あることを思う。

そのことは様々のことから、

そうなっている。

そしてその様々なことは

各々様々なことからなっている。

私が今いるところ。

2023年 1月 7日

乾いた冷たい空気。明るい曇天。

この年末年始の頃、僕の好物の(アメリカ本土での)アメリカンフットボールが佳境に入る。実はそうなる様に機構や組織が上手く組み立てられてはいるのだが、それにしても今年は、その佳境への入り方が面白いことになっている。ここしばらく、名前さえ忘れ去られていた様な、例えば、僕の好きなニューヨークジェッツが、今年は、なぜこの時期このポジションにというところにいて、選手権出場を懸けて戦っていたりする。

そして、駅伝だ。12月の最初の日曜日あたりから始まって、30日、1月1日、2日、3日と、続けて全日本クラスの高校、大学、実業団、男女駅伝が続く。

長く走ることを競うことを巡っては、これまで沖縄はあまり上手くいっていない。これまで大抵、47都道府県の47番目を競う。だから、なかなかテレヴィ(実況中継)に映らない。それが、今年は少し違って、高校でも、大学でも、沖縄の人たちが、最終尾の選手ではないところを走っていて、僕は、少し興奮して、今は山形にいる僕の(沖縄の美術家として知られている)娘にメールを送ってしまったりした。興奮している僕を含めて、こういう人たちー実況中継にはあまり映らない様なところで、一生懸命活動している人達ーを見るのが好きだ。小学生の終わり頃から、ずうっと陸上競技の競争の世界に関わってきていたので、勝った負けたを巡ってはもう十分だという気持ちが強い。でも、身体を十分にコントロールして、自分の限界を少し広げていく快感は知っていると思う。その上で、すべての競技を巡って、僕は、勝敗にはあまり興味がない。その運動を力一杯、一生懸命やっている人を見るのが、好きなだけのようだ。


という様な年末年始で、竹駒神社の7軒南に住んでいる僕は、この時期、物理的にも外に出られない。車を中心に身動きできないほど街が混む。入り口のお大鳥居のところまで行列をなして礼拝に来ている人達を、ちょっとした買い物に出かけ、横目で見ながら、僕の神様を思った。


普段活動している場所が、古い八幡神社の裏山なので、朝集合したら、最初にみんなでお参りをする。ただ、すでに決められている方法で(ニ礼二拍手というような)こんにちわをするのではなく、本当にそこにいる神様たちと、一緒に遊ぶんだという感じを自覚するために、お参りをする。まず、本殿の脇で、みんなに聞く。僕にも訊く。「神様っているのか?」。

僕の活動仲間は、ほぼ小学1〜5年生で、しかも、普段から僕以外にも大変注意深く小さい人たちと付き合う大人(児童館の職員ですね)と生活しているので、基本的に皆、霊長類人科の良い幼体になっている。すると相当疑り深い人でも、小さい時は、突然聞かれると、神様はいると思ってしまう。

で、それを意識的に確認すると、そういう時代、それは本当のことになってしまうので、それ以降は、神様と一緒に動くことになり、ほとんどほっておいても大丈夫になる(と、僕は信じている)。細々とあれはダメ、これはダメ、こうしなさいああしなさいと並べるより、僕たちは、今日、神様と一緒に動く、ということを自覚する方が、はるかに安全では無いかと、僕は考える。僕の神様は、そのあたりにいて、仕事をしている様だ。