12月22日 空の高い、曇り。冬至。

 昨日の続きを書く。ここまで来たら、恥も外聞も捨てて、私の今の状態を公開せねばなるまい。しよう。しかし、書いてみて思うのだが、こういう事を、みんな、本当に、シビシビやって、解決してるわけ?ほんとに?電脳相手にこういう事を丁寧に続けられるって、それって仕事じゃなく趣味の領域だな。電脳生活ってそういうもんなの?さて、次の日に行く前に、その日の夜の話をしなければなるまい。話はまだまだ本論にはいれない。

 私は、家にも、ネットにつながった電脳を持っている。普段、電脳通信には使っていなくて、主にブログ関係をこちらですることが多い。前に話したとおり、O.S.Xで動いているそっちの電脳で、私は、今日昼間にiBookでやってみたことをやってみることにした。おお、何とすばらしい思いつきだろう、再び。こっちは、ネットに確実につながって作業は早い。手続きは順調に進んで(当たり前だけど)D.N.のホームページに辿り着き、メールサービスに行きますか?までは問題なく表示された。はいはい、行きますよ。これで、いらないメールをここから削除すれば、全ての問題は解決だあ(何回これを言ったことだろう。そして何回意気消沈したことか)。でね、潜り込みのためのあいことばを送信するページへと進出した。ガーン!そこに現れたページは、確かに、アウトルックで辿り着いた見慣れたページと形は同じものだったのだが、書かれている文字が、全てエイリアン文字!だったのだ。そこではたと気付くのだが(遅い)、O.S.Xで使われているネット用のソフトは、私のブログ関係テクニシャンMr.Ameeご推奨の「サファリ」になっていたのだった。電脳活動ほぼ全てにわたって、こちらの方があちらの方より使いかっては速くて、良い。ただ、これにはだめだったのな。ああ、それで、あの初めのお兄さんは、「それなら大丈夫」って言ったのか(気付くの遅い)、なんてことだ。やや逆上気味に、私は、様々なところを開いていって、サファリの前に入っていたあのソフトを探した。その結果、おお!何と、(戻れなくなる前に)ハードディスクのアプリケーションファイルのはじっこに隠されていた、アウトルックエクスプレスのソフトを発見した。やった!さっそくそれをクリックする。「クラッシック環境に変えます」などという、ちょこざいな表示がでて、(ええい、早くクラッシックにするんだ。俺はクラッシックなんだ文句あっか!もう思考が混乱して荒い鼻息。)何かが機械の中でジジッとなり、元の画面に戻り、そして、そのまま何も変わらない。もう一度やっても、かわらない。そこに辿り着くために、何か簡単な方法があるのだろうということは推察できる。でも私には、もうこれ以上電脳と戦う(戦っていたのか?)根気がないのだった。結局どうしても、アウトルックを出すことはできないのだった。これ以上いじると、もともとの状態まで戻せなくなるのではないかというあたりまでいじった後、僕は、荒くなった鼻息で深い呼吸をし、再び、システム終了の手続きをして電脳の蓋を静かに閉じた。いったい、僕は、何回静かに蓋を閉じれば、あの豊かな?電脳生活にたどり着けるのだろうか。
 次の日、再びオレンジiBookの前に座った私は、インターネットエクスプローラーを開いた状態まで電脳を立ち上げた上で、決心も新たにD.N.T.S.C.に再び三度電話をかけた。今度は女の人が(すぐに)出て、状況を話したら、「ああ、昨日もお電話いただいた方ですね」とか言われ、「昨日の係に回しますから待っててください」といわれてしまう。いやはや、俺って、この人達の間では「ああ、あの人」になってしまったのだなあ。しばらくぶり?で話す彼は、冷静だった。「インターネットだと詰まるようだから、メールで入りましょう」。えっ、メールで入るって何が、どこへ?
 まずメールソフトを開いてメール送受信の画面を出す。インターネットには繋いでおくが、送受信はいじらない。左端のメニューが並んでいるところの下の方、アドレス帳の次にあるアイコン(僕の場合、そこは、僕のログインネームが書いてあった)をクリックする。それを送信すると、おお何と、僕の私書箱に入っている手紙のリストが全部表示されるではないか。
 本当のことを言えば、ここに至るのが簡単にいったわけでは、全くない。違うメニューや、ツールバーでの操作が若干必要だった。どこかの状況設定で何かを表示しないようにして、そこのツールバーの何かのチェックを外す操作を、幾つかの初期設定で繰り返す。操作をするたびに、リターンを押して実行し、画面が動かなかったり変わらなければ、次のメニューのクリックを外すというような。問題は、携帯電話を耳に、興奮して緊張しながらやっていた私が、今となっては、それらの手順をほとんど忘れてしまったと言うことだ。ま、何はともあれ、様々な難問難関?をくぐり抜けて、メールの画面に僕の私書箱に来ている電脳通信の全てのリストが表示された。既に、受信できなくなってからも日にちは重ねられているわけだから、その数は500を少し超えていた。いやはや再び。「で、削除をクリックしたら、ツールバーの、、」というところで携帯が、突然ぷつりと消えた。見ると、ここまで既に36分だか話し続けていたのだった。なぜか、僕の古い携帯は、このように、突然ぷつりと機嫌を損ねる癖が最近出てきた、特に大切な会話が始まるあたりで、いつも。ま、しかし、ここまで来たのだから、後はしばらく自分でやってみよう。なんて簡単にいくならあのお兄さんたちはいらないのだ、ということがすぐわかる。消えないんだなあ、これが、びくともしない。削除のチェックを入れて、その後が動かない。しょうがないので、再びを越えて三度四度、お兄さん達に電話する。解決法は、ツールバーの「表示」にあった。「表示」を「更新」するのだと。これって、みんなすぐわかることなの?表示が更新されると、表示から削除されたメールが消えた新しいリストが表示される。なるほど。というより「何やってんだよ、おまえ(この場合電脳ね)は」という感じの方が、僕には強い。
 さて、やっとの事で、話は終わりに近づいた。500通を越えていたメールは、いらないものを消したら6通になった。そうだよなあ、3日でこのぐらいが、僕としては順当なところだ。ここまで来ればメールソフトは、何事もなかったように動いている。まったく。何かある人は、どうぞ僕の個人アドレスにメールを下さい。アドレスわからない人は、すまぬ、まず手紙を下さい。訪ねてきてくれても良いし。僕は、仙台にある宮城県美術館の創作室に「美術と美術館 何でも相談係」としています。
 
 私の意識できる世界では、「効率がいい」とか、「速い」とか、「簡単に」とか、「楽だ」とか、「みんなと同じに」とかの概念は、このような状況で終始する、ということが今回わかった。これが、「老人力がついた」と言うことなのならば、よおし、なかなか嬉しいことでないの。ではね。長い与太話につき合ってくれてありがとう。もうここまでくれば、こういう話は、この後書かずにすむのではないだろうか。

12月21日 ずうっと曇り。薄ら寒く、しかし今年は暖冬なのだなという日。

 ここしばらく、私からの電脳通信は途絶えていた。メール機能の送信は動くのに、受信がびくともしなくなったのは、十日も前のことだったろうか。そして、今日から再び、電脳通信は動き出した。手紙出したのに、返事来ないなという人がいたら、すまぬ、そういうわけだったのだ。どういうわけだったのかを以下に書こう。

 まず、二週間ほど前から、私のブログに、意見を書き込む人が急に増えた。特定の日時の文章に返事を書いてくる。このトラックバックというシステムでは、書き込まれた意見は、私の個人用のメールボックスにまず回送される。僕は、ほぼ毎日電脳をおこした朝一番に個人用電脳通信受信箱をのぞくことにしている。しかし、その日は、三日ほど覗いていなかった次の日だった。画面は出てきて、受信箱も出てきたのだが、しかし、そこまでだった。中には何も入っていない。三日も開けていなかったのだから様々なメールで一杯になっているはずの受信リストは、しばらく待ってみても真っ白のままだった。なんかいやあな感じがしますよね、こういう時って。
 何回かピーラムをしながら再起動をしても、そこは白いまま。さてみんな、どうするもんなのこういうときは。私は、静かにiBookの蓋を閉め、一日待ってみたのだった。もちろん、翌日になってもまったくなんにも変わりませんね、こういうことして(しなくて)も。
 順当な手続きとして、僕はボンダイブルーのiMacを買って以来のドリームネット(D.N.)使用者なので、次にそこのテクニカルサポートセンター(T.S.C.)に電話をすることにした。しかし、買って以来と言うことは、加入したのは十年ほど前なわけで、そのころの契約書(連絡を取るための様々な「暗号」が書いてあるヤツね)を、まず探し出して引っ張り出さねばいけないのだった。結構時間を食った。で、次に暗号が色々各種書いてある契約書を手元に置いてD.N.T.S.C.に電話を入れ、あいことば(パスワードと言ったりもする)を言って私が私だということを信用してもらい(思ったより時間は食わなかった)状況を話すと、それでは、まず、通信を預かっている郵便局側(サーバーとかいうの?)の電脳に手紙が来ている状況を見てみましょう、たぶん、私書箱がぎっちり一杯になってつまってんで動かないんじゃないかな、という答だった。そして(親切にも)、Webメールという方法で、僕の私書箱を、外から覗く方法を教えてくれた。ただ、教えてくれた時に確認されたのは、僕の電脳のOSが9.2で、電脳通信はアウトルックエクスプレスで行っていること。そしてそれらが「モデム」で外とつながっていると言うことだった。「ああ、それなら大丈夫でしょう」D,N,T,S,C,のお兄さんは元気よく確信的にそう言ってくれた。いったい何が、なぜ、大丈夫なのか、その時には、気にも留めなかったのが、私の電脳限界だったのだということは、後々わかってくる。
 彼の言ったとおりの順番で進んで、僕はD.N.のWebメールにたどり着いた。幾つかのあいことばを入れて、僕の私書箱を開いてみる。すると、開くんだなあこれが。誇らしく、ちょっと感動しながら読む。そこには、470通ほどのメールが届いていますよということがわかった。その内の10通が同じページのリストにはでている。お兄さんに教えられたとおり、まず、そのリストの表示数を10通から100通に増やしなさいという信号を送った。彼がいうには、その方が仕事が速いということだった。iBookは一瞬間をおいて(ここで、何かに気付くべきだったのだ、後の祭り)その仕事を始め、何とか(という風に、私には感じられた)もの凄い(と私には感じられた)長さの(そして、あとこのほぼ四倍の長さが続く)リストを表示し直した。メールは、最新着のが一番先頭に来るように表示されていた。各メールの頭にチェックボックスが付いていて、僕は、そこに、次々にチェックを入れていった。来ているほぼ全てが泡通信だったのだ。チェックしながらリストをしばらく進んだ頃、僕はふと不安になった。iPodに音楽をコピーしたとき、まず一気にライブラリの音源を全部入れて、不要な曲をそこから削除ようとしたとき、いっぺんにたくさんの削除をすることになって電脳のほうがギブアップしてしまったことを思い出したのだ。ううむ、私も、経験を積んできたものだ。そこで、まず削除のチェックはそのへんまでにして置いて、ここまでチェックしたメールを削除する、というのを試験的にやってみようと思ったのだ。ほんとに消えるんだろうか。で、こういうとき、みんなは、どうするのだろう?僕は、ページの先頭に戻るんだよね。そこに削除するための何かがあると思うんだよなあ。でも、ないのな、戻ってみても。ページの左隅から右隅まで(ここでやめてしまうのが、僕の電脳生活の限界なのだ、再び)くまなく探してもない。いろいろクリックしてもない。あんまりさがしすぎると、元に戻れなくなることが、僕の場合あるので、僕は軽く電脳の蓋を叩き、システム終了をして、再び静かに蓋を閉じたのだった。再び、多いねえ。
 次の日、決心し、心構えも充分に再びD.N.T.S.C.に電話を入れる。ここへのつながりは結構素速い。違うお兄さんがでた。状況を話し相談にのってもらう。電脳を立ち上げネットワークに参入し、Webメールに辿り着き僕の私書箱を開く。ここまでを、携帯電話を耳に当てながら、彼の指示と一緒に進めていく。受信リストは、昨日のままだから百通だ。いらないメールにチェックを入れてください。はい入れました。では、リストの「最後」を見てください。ええっ!最後なんですかあ?「はい、最後の所に、チェックしたメールを削除、という箱がでます。そこの所をクリックすると次に削除の確認画面がでますから、それを実行すれば削除できます。そうかあ、最後だったのかあ。なんだか疲れがどっとでて、すごく時間食ったなあ、という気分。
 これで、全ての問題は解決だ!!(再び)意気揚々と百個の泡通信にチェックを入れていく。入れ終わり、リストの最後にくっついていた「チェックされたメールを削除」をクリック。ヒヤッホウ!ガードされていない情報を今、Webの中に流しましたよ、いいですね。という警告と供に、時計が回り始める。時計はずうっと回り続ける。回り続ける。回り続ける。ね、だから、100個いっぺんにてのは、無理でしょう?と何となく思い始めるくらい時間がたった頃、画面上に、アクセスに失敗しました、何番だかのエラーが発生しました、の文字が出現。まったくなあ。わかったわかった、ここまでは上手くいったのだから、もう一回始めからやってみるよ。では、最初の画面に戻る。おお戻った。待てよ、最新着の受信メールから表示されるので、消すのが大変なんじゃないか。並べ方を変えて、古い方から表示してもらって、いっぺんに100じゃなく、古い方から10づつ消していく方が、僕の電脳にはいいんじゃないか、おお、何とすばらしい考えだろう!最初の画面には、並べ替えの選択ができる表示もでてることだし。僕は、100通表示を10通表示に戻し、しかも、古い順に並べるようにという指示をサーバーの電脳に発信した。再び、指示をWebの闇へと解き放すけどいいね、という問いかけがでて作業は開始され、時計は回り始めた、再び。回り始めた、回り始めた。このあたりで僕は、何かもう一歩踏みこんだ所に気付くべきだったのだ。しかし、時計がまわっているときに、何をどうすればどうなるのかについて、僕は、ほんとに何も知らないのだ。待つしかない。最終的に、この指示は、どこかで止まってしまって、アクセスできませんでしたの表示、再び。なんか時間食うなあ。僕は、深いため息とともに作業終了の手続きをし、静かに電脳の蓋を閉じた。いったい、この話に終わりは来るのだろうか。僕の精神衛生上、今日の報告はこの辺までにしたい。

12月9日 曇り。冷たくみぞれが降りはじめ、今は小雨。

 ブログに文章をアップするというだけで、私が、いかに七転八倒できるか(したか)についてこの前書いたが、読み返して、OSX(この場合オーエス・テンね)を巡る騒動について書き忘れていたことに気付いた。

 ブログの更新の話だけだったらたいしたことではないのだが、心ならずもiPodなどを手にしてしまったために、それまで「これで人生終わってもいい、これいじょうのOSなんてないんじゃないか。なんかXになるとすっかり使い方変わるみたいだし」と、頑なに変えていなかった、手持ちの電脳のOSをXに変えなければいけなくなった。普段手元に置いて主にワードプロセッサで使っているシェルにはOS9,2が入っている。これで文章を書いてシンプルテキストに写し、そのファイルをiPodに載せて、WebにつながっているパワーブックG4に持っていく。これで全ての問題は解決だ(何か新しいことをやるたびにそう思うのだが)と、iPodをG4に繋いだとたん「このなんか分かんない機械(iPodのことね)は、OSXでなければ私は受け付けられないのよ」と、彼女は言うのだな。シェルでは動いたくせに、新しいのになると、何だかだめなのだ。そこで、それまで起動ディスクを9にしていたG4のオペレーショソフト(OS)をテン(X)に換えることにした、と言うより変えた。しかしそれでも、iPodは動かない。こういうのほんとに動揺するよねえ。色々電話したり開いたりのぞいたりしてわかったことは、既にOSXはグレードアップしていて、最初に入れたバージョンではこのiPodには役不足なのだということがわかってくる。そんなこと最初から言ってたでしょう、みたいなことをPCが言ってくる。うるせい、この野郎。この、なんだか、機械の方が正しげに、人間のバージョンの古さを見下してくるような(ま、そう感じる私がおかしいのは重々わかった上でしかし)態度が、私はいやだ。なんて怒ったりしていても、何もらちがあかないので、アップバージョンのダウンロード(こうなると、これにかかる時間が、なぜか悠長に長く感じて、途中で強制終了してしまって、もっと大変な手間暇になったりしながら)というのをし、何とか先に進もうとするのだが、いざ動き始めれば始めたで、OSXの操作は、僕にとってその前までアップルのOSで積み重ねてきた経験とはまったく関係ないと言ってよいほどの変わり様で、とまどうことのみ多かりきなのだった。たぶん、PCとの付き合いを、もっと密に持っていて、ここがこうなってるともうちょっと使いいいのに、とか感じられるほどに使っていた人たちには、ものすごく使いやすくなっているのだろうなということは感じられるが、ほとんどワープロとメールを読むことだけに特化して?使っていた人には、最初からやり直すと思った方が早かった。何は、ともあれ、このように、ほうほうの体で、あの長い「美術の授業」は、ブログ上に出現したのだった。

12月4日急に来た冬の気持ちいい晴れの日。でも寒い。

 11月の末に公開した「美術の授業」は長い。これは、ある機会があって、主に美術や図工の先生用に書いたもので、公開はするが、全員読んでねというようなものではない。学校での美術の授業に、なんか違和感を持っていた人や、美術が嫌いだと思っている人は読んでもいいけれど、学校での美術の授業は大好きで、成績も良かったという人は、読まない方がいい。
 かいつまんでいえば、よく見るということは、実は自分の頭の中に見えるものを点検確認再構築することで、美術は、どこかに飾ってあるものではなく、実は各自の中に個別に既にある、というような、美術館の学芸員の間ではごく基本的な美術を、できるだけ直接、学校で教育するならば、どのようなカリキュラムが考えられるかについて今のところの私の考えを述べてみたものだ。だから、造形を中心としたこれまでの美術教育で良い成績をとっていた人には、たぶんつらいものがあるのではないかと思う。一方、そうでなかった人たちには、なあんだ、俺の方法で良かったんじゃんというような、そうか、そこんとこおさえておけばいいのか、ホッ、というような、感慨を持ってもらい、やっぱり、学校で美術(図工)やってて良かったと、思ってもらえればいいなあ、というための文なのである。

 書き終えて直ぐにアップしようとしたら、様々な問題が起こった。前の日記に何回か、「文章は既に何本かあるのだが、ちょっとした技術的な問題で遅れている」旨書いておいたが、その「ちょっとした技術的問題」が、いかほどのことであったのかをここに報告したい。私のブログは、この程度の状況で動いているのだ。
 まず、もともとの文章を、私は、ある場所で「オレンジ色のシェルiBook(私は彼女を愛している)」の「アップルワークス・ワープロ」で書いた。それをブログにアップするために、「ウエブにつながっている」別の場所にある「パワーマックG4 」に、メールの添付書類で送った。そのG4には「OS9.2」が入っていたのだが、何と、「アップルワークス」は「こんなもの今時使っている人はいないので、メモリーがもったいない」という理由で削除されてしまっており(PCの立ち上げをした人が私ではないのだ)、もちろん代わりに「ワード」が入れてあった。古いマックを使っている人には、わかる人も多いと思うが、マックで「マイクロソフト」の「ワード」を激しく使うと、なぜか「ワード」が壊れてしまうことが多い。僕の「シェルiBook」も何回か直したのだが、ついに壊れてしまい、「ワード」とマックのインターフェース(というのか?要するに画面の上部にでるツールバー)が、まったく働かないままになってしまった。そのため、もう直すのめんどくさいので、それまで使ってなかった「アップルワークス」なんかを使っていたのだ。
さてこれで、「アップルワークス」という封筒に入った書類(文章)は、G4 のデスクトップに届けられたが、これが開かない。動揺して、あっちゃこっちゃいじくり回して、何だか動かさなくてもいいところまでこじ開けたりなんかして、机上がごちゃごちゃになってきたあたりで、なんだ「アップルワークス」削除してあんじゃん、ということがわかる。人生とはそういうものなんである。で、わかったような口調で述べた、以上の事情が判明したのだ。ため息。
 では、「シェルiBook」の「アップルワークス」を新たに「パワーマックG4」に移せばいいのか。本当のことをいうと、実はこそっとやってみたのだけれど、アプリケーションを移すのは結構大変で、僕のやり方では、なかなかコンピュータがいうことをきいてくれないようなのだ。うんうん唸った末、「シンプルテキストに移して送ればいいんではないか」ということに思い至る。で、あの「美術の授業」全文を「すべてを選択・コピー」を選択して、「シンプルテキスト」のフレームに「ペースト」し、メールに添付して「G4」に送った。もう、これで万全だぜ、ルンルン、と思いましたね、その時は。しかしもちろん、話は、まだまだ続くのだ。
 今となっては、どっちのPCだったか忘れてしまったけれど、意気揚々と(本当にそうだったのだ)、メールの添付書類を開こうとしたら、PCが頑として「この文章は、私の管轄内では、このフレームには大きすぎて開けませんから、絶対開いてやんないもんね」というのだな。これはどういうことなんだ?君は、僕のコンピューターでしょう?僕を助けてくれるためのコンピューターでしょう?
 何とか、話を聞いてもらおうと、再び、様々唸ってみたが、私の知っている情報では、ほとんどお手上げ状態に陥っていく。あっちこっちに電話をし、そっちこっちの取扱説明書なんか読んでみても、意味がよく頭にイメージできず(今回、これが、結構多かった。僕の頭は、明らかに、アナログで、データをやりとりし、組み立てているのだ、文句あっか!、もう完全に混乱してきていた)、もうほとんど意地悪としか思えないごとくに動かない。わかった、わかった、あなたに言われるまでもなく、僕はもう充分お爺さんで、様々な形でまだら状認知症が始まっているんだなあ、などという切ない思いが頭をよぎっていく。
 万策つきたと思った僕は、ここで新たな攻勢に出ることにした。このあたりが、僕が僕である証明なのだ!なんて意気込んでもしょうがないが、いっそのこと「メモリースティック」で、文章を直接移してしまうことにしたらどうだろう。「でも、ここまで来て「メモリースティック」という卑怯?な手段を使うのなら、いっそiPodにしたらどうですか。あれって、メモリーにも使えんですよ」なんてことを耳元でささやくMr.Amee(僕のブログ関係テクニシャン。この人がいるので、このブログが立ち上げられた)。言っておくが、私は、アナログを自覚した男なのだ。すぐ前の段で、それを宣言したばかりじゃないか。だから、これまで、外付けハードディスク系音楽器機には、流し目さえもしないできた男なのだ。CDウオークマンで人生終了していいと決心していた男なのだ。でも、いい機会だから、iPod買っちゃおうかな、という意志薄弱な男でもあったのだ、ということがここで判明する。
 僕は、秋も深まったある日(だから外は既にもう真っ暗で人相がばれないのではないかと考えたのだが、売り場には電気がこうこうとついていて、それは間違いだった)の通勤帰り、ヨドバシによって(アップルストアより目立たないと思ったのだが、金曜日だったためものすごい人がでていて、それは間違いだった)、入口入ってすぐの売り場(どうしてiPodだけは、あんな目立つところにあるのだろう。そのほかのアップルは、一階のずっとはじっこのその裏の実に目立たない所にあるのに)の、しかしできるだけはじっこの所で、防水ラジオを買いに来たんだけど、ちょっと思いついたのでついでにというふりをしながら(成人向雑誌を買うとき一緒に椎名誠の文庫本を買うように)iPod シャッフルを買った。この報告は、実況中継のごとく本当のことで、いったいこの心持ちと態度はどこから来たのだろうと、あのときのことを思い出して、やった本人が苦笑いしながら書いている。僕は、アナログなんだという決心の最後のあがきだったのだろうか。ま、買ってしまった今となっては、まったくどうでもいいことである。さて、メモリースティックは手に入った。
 みんな、普通にiPodを持っているのだろうから、ここからの話は、よく知られていることなのだろうが、この歳で初めて手にした私には、様々動揺することが起こった。まず、PCが、この機械を動かすためには、このアプリケーションをまずダウンロードしないと動けない、と言ってきた。おう、結構なことではないか。でも、それをして繋ぐと、私のiPodは自動的に(もともとそうだという見方もあるが)、音楽器機になってしまったのである。ま、しょうがないので、若干音楽器機としても使ってみたら、これは、なかなか良いのである。針が飛ばない(どういう意味かわからない人は、これ以降読んでもまったくわからないおそれがあるので、これ以降は読まなくていいです)のが、信じられないのである。でも、入っている音楽が、前にこれを使っていた上の娘のストックからだったので、ほとんど被さっているものも多かったけれど、僕にはいらないものもかったから、少し整理をしようと思った。あすると、削除・編集が上手くいかないのだ。私が、やや急ぎすぎなのは重々承知しているが、でも、ちょっと(と、私には思えるのだが)間違うと、なぜか「初期化してやり直しなさい」がでてしまう。初期化しようとすると、「アプリケーションが古いのでできません」って、この前、ダウンロードしたばっかじゃん。その数週間の間に、新しいiPodがでていたのである。新しいのが出ると、操作はより簡便に変えられ、新たなダウンロードが必要になるらしい。ちょっとの時間の差で、私の機材は、動かなく(冷静に見れば、たいした手間ではなく、より簡便・便利になっているのだと、識者?は言うが)なってしまった。 という風に、私には感じられた。いやはや。この初期化に、又、様々しばらくかかる。私は、もはや、少しうんざりして、もう、この仕事(ブログの更新、文章のアップなどの件ね)からは手を引こうかなあ(全てを、再びMr.Amee に任せてしまおう)とさえ思い始めていた。11月10日前後、上の娘が、東京に出る用事で今住んでいる沖縄から一時戻り数日家にいた。このiPod問題は、彼女が家にいたその短い間に、あっという間の15分ぐらいで解決した。これ(彼女が来る前までの私の心の動き)は、霊長類の(老年の、と入れたい気も少しするが)♂としては、まったく反省すべきことである。こういうことを何とか自分でやってみるもんなんである。娘を動員するということを考えに入れてもいいから、何とかじみちに自分で楽しくやってみる。人間って、そういうことができるはずだったよなあ。何だか、上手く説明できないけれど、何だか、深く、しかし大変ポジティブに反省してしまった。反省は、後悔ではない。これからは、楽しくやろうと思う。
 なにはともあれ、iPodは稼働し、僕の音楽も入っているがしかし、メモリースティックとしても動くという具合になった。やれやれ。
 で、様々な感慨と感想を秘めつつ、この文章がアップできた。僕のような、アナログな人がブログを動かすと、こういうことが、裏で起こっている、という報告。