自分であるということは、
誰とも似ていない
ということだ。

誰とも似ていない
ということは、
日本では普通、
変な人だと言われる
ということだ。


2017年 1月  6日      
いい白い雲の浮かぶ晴。乾いたすっきり冷たい空気。

今年度は夏にメインテナンス休館をしているので、宮城県美術館は1月は5日でお休み終了。でも僕は今日は休んで家にいる。今年1日は起きたらすでに社会人対抗駅伝のテレビが始まっていて、そこから簡単に餅を食いながら1日テレビ観戦。2日は箱根駅伝。朝早く起きたのに、パジャマのまま1日観戦。3日も朝から駅伝。昨日の反省?からきちんと着替えをして洗濯などもし、きちんと観戦。例年の通り、駅伝終了後、続けてライスボウル。夜風呂に入った時に体重を測ったら、予定通り?2キロ体重が増えていた。なので、昨日は昼前からいつもの里山に長い散歩に出た。

家から歩いて出て、線路の西に広がる田んぼの中の道を突っ切り山裾を南に廻って、大日堂裏から昔のゴミ焼き場への道を登り、尾根に着く前に舗装路から山道に曲がり旧道を尾根道に。深山山頂で一休みしたのち、道沿いにグリーンピア蔵王展望台まで出る。そこからぐるっと幾つかの展望台を回って、下山。ちょうど巡回バスが来たのだが、思ったより体調精神共に快調だったので、そのまま家まで歩いて帰る。書くと結構歩いたように思えるが、多分数キロ。でも気持ちよかった。今日も思ったより筋肉痛もない。準備/整理体操、というより柔軟体操を常に普通にやるようにしようと思う。

休みに入って、片岡義男の「言葉をめぐる本」をまた読み直している。自立した個人でいるということを日本語で行う自覚の覚悟を忘れないようにしなくては。またはそうしている自分の変化を受容できる自分を見つめる力を自覚するか。