなのに、なぜか、私が知っている範囲では、未だ、上手な絵の描き方だけが(様々表面的な状況や方法は変わってきているかのようだとはいえ)突出して追求され、評価の対象にされているように、美術館から見ている私には思える。
見た目には、みんなが、毎日同じような生活を繰り返していながら、一人一人違う人間は、一人一人違う生活経験を組み立ててゆく。その生活経験の積み重ねで、その時のその人の世界観-自分を取り巻く状況とのつじつま合わせ-や、人生観-自分の内側で起こっていることのつじつま合わせ-が、一人一人個別に、その人の中にできあがってゆく。まずこの状態が、肯定的に、社会の基礎として存在しないと、私たちが今、(知っていると)感じている美術は、始まらない。
なぜなら、美術は、その個人の世界観や人生観を表現したものだからである。一人の人間が、そこに、まず、いて(存在して)、そこに自分がいることによって身の回りに起こる毎日の様々な出来事を、現実として受け止め、「ま、しょうがないかな」とか「まったく困ったもんだ」とか感じ、考え、しかし、そこで生活を(たいていは)やめてしまうことなく、何とか様々なバランスをとれるようにつじつまを合わせて、次のまた一日につなげてゆく。その毎日の積み重ねによって作られる、ものの見方、見え方を描いて(表現して)みる。うまいへた、丁寧乱雑、大小、明暗、色合い配置、その他様々の全部を含めて、そこに表出されたものが、全て違うということこそが、私たちの美術がここまでかけて、やっと獲得してきたものなのであって、私が、今、ここにいるということの証明なのだ。
自分の表現を、私はここにいるということの証明としてみんなに見てもらうという行為には、だからたぶん、人間であるということ以外、何の問題も存在しない。年齢や性別はもちろん、人種や、障害のあるなしなども、実は何の問題にもならない。今、ここに私がいる。そして私は、このように私の世界を見ている。ただそれだけを、(自覚して)真摯に描いて(表現して)いるかどうかだけが問われる。真摯な表現かどうかということは、自分をいかに解放し、その人にとって本当のことだけを(様々な意味で)「楽しく」表現しているかというほどのことである。真摯であれば、そこに楽しく、思いを込めて引かれた一本の線は、それを描いている私のすべてを、多くの言葉を重ねるより雄弁に、物語ってしまう。
さて、描いたあなたがそこにいるということは、見ている私はここにいるということでもある。好き嫌いを越えて、誰かが一生懸命描いた作品を真摯に丁寧に見る。うまいへたを越えて、そこに描かれているものを真摯に丁寧に見る。そこにある表現が、美術の作品になるかどうかは、実は、見る側に、ほとんどゆだねられていると言ってよい。私は、今、毎日の経験を積み重ねてきてここにこうして、いる。そしてあなたが、そこで積み重ねてきた生活経験によって表現された、あなたの世界を見ている。私たちの世界観は、本当に一人一人違っていて、いかにもバラバラであるかのように見えるけれど、私たちは人間どうしであるということを知っていて、その大きな枠から出ることはない。その人が真摯に描いた世界観を、こちらも真摯に見ることを通して、私たちは、自分の世界観と人生観を点検し、修正し、どのような形であれ理解することによって、自分の世界の見方を拡大してゆく。このようにして私たちは一人一人違うことを基に、全体について思いをはせ、一体化する実感を持つことができる。
このことは練習しなければいけないし、いくら練習しても終わることはない。
ここまで原理に戻って考えてみれば、美術についてわからないことなんか、実はほとんど無かったのだということは実感できるのではないか。最終的に、みんな一人一人違うのだということを尊重して大切に想い、その上で、しかし、みんなで「善く」住むことのできる社会を考えるられる大人を作る。美術は(その基礎としての図工も)、そのまったく基礎にある、自立した近代の市民としてのものの見方を訓練するための学科だったのではないか。造形することだけにこだわらず、私はここにいて、私の見方を持ち、同様に自分の見方を持って考えているまわりのみんなと話し合いながら、多数決だけでは決められないものの決め方について、思いをはせる。最終的な目標(私たちはどういう大人を作りたかったのか)さえあやまっていなければ、あなたの良く知っている、得意の分野を駆使し、様々な方法技術を試みながら、図工の授業を、これまでの経験にとらわれずに組み立てる。これも又、美術が最も得意とする分野だったはずなのだが、、、。