12月4日急に来た冬の気持ちいい晴れの日。でも寒い。

 11月の末に公開した「美術の授業」は長い。これは、ある機会があって、主に美術や図工の先生用に書いたもので、公開はするが、全員読んでねというようなものではない。学校での美術の授業に、なんか違和感を持っていた人や、美術が嫌いだと思っている人は読んでもいいけれど、学校での美術の授業は大好きで、成績も良かったという人は、読まない方がいい。
 かいつまんでいえば、よく見るということは、実は自分の頭の中に見えるものを点検確認再構築することで、美術は、どこかに飾ってあるものではなく、実は各自の中に個別に既にある、というような、美術館の学芸員の間ではごく基本的な美術を、できるだけ直接、学校で教育するならば、どのようなカリキュラムが考えられるかについて今のところの私の考えを述べてみたものだ。だから、造形を中心としたこれまでの美術教育で良い成績をとっていた人には、たぶんつらいものがあるのではないかと思う。一方、そうでなかった人たちには、なあんだ、俺の方法で良かったんじゃんというような、そうか、そこんとこおさえておけばいいのか、ホッ、というような、感慨を持ってもらい、やっぱり、学校で美術(図工)やってて良かったと、思ってもらえればいいなあ、というための文なのである。

 書き終えて直ぐにアップしようとしたら、様々な問題が起こった。前の日記に何回か、「文章は既に何本かあるのだが、ちょっとした技術的な問題で遅れている」旨書いておいたが、その「ちょっとした技術的問題」が、いかほどのことであったのかをここに報告したい。私のブログは、この程度の状況で動いているのだ。
 まず、もともとの文章を、私は、ある場所で「オレンジ色のシェルiBook(私は彼女を愛している)」の「アップルワークス・ワープロ」で書いた。それをブログにアップするために、「ウエブにつながっている」別の場所にある「パワーマックG4 」に、メールの添付書類で送った。そのG4には「OS9.2」が入っていたのだが、何と、「アップルワークス」は「こんなもの今時使っている人はいないので、メモリーがもったいない」という理由で削除されてしまっており(PCの立ち上げをした人が私ではないのだ)、もちろん代わりに「ワード」が入れてあった。古いマックを使っている人には、わかる人も多いと思うが、マックで「マイクロソフト」の「ワード」を激しく使うと、なぜか「ワード」が壊れてしまうことが多い。僕の「シェルiBook」も何回か直したのだが、ついに壊れてしまい、「ワード」とマックのインターフェース(というのか?要するに画面の上部にでるツールバー)が、まったく働かないままになってしまった。そのため、もう直すのめんどくさいので、それまで使ってなかった「アップルワークス」なんかを使っていたのだ。
さてこれで、「アップルワークス」という封筒に入った書類(文章)は、G4 のデスクトップに届けられたが、これが開かない。動揺して、あっちゃこっちゃいじくり回して、何だか動かさなくてもいいところまでこじ開けたりなんかして、机上がごちゃごちゃになってきたあたりで、なんだ「アップルワークス」削除してあんじゃん、ということがわかる。人生とはそういうものなんである。で、わかったような口調で述べた、以上の事情が判明したのだ。ため息。
 では、「シェルiBook」の「アップルワークス」を新たに「パワーマックG4」に移せばいいのか。本当のことをいうと、実はこそっとやってみたのだけれど、アプリケーションを移すのは結構大変で、僕のやり方では、なかなかコンピュータがいうことをきいてくれないようなのだ。うんうん唸った末、「シンプルテキストに移して送ればいいんではないか」ということに思い至る。で、あの「美術の授業」全文を「すべてを選択・コピー」を選択して、「シンプルテキスト」のフレームに「ペースト」し、メールに添付して「G4」に送った。もう、これで万全だぜ、ルンルン、と思いましたね、その時は。しかしもちろん、話は、まだまだ続くのだ。
 今となっては、どっちのPCだったか忘れてしまったけれど、意気揚々と(本当にそうだったのだ)、メールの添付書類を開こうとしたら、PCが頑として「この文章は、私の管轄内では、このフレームには大きすぎて開けませんから、絶対開いてやんないもんね」というのだな。これはどういうことなんだ?君は、僕のコンピューターでしょう?僕を助けてくれるためのコンピューターでしょう?
 何とか、話を聞いてもらおうと、再び、様々唸ってみたが、私の知っている情報では、ほとんどお手上げ状態に陥っていく。あっちこっちに電話をし、そっちこっちの取扱説明書なんか読んでみても、意味がよく頭にイメージできず(今回、これが、結構多かった。僕の頭は、明らかに、アナログで、データをやりとりし、組み立てているのだ、文句あっか!、もう完全に混乱してきていた)、もうほとんど意地悪としか思えないごとくに動かない。わかった、わかった、あなたに言われるまでもなく、僕はもう充分お爺さんで、様々な形でまだら状認知症が始まっているんだなあ、などという切ない思いが頭をよぎっていく。
 万策つきたと思った僕は、ここで新たな攻勢に出ることにした。このあたりが、僕が僕である証明なのだ!なんて意気込んでもしょうがないが、いっそのこと「メモリースティック」で、文章を直接移してしまうことにしたらどうだろう。「でも、ここまで来て「メモリースティック」という卑怯?な手段を使うのなら、いっそiPodにしたらどうですか。あれって、メモリーにも使えんですよ」なんてことを耳元でささやくMr.Amee(僕のブログ関係テクニシャン。この人がいるので、このブログが立ち上げられた)。言っておくが、私は、アナログを自覚した男なのだ。すぐ前の段で、それを宣言したばかりじゃないか。だから、これまで、外付けハードディスク系音楽器機には、流し目さえもしないできた男なのだ。CDウオークマンで人生終了していいと決心していた男なのだ。でも、いい機会だから、iPod買っちゃおうかな、という意志薄弱な男でもあったのだ、ということがここで判明する。
 僕は、秋も深まったある日(だから外は既にもう真っ暗で人相がばれないのではないかと考えたのだが、売り場には電気がこうこうとついていて、それは間違いだった)の通勤帰り、ヨドバシによって(アップルストアより目立たないと思ったのだが、金曜日だったためものすごい人がでていて、それは間違いだった)、入口入ってすぐの売り場(どうしてiPodだけは、あんな目立つところにあるのだろう。そのほかのアップルは、一階のずっとはじっこのその裏の実に目立たない所にあるのに)の、しかしできるだけはじっこの所で、防水ラジオを買いに来たんだけど、ちょっと思いついたのでついでにというふりをしながら(成人向雑誌を買うとき一緒に椎名誠の文庫本を買うように)iPod シャッフルを買った。この報告は、実況中継のごとく本当のことで、いったいこの心持ちと態度はどこから来たのだろうと、あのときのことを思い出して、やった本人が苦笑いしながら書いている。僕は、アナログなんだという決心の最後のあがきだったのだろうか。ま、買ってしまった今となっては、まったくどうでもいいことである。さて、メモリースティックは手に入った。
 みんな、普通にiPodを持っているのだろうから、ここからの話は、よく知られていることなのだろうが、この歳で初めて手にした私には、様々動揺することが起こった。まず、PCが、この機械を動かすためには、このアプリケーションをまずダウンロードしないと動けない、と言ってきた。おう、結構なことではないか。でも、それをして繋ぐと、私のiPodは自動的に(もともとそうだという見方もあるが)、音楽器機になってしまったのである。ま、しょうがないので、若干音楽器機としても使ってみたら、これは、なかなか良いのである。針が飛ばない(どういう意味かわからない人は、これ以降読んでもまったくわからないおそれがあるので、これ以降は読まなくていいです)のが、信じられないのである。でも、入っている音楽が、前にこれを使っていた上の娘のストックからだったので、ほとんど被さっているものも多かったけれど、僕にはいらないものもかったから、少し整理をしようと思った。あすると、削除・編集が上手くいかないのだ。私が、やや急ぎすぎなのは重々承知しているが、でも、ちょっと(と、私には思えるのだが)間違うと、なぜか「初期化してやり直しなさい」がでてしまう。初期化しようとすると、「アプリケーションが古いのでできません」って、この前、ダウンロードしたばっかじゃん。その数週間の間に、新しいiPodがでていたのである。新しいのが出ると、操作はより簡便に変えられ、新たなダウンロードが必要になるらしい。ちょっとの時間の差で、私の機材は、動かなく(冷静に見れば、たいした手間ではなく、より簡便・便利になっているのだと、識者?は言うが)なってしまった。 という風に、私には感じられた。いやはや。この初期化に、又、様々しばらくかかる。私は、もはや、少しうんざりして、もう、この仕事(ブログの更新、文章のアップなどの件ね)からは手を引こうかなあ(全てを、再びMr.Amee に任せてしまおう)とさえ思い始めていた。11月10日前後、上の娘が、東京に出る用事で今住んでいる沖縄から一時戻り数日家にいた。このiPod問題は、彼女が家にいたその短い間に、あっという間の15分ぐらいで解決した。これ(彼女が来る前までの私の心の動き)は、霊長類の(老年の、と入れたい気も少しするが)♂としては、まったく反省すべきことである。こういうことを何とか自分でやってみるもんなんである。娘を動員するということを考えに入れてもいいから、何とかじみちに自分で楽しくやってみる。人間って、そういうことができるはずだったよなあ。何だか、上手く説明できないけれど、何だか、深く、しかし大変ポジティブに反省してしまった。反省は、後悔ではない。これからは、楽しくやろうと思う。
 なにはともあれ、iPodは稼働し、僕の音楽も入っているがしかし、メモリースティックとしても動くという具合になった。やれやれ。
 で、様々な感慨と感想を秘めつつ、この文章がアップできた。僕のような、アナログな人がブログを動かすと、こういうことが、裏で起こっている、という報告。