出来立ての葉っぱが
形になろうとする。
私は、
形になっているか。
2024年 4月21日
全てがぼんやりと暖かい。
すこうし、動く空気。
視覚表現を生業としている若い友人から手紙が来た。少し前に書いた僕のブログで、京都出身の人が普通にいう京都の空間認識と、僕=東北人の空間認識との違いを、もう少し詳しく述べよ。
偶然だが、ほぼ同じ時期に、暫く前から京都に住んでいる別の絵を描く友人(福島出身)が、最近、思う、京都にいる自分の有り様の思う所を述べ、これをめぐり齋が思うところを述べよ。
どうしたんだ、baby! 急に春になってしまったので、みんな突然絶好調になってきたんじゃないかと、思ってしまった。でも有難い。とにかく最近、前立腺肥大防止のための薬を継続服用しているためかどうかは定かではないが、集中力が著しく低下している。記憶力は低下していないが、必要な時に必要な人の名前だけだけが思い出せない。何はともあれ、いい機会だ、考えてみよう。
その各々の答えを考えるより、まず、最近僕が強く思うのは、まず、私は、一人でここに居るという自覚のようなものが、世間ではすごく薄くなっているのではないかということだ。どうせ人は一人で居るのだから、誰か知らない人が決めたり気づいたりして組み立てられた「その人」のようにあらねばならないことは、ひとつも無い。僕ー貴方が自覚して居る人は、そちらではなく、こちらの内側に(だけ)いる。
僕はここ(今住んでいる場所=昔齋胞夫さんー僕の父親ー家があった)で生まれて、数年だけ、極端に空間の違うNewYorkにいたことがあるだけで、あとはずうっとここ=岩沼の竹駒神社のそばにいる。そのことについて親に感謝こそすれ、全く問題は無いと思っている。
何年か日本国外にいたことがある人は、僕の周りにたくさんいる。外に出てみて、分かったことはたくさんあって、今の僕の在り方に強く影響を与えている。良いとか悪いとかを超えて在り方の基本になる部分で。でも、そうで無い人もいる。いいとか悪いとかでなく、外に出ても変わらないということは、その時既に、自己が固まっていたということなのか。僕にはわからない。
人は、自分の生まれた所ではない場所にいくと、そこを拠点にあっちこっち周りを見て歩く。僕もそうするが、自分がいるところを中心に少しずつ広げながら螺旋状に周りを見ていくことが多い。最初は歩いて。徐々に必要に応じて交通機関で。これまで会った人で、こういうふうに自分の個々ー此処を自覚している人は、あまりいなかった。いや、ほとんどいなかった。私は此処に、こうして居るという自覚から始まる存在感=個々は、結構面白いと思うのだが。みんなはすぐ周りを広く見て歩く。名所旧跡のような。此処を自覚することは、自己を肯定的に自覚することではないか。いや正しく言えば、そうやっているときは自覚がなかった。単におっかながりだったのかも。でも、そういうふうに自己を拡大していくのは、面白かった。NeuYoerkでも仙台でも、京都でも。その他。出かけて行った様々な所でも。
今、出かけて行った様々な場所と書いてから、孫から借りている小学生の地図帳を開いてみたら、僕は日本では、だいぶあちらこちらに行ったことがあるのだなあと思った。そういうことを基本にして、京都のことを思い出してみよう。
京都御所の前のホテルに泊まって、毎朝御所の前の砂利の広場を歩いて横切って鴨川を渡り、暫く北上して白川通にある大学で、幼児教育と美術教育の話をしに通ったことがある。今になって例の孫から借りた地図を見ると、道すがら、幾つも見るべき神社やお寺が連なって!いる。でも、私は毎日キョロキョロしながらではあったが、特にそれらをみようとはしないで、ただ空気を嗅ぎながら歩いていたように思う。
そのあと別の人に呼ばれ、何かの話をしに行ったのだが、そのときは偶然にも紅葉の季節と重なり、ホテルがなくて、ずうっと山奥の貴船神社のその奥の宿屋に泊まることになった。それがどういうことなのか、その当時(多分今でも)分かってはいなかった。そのおおよその状況を夜に聞いて、僕を呼んでくれた人がひどく恐縮していたのを覚えている。恐縮する状況を聞いて、なぜか嬉しくなり、次の朝、朝飯を断る程早く起きて、貴船神社の鳥居を潜って出立し、まだ朝靄がたなびく鞍馬山裏口から入り、話では牛若丸が烏天狗と剣術の稽古をしていたという太い杉林の中を清々しく歩いて、裏口方向から神社に出て参拝し、叡山電鉄に乗って、京都駅に戻り、なんだかやけに充実した実感のうちに京都を経って、その日のうちに仙台まで帰ってきたのではなかったか。叡山鉄道沿いの普通の家の屋根の上に猿の群れがいて柿を食っていたのを覚えている。さて僕の京都は、こういうものだ。
今僕は、自分の家から西にすぐ見える岩沼の千貫山によく登る。と言っても標高は多分200メーターも無いから、散歩といった方が良い。頂を踏み分け道が通っていて、ところどころに大きい石がある。思わぬところに古い小さな石碑が立っている。表面に刻まれた文字は、もう読めないし、読まない方が良いようにも思える。昔誰かがこれを担いで登ってきて此処に置いた。此処には、今でも烏天狗がいるかもしれない。京都には、京都の人が恐縮するようなところに泊まって、朝誰も起きてこない頃に誰もいない方法で歩き回らないと、感じられない鴉天狗。何がどうと言うこともなく、僕が、偶然に基本的蝦夷の国に生まれたことの喜び。此処まで書いてく るのに費やした時間への喜び、いやはや。