知っている事。
知らない事。

その事の多様性。
そうはならない事の
多様性。



2014年12月31日 
曇。明るく乾いた空気。

下の娘に3番目の子供ができたのはついこの前だ。以前から、とても小さい人がまったく訳もわからずに満員電車に連れ込まれ、ビックリして泣いているのを見るのはとても辛いと思っていた。だから、今年はお正月帰らない旨連絡が来た時は、ほっとした。ただ少し連絡が遅かった。なので、今、僕の家の冷蔵庫は普段老人二人だと絶対食べないような食料でいっぱいになっている。少し嘘だな。「あまり沢山食べてはいけない物」が正しい。乳製品系と甘い物と肉。昨日風呂に入る時、しばらくぶりに体重計に乗ってみて、一瞬動揺する程体重が増えていた。この後しばらく餅を食う毎日が続く。ううむ。

こういう時のためではないのだが、この冬に入ったとき、自転車のタイヤをスリックからキャラメルパターンに替えておいた。なぜか今年の冬は屋内でマシーンを踏むのではなく、回数は多くなくてもきちんと外を走ろうと思っていたのだ。

今日は本当に何もしなくていい日になったので、朝ゆっくり起きて手をかけた食事を明美さんと一緒にとって、洗濯物を干し、軽く掃除をしてペレットストーブを焚き、一階の火鉢に炭をおこして11時過ぎ、新しい黄色のヘルメットをかぶって阿武隈川河原に出かけた。夏に、同じ場所の堤防上をずうっと駆け上がって白石まで行ったり、白石川分岐点折り返し阿武隈川河口まで往復とか舗装路を使った運動は、楽しんだ。今日は堤防の下の広い河原にある未舗装の道を回転だけをあげて負荷をかけずに走るというのをやる事にした。気温は5度。湿度が高いのでそんなに寒くはない。家にいる時と同じウエアに雨具の上だけ着て通勤用の薄い革手袋。家から裏道を走って阿武隈橋東側下の河原に降り走り始めた。ちょっと走って止まり様々な調整をする。空気圧を少し落とす。フロントサスペンションを少し固めに戻す。ブレーキを少しだるく。何だか前のブレーキが少し引っ掛かっているように思えるのだがここではしょうがない。深呼吸をして走り始める。未舗装路を走るのはしばらくぶりだ。堤防の上を走ると見晴らしが良いのだが、下の河原を走ると見えるのは霜枯れの背の高い芦原や草。黙々と踏む。

砕石舗装なので、結構なデコボコが続く。大きな水たまり。小さな水たまり。少し向かい風。面白いなあ。気持ち良いなあ。からすが群れになって原っぱに休んでいる。聞き覚えのあるエンジン音がした。エンジン付きラジコン4駆かな。それにしては音が大きいか?河原でモトクロスの練習をしているグループが居た。少し前まで僕もそっちに居たなあ。少し離れただけで音は聞こえなくなった。黙々と踏む。


息が上がる程ではないのだが、右手指の関節のオイル切れ感。右背筋の弱体感。少しシートをあげる。結局槻木大橋で折り返し、同じ道を戻る。あっという間だった。家でうどんを食う。この後、鉄道模型を組み立てて、汽車を動かすつもり。今年はこういう風に終わる。



僕たちは、
こんなに広く世界をみる事ができるようになったのに。

そこからここをみなければ
意味がない。


2014年12月24日 
青い空に白い雲。
雲の縁が白く輝く。

冬に入ってしばらくなりを潜めていて、もう終わった(又は歳とって死んでしまった)と思っていた猫の糞が、ここしばらくの陽気に誘われたのか庭に2カ所出現したので、ダイシンに薬を買いに出た。様々な買い物をして帰ろうと車に乗った。空の雲が大変にくっきりと美しい。そういえば常磐自動車道が相馬の向こうのだいぶヤバい所まで開通したのを思い出した。

で、亘理から乗って行ってみた。思えば海岸沿いに福島に入るのは震災以来2回目だ。岩沼でも東道路を超えて海岸の方に行くのが、僕は未だに怖い。震災以降6号線に沿って福島に入るのも未だに怖くて、県境を超えるのはしばらくぶりだ。

宮城県の山元を出ると常磐道は山に入る。山を切って作った高速道路から、海が直接見える。見え隠れする。山の中にある広場には必ず黒い袋が転々と置いてある。放射能の線量表示が所々にしてある。0.2から1.3。岩沼は0.03。一桁違う。浪江以南はモーターサイクルで行ってはいけないとの表示。ううむ、選挙なんかしている場合か?
一生懸命90キロで走る。車はあまり走っていない。走っているのは何かの仕事の車だけのようで、大小のトラックも多い。みんな各々のインターチェンジで降りて行く。僕だけが、走るためだけに走っている。遅く走っているつもりはないのに、誰もいなくなったと思うと、突然追いつかれて渋滞の先頭になり、追い越し車線が出るとまとめて抜かれて、再び前後に車の影も見えない1台だけ走行をくり返しながら、終点の浪江まで走る。浪江で降りて、6号線に出る3桁国道に曲がる。

何ということだ。道に面した普通の家の入口にクサリが張ってある。全部の家の入口が通行止めになっている。この辺りは住んではいけないのだ。三桁の国道を経て6号線に出る。ずうっと閉鎖された家、町、店。あの震災で崩れたままの家だけの街。もうあれから4年だから、全部錆びて、草茫茫で、プラスティックの色が褪めている。動物に注意の警告が次々に出てくる。工事している所も含め、誰も居ない。居たのかもしれないが見えない。ううむ、選挙なんかしている場合か?最初、泣くかと思ったが、怖くて泣くどころではなくドキドキイライラしながら仙台方向に戻る交差点まで行く。6号線も住んではいけないままの街が延々と続く。原町辺りまで来ると、ある地点から道に面した入口の鎖が突然なくなる。ううむ、選挙なんかしている場合じゃないだろう!。小心者の僕はこの辺りでやっと息をして物を考えられるようになった。一体この国は何という国になってしまっていたのだろう。中学生がジャージを着て変なヘルメットをかぶって自転車で歩道を走っている。だから、そんな事をしている場合じゃないだろう!、ではどうしろと、、。ううむ。

入口の鎖はなくなっても街には誰も住んでいない。国道沿いの大きなチェーン店だけは動いている。駐車場に沢山車が止まっている。でも、人は居ない。人がいたと思うと工事現場だ。工事現場の事務所の前に数人のおじさんが集まって話し合いをしている。人気のある所は何かの工事の現場。でも回りの景色は昔のあの原町のまま。凄く何か違う。だからそんなコトしてる場合じゃないだろう!という違い、違和感。相馬の辺りにつくとだいぶ、僕が今生活している地域に近い空気になる。この前は宮城県側から相馬まで来た。違っていた。原発側から相馬に来ると、普通にある事のおかしさ/異常さが際立つ。すぐにわかる。

初めて、津波に流された宮城県の磯浜に行った時に感じた、そこにあった物がすっかりなくなっている事の異常さと違って、そこに今も普通にあるのに、異常な状況になっている事の恐ろしさ。丁寧に注意深く善く視れば、体験した事のない事は未だにまだまだある。状況報告。

自分に自信を持っている子供。

そのためにこそ
全ての子供のための教育が
始まる/ある。



2014年12月21日 
乾いた空気。高曇りから快晴。夕日美しい。

ついさっきまで全国高校駅伝をテレビで見ていた。午前10時から女子、お昼から男子。見終わったのでブログを書いている。いつもだとこの後、テレビを見続けて一日が終わる。何とかしないといけない。

今年は12月14日で展示が終了し、宮城県美術館は1月30日までの休館に入る。皆に長く休めていいですねと言われる。
僕は退職者で、そもそも週3日しか働いていないから、実生活にはあんまり影響はない。でも美術館はこの時期に連日修理修繕をする。普通美術館のような大切な宝物(文化財)を長い間保存しておくような公共の施設は、30年程で機材の改修をしないといけない。作ったその時点で最新最高なものは30年もすると最低最悪なものになってしまうからだ。宮城県美術館も同じなのだが、ちょうどその頃に大震災が起こった。日本では、文化財にお金をかけるという考えは物凄く不思議な事と思われる。とは言え、何とかしないと雨漏りや、空調不備が起こってしまう。なので、本当は3年休むか、新宮城県現代美術館を違う場所に新たに作り、今のは完全に近代美術館として出直したいのだが、そういうことは考える事さえできない。しょうがない、まずさしあたって、1ヶ月でなおせる所だけ/からまずなおす。全電気が止まるので、寒いから1月の某日は出てこないようにという知らせが来ている。という日本の状況。
教育普及部はこの時期、開館以来の備品の確定/整備/整理をするという事で、出てくるように言われた。でも、僕はほとんど出て行かないつもり。今いる人達が使い易いように備品を変更/整備すれば良いので、僕がそこに何か言っているうちはいつまでたっても僕の(作った―残したでなく)創作室のままだ。昔の人が様々言っても、今そこにいる人がわかる所だけわかるように残って行く。僕もそうしてきたわけで、そこにいる人がわかる所/事だけ、わかったように変わって行く。そういうのが変化というのではないか。昔の人の事はあまり気にする事なんかない。残るもの(だけ)は残る。

今朝の新聞の一面に「中国に親近感がない国民が83%」と出ていた。韓国は66%。でも僕はそれより、最近の「僕の」日本への親近感が、そうだなあ、30%以下になっているように思えてしょうがない。
僕にとって世界がこんなに身近かになったこの国にいるのに、「(僕が同じに小中学校で受けてきた)世界をみるための初歩的な教育」がこんなに変わってしまった今の日本では、今の状況は当然見えていた事だったのだろうか。だとしても、その状況に本当にに暮らしている僕はこのあと如何に暮らすべきか、よくわからなくなってきている。本当に良くわからなくなってきている。が、毎日はそういう事と関係なく過ぎて行って、(次のジェネレーションとしての)孫もどんどん増えてしまっている。
わかった事だけわかったように(だけ)変わって行く。いつになったら、僕たちの国の選挙から経済的な発展の意識/意欲がなくなるのだろう。いつになったら僕たちの意識の中に「金の貯め方」でなく「(人間としての)金の使い方」の意識が生まれてくるのだろう。いつになったら「自然の使い方」でなく「自然に使われる方法」の意識が出てくるのだろう。もう出てきているのに、それに気付くための文章の読み方が、(誰かによって)隠されているように思えてしかたがないー人のせいにする意味でなく。何か覚悟が必要だ。