2009年 5月 26日 乾いた涼しい空気。雲の多い晴れた空。

5月初めのブログは、更新期間が短くて、何人かの人に、最近更新早くなったようだが体の調子大丈夫なの?とかえって不思議な心配をかけてしまったようだ。
なかなか休みが取れず、今日はしばらくぶりの連休2日め。天気もいい。でも、美術館に行かなければいけない仕事が一つ。なので、モーターサイクルを動かした。美術館での仕事はすぐ済んだので、山の麓の道をユックリ一回りして帰って来た。もうお相撲も終わってしまって、なんだかやっと自分の時間が自分の思う通りに動き始めた感じだ。

5月は、黄金週間で始まる。みんなが休みの日こそ美術館は掻き入れ時。で、通常5月は連日連続の休日出勤で始まる。しかし一方、僕らは公務員なので規則通り休日数を取らなければいけない。とはいえ、僕のいる部署は、公務とはいえ客商売な訳だからこっちの都合だけでハイお休みというわけにはいかない。しかもこの緊縮財政のおり休日出勤や時間外勤務に無尽蔵にお金を出す事もできないから、振替に次ぐ振替の嵐。というような様々に矛盾し錯綜し複雑に絡み合った(でもないか)事情で、5月は、ものすごく不定期でバランスの悪い休みの連続。スタッフ全員そろう日が、今年の5月は確か1回もなかったはずだ。スタッフみんなで譲り合いながら、なんとか休日数をクリアするのだが、家族活動が一番活発な人たちに、優先的に家族との休日を組み立てさせるから、施設に入りっぱなしの胞夫さんとほとんど部屋から出て来ない明美さんと生活している僕なぞの休みはどんどん後回しにしていく事になり、しかし、今月中の休みは今月中に消化してねとか庶務管理の人に言われて、まごまごしていると今回のように月末にごっそり休みが重なってしまうというようなことが起きる。ちょっと意図的だったりもするのだけれど。
というような状況の中で、5月初めのブログは書かれたのでちょっとアップセットしていたのかもしれない。あの後は休みなし。これといって何があるわけではないのだが、じわじわとストレスがたまって来た感じがする。
通常ルーティーンの休みになった18日月曜、自分の前立腺肥大検診のため朝一番で岩沼の病院へ。担当の医者に近況を報告し、いつもの薬をもらい、その他細々した用事をあっちこっちで済ませて、昼飯を食いに北六番町のいつものグRディChドへ。そこでおいしいご飯をよく噛んでいる最中に、福島市内のギャラリーで友人の里Mさんが磁器の個展を開催中なのを思い出し、ちょうど水曜が振替の休みだったので、展示を見るのにかこつけて福島市のカフェレストランhuとbokuで昼飯を食うというお散歩を思い付く。という話を食事の帰りによった二輪工房S藤で達夫君に話したら、ウチも水曜休みだから一緒に行こうという事になり、20日水曜、電車で福島まで行って展覧会を見つつ昼飯を食う、というノッツオをこく会実施。当日はもうひとりのS藤くん(若者)も来て男子3名で実施。思えば、これまでのノッツオは参加者に女子が多くて、今回始めて連れ立ちションのできる面子。若干感動。立ちションはしなかったけど。福島市は、なかなか味わい深い街で様々うろうろして、阿武隈急行で帰る。充実したいい一日だった。今度いつか阿武隈ライン下りに来ようと思う。
その週の土曜23日、学院大脇の古いビルの地下にある手作り劇場でいぶし銀太郎演出主演の演劇を見る。僕と同じぐらいの歳のオンツアンが、30歳ぐらいの女子と匂いにまつわる思い出話をするという話なのだが、偶然その前の日、同じような状況で同じような話を若い女友達のT野としていたので、なんかリアルさに欠けた感じだった。同じ事を同じように話したとしても、その話に含まれる体験の広がりは個人によってだいぶ違い、そこから始まる世界も当然異なる。お話より事実の方が、未だやはり、奇なり。
そうこうして、なんとかかんとかやって来て、僕は25日月曜から6月1日月曜まで、長い、とはいえたった1週間の連休に突入した。
少し前、ズボンにかぎ裂きを作った話を書いたが、その話を書いたときに新たに買ったズボンの同じところにまた新たなかぎ裂きができた。これはおかしいと詳しく見たら、カングーの運転席の扉の留め金のところに小さく鋭い出っ張りができていたのを発見。自分でペンチでグイでも直りそうだったが、なぜそうなったのか皆目見当が付かなかったので、ルノーに持って行ってみてもらったり、ついでに衣類の引き出しの入れ替えなぞをしてしまったら、修理に出さなければいけないズボンが3本も出て来たり、せっかく休みになったと思ったのに、連日どさくさに次ぐ予定外活動で、あっという間に毎日が過ぎ始めている。ちょっとうんざりだ。でも僕は、28日から沖縄に行く航空券を買ってしまっているので、もう、何があっても行ってしまうのだ。うまく行けるかなあ。

2009年 5月11日 初夏というより、春の終わりの曇りの日。体を冷やさないようにしよう。

一日家にいた。思えば、しばらくぶりだ。あまり活発に動き回れないため、静かに過ぎる一日について記録しておこう。



先週の金曜日、仕事中、創作準備室で少しボオッと考え事をしていたら、部屋の反対側の電話がなった。丁度そのとき部屋には誰もいなかった。みんなそれぞれの仕事で美術館の他の所に出かけていたので、僕はお留守番だったのだ。急いで取りに行こうと急に立ちあがったら、脳内出血以来なんとなく麻痺している左足に感覚が戻らなかった。で、踏ん張りきれずにこけかけた。すっかり転けるまではいかなかったのだが、左足を内側にねじってしまって、足首にグキッと嫌な痛みがはしった。相当動揺しつつ、なんとかケンケンで呼び出し音が鳴り続ける電話にたどり着き、受話器を取り上げると、ま、こう言う時は得てしてそうなることが多いが、電話は切れた。すると、足首の痛みが一挙に襲って来て、あわてて手近の椅子に腰を下ろした。こういう時の手近にある椅子は、普通のものでないことがママ有る。座った椅子は、仲間のうちで、最も電脳度の高い人が電脳に長い間対峙するために家から特別に持って来ているもので、軽く移動するに適した足を持っていた。ということはだから、不安定な足でケンケンして来て動揺したまま斜めに腰を下ろしたりすると、一も二もなく転倒しやすいということだ。ということを実は状況から後で想像したことで、本当の僕の記憶は、足首がひどく痛い、こりゃやばい、早く足首から力抜かなきゃなんないからどっかに座らないと、の次は、なぜか床に頭をぶち当て眼鏡がとんだ状態で、床に横たわって寝ている状態から見ているすごく低い位置から見上げたピントの合わない創作準備室の天井だったのだ。その途中の記憶なし。一瞬だったが、何がどうなったのか自覚するのに時間がかかった。
深く広く動揺しつつ、ゆっくり立ち上がり、転がっている椅子の隣のしっかりした布のソファーに深く座り直した。一気に汗が噴き出して来て、シャツの袖で額の汗が拭けるくらい。気持ちが悪くなってくる。はきそう。さしあたって、左手を握ったり開いたりしてみて何回か動かし、脳神経系障害ではないことを確かめ、ベルトを緩めて、のど元のボタンを外し、深呼吸。もう一度深呼吸。深く息を続けながらソファにグダッと座る。しばらくそのままグダグダしながら、シャツを脱いだり手ぬぐいで汗を拭いたりしていたら、吐き気と冷や汗は少しおさまった。そしてその頃に、仲間が何人か部屋に戻って来た。僕は、もう、シャツのボタンをほとんどかけ直していた。今回は救急車は呼ばれなかった。
その日、本来なら自動車で来る日ではなかったのだが、持って返るものが有ったので僕はカングーで出勤していた。夕方、足は思ったより酷くはなかったが、何かを杖にしないと歩けないくらいにはなっていた。その日の夕方には、しばらく会っていなかった若い女友達と約束があったのだが、電話をして延期してもらい、這々の体で帰宅。早めに風呂に入り、おそるおそる靴下を脱いでみたら、足首ではない、思わぬ所に2カ所黒血が出ていて少しゾッとしたがそんなに腫れてはいなくて、不自然な痛みもなかったのでほっとする。左側頭上部に小さめのこぶ一つ。富山の薬売りの湿布薬を貼り、昔モーターサイクルの競技に出ていた頃使っていたテーピングの残りを探し出して左足の左右の揺れを規制固定。こぶはそのまま。
次の日からはカングーで出勤するも、後は平常勤務。日曜日には美術探検1時間。そうしての、今日の月曜日だった。
静かにしていたのではなく、静かにしか出来なかったのだ。ちょうど良かったのかも。
普通の時間に起きてトイレに行き、もう一度ベッドに潜り込んで7時頃起きる。起床前血圧、本日117/77、快調。豆を挽いていてコーヒーメーカーで入れたコーヒーを小岩井牛乳でわり、半分に切って冷凍してある渡辺さんのバケットを解凍し、今日は紅花マーガリンを塗って蜂蜜をかけてユックリ食べた。食べる前にランドリーを動かしておく。iMacでこの前の重松君の音楽を聴きながら、昨日のハーフマラソンの所とティータイムを中心に河北新聞を読み、着替えや、乾いている洗濯物の仕分けや、朝の様々な家事仕事を簡単に手を抜きつつ片付け、仕上げは明美さんにお願いして、通勤自転車で七十七銀行岩沼支店に行く。呼び出しナンバ−7番で入れたのですぐ順番が来る。まず胞夫さんの口座から彼の生活費をおろし、介護施設に4月分の料金を払い込む。自分の分の生活費と、明美さんの小遣いをキャッシュディスペンサーでおろす。彼女の分は全部千円札でおろすのでやや手がかかる。ついでに、自動車の税金も銀行で払い込み。僕の2CVはもう20年も前の車なので、税は何割か加算されており、お金が足りなくて追加でおろす。ええいこうなったら、もう一気に清算だとばかりに、近くの二木の松公園で持って行った本を読んで時間をつぶし、弟の同級生のやっているM上輪業へ開店と同時によって、ここ2年は年に3回も乗らなくなっているモーターサイクルの自賠責保険を一応2年分購入。税金の支払済証とか自賠責の登録書とかは、後で決まった所にいれておこうなどと考えていると、歳を取ってからは絶対なくしたり忘れたりすることがはっきりして来ているから、最近ではとにかく面倒でも思いついた時に確実に最後まで手を入れておくことにしている。自転車で家に戻って、そのまま各々の車検証入れに各々しまう。
庭は、いい感じに夏の林の中になって来ている。若干の草取りと植木の手入れをしようと思い、庭仕事用のズボンに着替える。燃えるゴミ用のプラスティック袋を用意し折々取っていたいらない草の抜いたのや切った枝を袋につめたりしていたら、そのズボンが簡単にかぎ裂きになってしまった。下着がちょうどちらりと見えるあたり。時間もいい頃合いだったので、その穴をガムテープで塞いで明美さんを呼び、カングーで今昔庵に昼飯を食いに出る。今、金蛇水神社のボタンがちょうど見頃だとラジオで言っていたことを思い出し渋滞にはまるかと少し緊張したが、微妙に時間が早かったことと今日は月曜日だったので、今昔庵は僕らが食べはじめたら、一気に混みはじめた、というタイミングだった。
今昔庵からの帰り道にある「シマムラ」に寄って庭仕事用の長ズボンを買う。だって、たったの770円!。一体誰が何処で、このカーゴパンツを700円で売れる値段で作っているのだろう。今日一気にかぎ裂きになったこのズボンも、確かシマムラで買ったのだったのを思い出して、寄ってみたのだ。今回のはリップストップコットンの生地で、770円。
帰って、早速履き替えて庭仕事。履き心地が良いのかつい熱心に草むしりをしてしまい、こんなに熱心にすると又何か違う障害が起きそうな気がして来たので適当な所でやめて、ヤマヤに買い物に行く。コーヒー豆の挽いたの、発砲ミネラルウオーター、ウイルキンソンのジンジャーエール、ちょうど明日の分だけ切れたフルーツジュースなどを買って戻り、一枚だけのこっていた煎餅をミネラルウオーターで食べながら、昨日から始まった、相撲をテレビで見る。ホトンド極楽。そうこうしているうちに夕方になり、文句を言いながら、しかし明美さんにすっかり夕飯を作ってもらって食べ、食べ終えてこれを書き始めて、もう八時半だ。今日は早く寝よう。足の状態はだいぶいい感じになって来ている。

2009年5月3日 少し曇り。

昨日の日記を今朝読んだ。少し補足をしたい。

4月の終わり頃、様々な人の個展が続いてあった。県民ギャラリーで本間君と跡部さん。二人とも、又く方向は違っているとはいえ、思う存分の大作をギャラリー一杯。街で、田辺さんと千葉君。自分を深めるとこういう風になって行くんだ、出てくる方向がこれまでとまったく違おうが、同じ方向を見つめていようが。僕もグループ展に出品して、なんだか右往左往し、宮城県美の常設展が変わり、美術は、教育なんかとはまったく違う視点で存在しかつ進んでいることを深く反省し、福島県美にワイエスを2回見に行った。あれだけ丁寧に対象を見ていたら、当然あの絵は必然で描けちゃうよなあなどと、不遜な感想を持つ。ついでにかの美術館の常設もある感動を持って見た。僕は、本当にここ(宮城県)にいたのでこうなっていられるのだなあ。今、宮城県美の特設展示は州の内コレクションで、次は前衛のみやぎ。前衛であるということは作品のありようとは別にあって、自分を深く振り返る、いい機会になった。展覧会ひとつひとつにもエピソードがあって、そのことも書きたいが、さしあたってざっと見ても、大変興味深い流れだ。エクスプレッション(表現)と、その基になるインプレッション(印象)。その移り変わりと世紀が変わって行くことの(多分、今はまだわからない)深い関係。他人はどうあれ、自分は大丈夫なんだろうなあ。
部長になってしまってから、付き合う人たちの幅が少し変わって、まるで絵に描いたような大人の人とも、関係を持たなくてはいけなくなって、忌野清志郎の歌う歌を噛み締めることが多くなっていたら、彼が昨日死んでしまったと知った。最初に感じたのは、「くそー、うまい具合に死にやがる」だった。これからが大変で、面白そうなのに。そういう時のこの展覧会の流れだ。2CVを動かしながらオートバイに乗ってカヤックを漕ぎ、良いセックスをしてうまいものを少し食い、昨日の夕方のように下駄を突っかけて行ける所で裸足で聴ける音楽を楽しみ、今日は今から希野と遊びに行く。何かもんくあっかという毎日を、意識的に送らなければいけない。

2009年 5月 2日 空高く、乾いた晴れの一日。もう夏なのか?

先週は、ずうっとカングーで出勤。僕は歩かないとものを考えなくなるのだが、車で移動するとそれはそれで、見えるものが違ってくる。ただ、最近は、ふと思いついた事を、すぐに忘れてしまうので困る。でも、まあ、これも、ブログの更新が遅れている事への言い訳の一つだ。
新しい年度が始まって一息つくと、これまで僕と同じ月曜日が休みだった友人の幾人かの生活パターンがすっかり変わった事がはきりした。いい状況だ。一人で遊びに行こう。とはいえ、そもそも僕は一人で動くのが基本のやり方だったので、そんなに何かが大きく変わるというものでもないのだが。
何はともあれ、今日明日連休。その後祝日だけど通常出勤が続いて、僕の黄金週間は、今月末にあるかな?



ずうっとしたかったのに、今年はここまで機会がとれないで来たので、今日こそはカヤックに乗ろうと朝から入れ込む。入れ込みすぎて2度寝してしまい7時に起きてしまった。まあいいや、眠いんだから。コーヒー豆を挽いていれ、渡辺さんのバケットにチーズスプレッドをぬって仙台イチゴの入った蔵王ヨーグルトをかけて食べた。洗濯と掃除の仕上げは明美さんにお願いして、通勤自転車で駅前の床屋へ。連休初日の朝なんてみんな床屋に出かけるに違いないとふんで、待ち時間用に昨日千葉実君の版画の個展を見た帰りによった火星の庭で手に入れた景山民夫の古本を持って行ったのだが、なんと誰もいなくてすぐにあたってもらい、刈り始めればそもそも髪がたくさんあるわけではないのですぐに終了。僕は、バリカンでやってもらってるし。
しばらくぶりの阿武隈川は、相変わらず水が汚い感じだけれど、季節柄水量は多くて充分に漕いだ気がした。ずうっと上流まで行って阿武隈大堤のすぐ下まで漕ぎ上り、流れにのって戻る。10時から2時間強。日に当たっているところが赤くなって来たので陸に上がって、台湾料理を食って家に帰る。
これも前から気になっていたモーターサイクルのカバーをはがし、この前倒して少し壊れたところを直しながら、メインテナンス。ゴムの厚板で止めていたナンバープレートがボロボロになって来ていたので、ダイシンで部品を買って直し、一応大丈夫になったところでオイルを補給してキックし、エンジンをかけてみる。3回めでかかる。しめた、その辺一周して来ようと思って良く見たら、自賠責が切れていた。何と19年1月まで。という事はここ2年乗っていなかった事になるのだが、いやそんな事はなくて去年の秋頃何回か動かした記憶がある。いやはや無陪責で乗ってたんだ。事故んなくて良かった。弟の友人がやっている近くのバイク屋に買いに行ったら、祝日でお休み。バイクの調子はいい事がわかったので近々乗ろうと思うが、登録はしばらく後にする事にした。工具のあと方付けをしていたら、壁に張ってあったチラシが目に入る。今日の午後6時半からのコンサートではないか。手を洗ってシャツを着て、クロックスのまま帽子もかぶらず、ぶらっと歩いて例のポラーノに出かける。気持ちのいい夕方の風。重松壮一郎という人のピアノのコンサート。こういう一日を送った日のおわりに聞くピアノコンサートとしては、文句のつけようのない2時間半。周りに耳を澄ますところから音を紡ぐ音楽しみ家の音楽しみ。僕の目の前には、広い水の面が青い空と共に広がって、いやあ、今日一日見た景色がもう一度現れた。鑑賞って、作家と関係なく、こっちの頭の内側と自分の心がどういうお話をするかだって言う事を、ここで再び確認。彼のCDを2枚買ってかえり、それを聞きながらこれを書いている。良い、一日だった。