今日は、阿部君のお葬式だった。阿部君は、アベヒゲ(仙台ーいや北日本か?ーでは知られた芸術系居酒屋)の(店主)阿部君で、名前は立夫と言うのだという事を今日知った。彼は(確認していないが、確か)僕と同じ歳で、最近難しい癌かなんかで調子が悪いのだ、と言う事は聞いていた。その割には10月にも、美術館に何かのチラシを持って来てくれて、そのとき「あれ元気なの?」「いや本当はだめなのよ」というような話をしたりしていた。僕がモーターサイクルの試合なんかに係わっていた頃だから、だいぶ若い頃から、仙台の面白い事の様々な部分(モーターサイクルから美術、演劇、舞踏、でも、僕が知っているのはそこのあたりまでだ)で関わりがあったけれど、基本的な生活の部分で、僕は酒をあまり飲まず夜更かしではないので、深い関係はあまりなかった。でも関係のある部分では一緒にやっている人という感じは深くあった。数日前突然、亡くなったという事を聞いたとき、あ、お葬式に行かなければと、すぐに思った。
普通僕は、あまり冠婚葬祭に行く人ではない。冠婚葬祭に関して形式的に整えば済むというモノではないだろうと思っている。僕は、町内会の葬式の時は何も考えず、ちゃんと形式を整えて(唯一持っている濃紺のスーツに白Yシャツを着、父親の黒ネクタイを締めて)受付係をしたりする。でも、阿部君は僕にとって、考えなければいけない関係の人だ。彼が死んだのは、僕にとっては大変身近かな感じがする。今年の夏の事もあるし、いつ自分の番になってもおかしくない。阿部君の事をよく知っているというわけではないけれど、僕は彼がなくなって大変残念だという気持ちを深く感じてお葬式に行きたいと思った。で、まったく普通にきちんとした服装(美術館の部長会議に出るよりももっときちんとした)をして喪章をしていく事にした。彼との関係は、そういう関係として僕の中にある。喪章は、最近ほとんど誰もしないのですぐには見つからず、100円ショップにあるとの情報もあったがちょっと違う気がして、大友葬儀屋に電話してとっておいてもらった。300円だった。濃紺のネルシャツにニットの黒いネクタイをして僕の持っている一番良いツイードの茶色ジャケットに喪章をした。ズボンは作ってもらった淡い茶色のボンバチャス(膝宛つき)。黒い革靴を履いてみたらまったくヘンテコリンだったので持っている靴の中で最も地味な茶色のビルケンのロンドン。靴下はスマートウールの黒い補強の入った灰色のにした。昼過ぎ、葬式場に行ったら結構な人がいたけれどみんな(本当にみんな!一人残らず!)黒い式服だった。なんだかなあ、みんな何も考えていないみたいだ。21世紀ってそういうもんなの?阿部君、普通はこういう人たちといたんだ。少しがっかりして、少し晴れやかで、少し緊張した。自分できちんと決定している気分がした。これから大切な時はこういうふうにしよう。喪に服す気持ちの表し方は色々あって、もちろんそれでよくて、みんなはそうするけれど、僕はこうする。
僕は美術家なので、みんなと同じというのは基本的に嫌いなのだ。たとえ独り善がりで、ヘンテコリンだとしても、これからもできるだけ毎回悩みながら考えて、自分で決めることにしよう。