人間として学ぶべき事は、
地球の上で生き延びる方法。

それが全て。その一部に学校教育もはいってくる。

学校で学べる事は、
本当にごく一部だ。


2015年12月25日  
青空の多い高曇り。乾いた生暖かい空気。

前の更新以来何をしていたのだろう。最近あっという間に時間が過ぎる。ラジオを聞いたり、新聞を読んだり、テレヴィを見たりするたび、瞬間的に様々思うのだけれど、それに積極的に働きかけないでいる自分がいる。昔のブログだと「その理由はあれだ」と続くのだけれど、今はそんなに単純ではない事を知っている。身体も昔のようには動かなくなってきた。でも、様々なことが起こって、様々な事を考え、決め、今日がある。さて。

17日(木)に福岡市美術館のO本さん企画の、極個人的新人学芸員美術館教育研修会が宮城県美術館にやってくるというのが、僕にとっては、今年の12月のメインイベントだった。ので、その日に向けて体調と意識を整えておくつもりだった。

だったのだがひとつ前の週の10日辺りから、毎日美術館の活動が重なってき始めた。
しばらくぶりで仙台に戻ってきた長野県の美術館の学芸員と会って話を聞いたり、市内でやっている農業を中心に据えている子供のアトリエから、少しハンディキャップのある4歳の子供が二人、その両親と一緒に粘土遊びをしに来たり、通常活動としてのの美術探検があった。
何だか毎日忙しいなと思っていると、金曜日に電話が来て、13日日曜日に、僕はそあとの庭で子供の活動をする事になっている事が解った。ううむ、その日の午後に、今年10月にやった、石巻でのエイブルアートとの活動のまとめの集会がメディアテークでする事になっている。完全な、絵に描いたようなバッティング。しかもその日は、全国実業団女子駅伝。すでに光のページェントが始まっていて市内は連日大渋滞。
そあとの庭はまだ賃貸契約で場所を借りているので、庭の状況は大変良いのだが、庭にある木を勝手に切ったりしてはいけない。子供達に「倒れるぞう!」をやって見せたいのだが、これまでは庭にある太い孟宗竹を使って、太い木を切り倒すというのをやって見せていた。それが庭にある太い二股の松の木が枯れてしまったので、枝が落ちると危ないから切り倒しても良い事になった。古い電気式のチェーンソーを研ぎ直して油を注し、切れる
斧と鋸も用意し、準備万端。前の日にそあとの庭に道具類を運び込んでおいて、当日はモーターサイクルで午前中そあとの庭。午後にメディアテークに移動。という計画を立てた。万全。とはいっても、僕の今乗っているモーターサイクルはクロスカブ。何はともあれカブなので、排気量が小さく西道路のトンネルは使えない。そういう時に限って少し雨が降ってきたりする。いやはや。
とは言え、「倒れるぞう!」は凄く面白かった。一番の年長者が、4年生の女子1名。その次3年生の女子1名。あと年長さん達。みんな一生懸命、真剣、大興奮。メキメキと音がして、太く大きな松の木が芝生にめり込んで倒れるのは、やっぱり子供の時にいっぺん見ておかないと。皆と一緒にそあとの美味しい昼飯を食って、八幡町経由で、必死に定禅寺通りへ。時間ピッタリ到着。
エイブルアートの会合は、最後のまとめだから、展示も、集まっている人もいつものメンバー。ディレクショングループハルケンのケンちゃん(芸工大の先生)も出ているので、僕の出番はないに等しい。午前中興奮してはり切ったので、凄く眠くて困った。
次の日は月曜。午前中明美さんの病院。歳とるとこれが結構大変。午後、Mr.Ameeが来て電脳点検。アップルからのお知らせかと思っていたら、単なる悪徳商売だったりするのが判明。MacKeeperのことね。困ったもんだ。
火曜日は例の女子大の図工の授業。朝5時起きで1時間目へ。今回は外の芝生で新聞紙を使ってUVシェルターを作る課題。これは毎回盛り上がる。新聞紙シェルターは結構暖かい。
水曜日は珍しくこれという予定ははいっていないので、火曜、というより水曜の0時からのアメリカンフットボール中継を起きていて見る。僕は未だヴィデオレコーダーを持っていない。眠くなったら寝ようと思って、風呂に入って何時でも寝られるようにしていたのについ興奮して最後まで、という事は3時まで、見てしまった。これが後々効く事に、この時は気付いていない。そうこうして、予定の17日がやってきたのだ。いやはや。

とにかく宮城県美術館の美術探検と美術館探検を見るために、(張り切って言えば)日本中から教育担当の人達がやってきた。創作室のテーブルの上には様々な地方の名物お菓子の山。早く全部食ってしまって証拠隠滅。午前中大島君が理論をずうっと話してくれていたので、実践は楽勝。夜は駅前のイタリアン居酒屋で会食。結構個別に質問しにくる人もいて比較的有意義だった。10時の電車で帰宅。次の日早く寝る。
金曜は、先週来た農業中心子供アトリエ関係者の勉強会。先週のまとめをきちんとしてきていて、細かい質問を徹底的にされた。僕も凄く勉強になる。
土曜が、僕の今年の最終出勤日。美術館は23日で閉館し1月21日までメインテナンス休館。その間僕はほぼ休みだが、1月11日に福岡に移動し、12日九州産業大学美術館で美術館教育のお話しと実践。次の日帰る。それで、だいたいお仕舞い。

こういう風に振り返ってみると、僕は、美術館教育を巡るお話しをもう一度振り返り、文章に残しておくべきなのかと思えてくる。大きな羊の使い方の本はまだたくさん僕の所に残っているけれど、今読んでみると、あそこから又一段とクリアになったことも結構あるように思えてくる。でもなんか、集中力が、なくなってきているようにも思えて、ウジウジしている毎日だ。






困ったら基本へ。

基本へ広く深く。
そのための勉強。


2015年12月 4日 
岩沼日の射す曇り。仙台湿った空気、厚い雲。時々大粒の雨。

全くしばらくの間、このブログのことを忘れていた。こんなに長い間書いて(更新して)いなかったということに昨日の夜気がついた。いや気にはかかっていたのだが、書かないでいた。ま、しょうがない。9月10月11月と何やかや忙しかったのだ。9月に、大蔵山のワークキャンプが終わったと思ったら、石巻を中心にエイブルアートの活動が始まり、頻繁に(ほぼ毎週)石巻に通うようになった。車でも行ったが、電車でも。電車だと行き帰りのバリエーションが最近では大きく広がるので面白かった。もちろん行けばそこには毎回新しい発見があって、面白く毎日が過ぎた。そうこうしていると、大学の後期の授業が始まり、毎週火曜日、仙台の北東にある市立の女子大の1時限めに通うことになった。だからその日は家を7時には出なければいけない。ということは5時には起きなければいけないということだ。小学校教員養成過程の図画工作。前に羊の本に書いたのとほぼ同じ授業内容。そんなこんなで、明日書こう明日書こうと思っている間に、ふと気がつくと今日。いやはや。

1月中旬に九州博多九州産業大学美術館によばれていて、美術館教育のお話をする。2月になると沖縄県立芸大で博物館教育の集中講義。博多は、新幹線で行きたかったのだが、やはり大変に遠く、時間のやりくりがつかず飛行機で行くことになった。沖縄はもちろん飛行機。最近の僕は旅行会社は沖縄ツーリストしか使っていない。何やかにやで、それらの切符を買ったりするのに1日かってしまったりするので歳とるってのは面白い。




















楽天的だというのは
解った上で、しかし
マナーがあれば、
ルールはいらないという生活。

ルールばっかりに、
なってはいないか。

2015年 9月26日 
冷えた湿った空気。明るい曇。

最近反応が遅い。思えばもうすぐ9月が終わる。又1ヶ月以上ブログの更新をしていない。毎日想う事は様々あるのだが、起こる事の一つ一つの根が深く、その事について考え始めると、その根の深さに愕然としてしまって、しばらく腕組みをして時間が経ってしまい、文にならないままここまで来てしまった感じ。季節は長袖になってしまったというのに。

今日までの日録。8月16日から丸森の大蔵山で第4回ワークキャンプが始まった。このひとつきの美術館勤務でない日はこの活動を中心に動いた。何回も作業を見に行ったが、知ってのとおり今年のこの時期、ほとんど雨(ある時は大雨避難警報)だったので、赤土の上を重機が動く巨大石造物制作現場は、物凄い事になっていて、僕は呆然と離れてみていただけだが。
とは言えその合間をぬって、SOUP(障害者美術支援活動)やそあと(地元美術家支援活動)の活動が入り、主に日曜日は何やかにや活動があって、石巻や宮城インター近くの郷六の林の中に出かけた。
この時期に重なって、地元の女子大学の後期から始まる授業(初等図工科教育法)の手続きが始まり、書類提出のお知らせが来る。ただ、最近では書類の詳細を読んで、それに従って書類を作成し、提出するのは、全部電脳経由になっている。みんなにはより簡便なのだろうが、僕には凄いストレスになる事が多い。結局教務の人に電話したりしながら、何やかにや組み立て、結局学生には自分でコピーした紙のを持って行くことになったりする。
もちろん、美術館は芸術の秋だから、手の抜けない?(まだ現役だった頃に来ていた幼稚園の人達が、齋さんとやりたいと言ってきて美術館探検を粘土作りまで=美術館探検フルコースというだけだが)日が、何日か続く。
そういう毎日の中だからなかなか日にちのやりくりがつかず、疲れを無視して空いた休日を使って、山形に木工家(僕の家の基本的な家具を作ってくれた酒田のK原君)の個展を見に行く。普通の日に山形に行くと、目的が終わったあと、つい街を巡り歩いてアッチコッチの横丁に入ってしまう。今回は山形東高出身(という事は旧市内はテリトリーという事だ)の若い友人が一緒に居てくれたので、いっそう面白そうな雑貨屋を見たり美味い御飯屋で昼飯を食ったりすることができた。そうこうするうちに時間が来て山形新幹線(僕は昔から、車体そのもの沿線の景色や佇まいなど全てが何だか好きなのだ)で福島に出て、様々な方法で岩沼に帰るということになる。普通は阿武隈急行を使うのだが、今回は東北本線で福島から仙台行きの普通列車。福島からは普通白石で乗り換えになるのだが、一日何本か仙台直通というのがあって、新幹線から降りたらちょうど時間ピッタリだった。
20日からのいわゆるシルバーウイークには、何人かの友人がかわりがわり赤ん坊連れで泊まりに来たりして、毎日活気溢れる日々だった。普段は静かな家の中に、何かおばけが見えるんじゃないかと思えるような8ヶ月の赤ちゃんの泣き声が響き渡る。

そうしてこの9月最後の木金土の出勤日が、余っていた夏休みに当てられて休みになった。で、木曜はこれまでずうっと留守番だった明美さんを連れて村田の歴史未来館に「オオカミ現る」展を見に行き、猫神から始まって、オオカミ(大神)に至る自然と僕たちとの関係に深い想いを考え、村田から東北道に乗り国見で降りて115号線で東に走り、相馬から常磐道に乗って遠回りをして岩沼に帰ってきて、昨日は多賀城の歴史博物館に電車で行って、人間国宝展を見、芸術と工芸の違いに心から震え、今日やっと一日何もしなくていい日という訳でこれを書いている。


という毎日の中に、物凄い雨が降って、堤防が各地で決壊し、デザインはこれで良いのかという問題が起こり、信じられない方法と方向であっという間にある方向を向いて決着し、それらは、実はこれを皆に深く考えさせないためだったのかというような、酷い政治の動きがあり、僕の回りの社会も動いて行った。多数決や、専門家や、公共という概念自体が、いかに誰かによって作られているかという事が、しみじみ思われた。自立した市民になる/市民でいる事/ための普段からの動き。これらを気にせず生きるとき、自己ができる事、そこにいる事の難しさ。今そこにある事を、考える毎日だった。

人類そのものに直接通用する
思想性。

学ぶ事の目標。



2015年 8月17日 
飽和水蒸気の空気。
雨時々曇り。

朝1番で明美さんの病院。その後、ほぼ1日大蔵山ワークキャンプ第1日目を観察。

この前の土曜日に、しばらくご無沙汰だったO泉君が美術館の創作室を訪ねてきた。「やあ生きていましたね」と言う。ううむ、そういえば、僕はしばらくブログの更新をしていなかった。この前のブログの日付は7月22日。以降このほぼ1ヶ月、通常の木金土曜日の美術館出勤日はまさに通常の活動をこなしたが、それ以外の日にも、この時期何やかや活動が重なった。

8月5日、石巻の小学校の先生達の生活科と総合学習の合同研究会(@前谷地小学校)に呼ばれて、アクティブラーニングを巡る考え方を含めたお話し。せっかく石巻の前谷地に行くのだから前日移動してフタバインというお気に入りのBBホテルに泊まって石巻をウロウロする。様々考える所あり。
行き帰りを仙石線と仙石東北ライン利用。仙石線には、もう石巻行き快速はなくなってしまったのだなあ。様々考える所あり。
そうこうしている所に、母方の義理のおばさんが死んだという連絡が入り、どさくさだが、考えてお通夜に喪章での出席を行う。様々考える所あり。
その週の土曜日、再び石巻に呼ばれ、エイブルアートジャパンの人達との活動。石巻ですでに長い間やっているハンデキャップの人達との美術活動を見学させてもらう。様々考える所あり。
10日を過ぎると、16日から始まる大蔵山ワークキャンプに参加する作家が様々な国や所から、様々な方法で様々に集まり始め、その出迎えなどが始まる。活動が始まる前なのに様々考える所あり。
今回のワークキャンプは、そのワークキャンプというコンセプト自体を含め、なかなか興味深い。始まりの1週は、ほぼ毎日ミーティングになるだろうとの事。なので、今日出かけた。もちろん様々考える所あり。静かに見続ける。8月29日土曜夜17時からだったか、丸森の齋理屋敷でトークショウが予定されている。
もちろんお盆が始まるので、今年は子供達が帰ってきた。去年は一番下の人が生まれたばかりだったの来れなかったのだ。で、その団体には、3歳の大変性能の良い子供(孫)が含まれるので、これはこれでヒト騒動。様々想う所あり。

という合間をぬって、月2回、岩沼中央公民館でやっているデッサン会に夜参加。僕は未だ自分以外の何かを見たいのかを確認中。

そして人間の社会は、こういう僕の毎日とはまったく関係なくしかし、様々考える所の多い変化を見せている。何も書けないが書ききれない毎日が過ぎている。少しずつ書くべき事を、少しずつ書き始めなければと思う。





有機無機に関わらず、
地球上のすべてのものは、
人間の理解を超えて、
深く関係を結んでいる。

大切に使うということ
それを意識する事ではないか。


2015年 7月22日 
快晴。くっきりとした日差し。汗が乾かない空気。

以下の文は15日に書き始めた。その日は充分に乾いた空気の高曇りだった。
明日から台風が来るという予報が出ていたので、快晴だった本日午前中、いつも行くグリーンピア遊歩道一回りをしておくことにした。お昼過ぎ大河原のK栖(個人的にお願いしている珈琲焙煎屋)さんが、頼んでいた珈琲豆を配達に来るという連絡をもらっていたので、それまでの数時間、初夏の林の中を歩き、できたら千貫七不動の三色吉まで行ってみる、というゆるい計画。
すでに気温30度程で、初夏か?とは思うが、できるだけ簡単に、裸に近い格好で出かける。ビルケンシュトックのバックストラップの付いたサンダル。Tシャツにパタゴニアのスタンダップショーツ。日除け垂れの付いたツバの長いキャップ。この格好だとポケットがほとんどないので、小さい木綿のポシェットに携帯とメモ帳を入れたのと、麻で編んで作った500ccのペットボトルホルダーをたすき掛け。あと、自家製の長い散歩杖。カングーで、途中の駐車場まで行き、体操もせずに出発。
今回は、時間がないので北側だけ。グリーンピアの職員宿舎裏作業道から始めてシーダーの道に入り、小鳥の道から氷室の道に曲がり、金蛇神社の七堤に出て、その向かい北側の新しい岩沼市の遊歩道を登り、山頂のT字路を左に曲がって、旧産廃処分場の舗装路に出て三色吉の方に降り、道路からちょっと降りた所にある不動の滝を見て戻り、堤の上の入り口からグリーンピアに戻り作業道を戻って来る、という計画。
シーダーの道は普段パスする所なのだがしばらくぶりで歩くと針葉樹がだいぶのびて来ていた。下草の手入れ(これは全般に言える)が上手くされているので、木漏れ日が大変に気持ち良い。道は整備され、硬くしまった粘土質の道に軽く細かい砕石がしかれ、そこに部分的に苔が生えていて、まるでビルケンシュトックのサンダルのために作られた道のようだ。予定通り順調に行程をこなす。誰にも会わない。鳥ノ鳴き声はして、でも虫はあまり飛んでいない。最近僕は大分歩く速度が遅くなっているので、できるだけ早く歩く。でも慎重に降り、登る。気持ちのいい汗。曲がり角ごとに昔ここで/このあたりで、何をした/これを見た/などを思い出しながら行く。山頂のT字路から左に曲がって旧産廃場の舗装路に出る所に、四輪駆動車を止めて椅子を出し本を読んでいる人が居た。やあ同類が居た。集中して本を読んでいるようで、だいぶ騒々しく歩いていったつもりだったのだが、すぐそばで挨拶を言うまで気付かれなかった。びっくりしたようで申し訳ないことだった。熊除けの鈴をやっぱり買って着けた方が良いのかな。そこから三色吉の不動さんまではちょっとだと思っていたら、結構延々着かないので、途中で今回は止めて引き返す。荒れた林道をだいぶ補修したあたりをたどってグリーンピアに入りあとは古い舗装路を歩いて車に戻る。空気が乾いているのでビシャビシャの汗ではない。家に戻ると、珈琲屋さんの予定が早まったとかですでにものは届いていた。ううむ、申し訳ないことであった。シャワーを浴びてパレオに着替える。テレビジョンで、相撲を見ながらフランスの自転車競争をちょっと見て、その後ダラダラと映画を見て寝る。

というふうに始まったこの週、しかしこの日以降、17日の胃検診でバリウムを飲んで、それがすっきり出ないなあと思いながら、18日土曜仕事が済んでから車で夜白石に行ってMt.OhkuraW.C.Meetingに夜遅くまで参加し、そのまま白石駅前のホテルに泊まって、次の日朝から打ち合わせを継続したあたりから歯が痛くなってきた。歯は、この夏に入る前にすっかり手入れし直して万全になっているはずなのだが、歳とって来ると例の自己免疫力が落ちて来てちょっとしたことで調子が狂う。これまでも医者に様々見てもらっても特に問題は見つからないのだが、痛い。医者に行きたいのだが三連休。その間にも、大切な友人が訪ねて来て気が抜けない。夜になると痛みが増す。連休明けの火曜日、予約無しで行きつけの歯医者に朝一で飛び込んだのだが、その時はまだ頰の下が腫れているとは言え、痛みはもう無かったりする。レントゲンを撮って、見て、少し問題は見つかったがやはり基本は早く寝なさい。ううむ、早く寝よう。

今22日の昼で、1階の土間でこれを書いている。玄関の網戸から外が見える。枇杷の木と、赤目柏の葉からこぼれる日の光が、黄緑のグラディェーションを作っていて美しい。仙台空港から飛び立つ飛行機の音が遠くに聞こえる。今日の昼飯は、小さな塩結びともろきゅう3本にしようかと今考えた。













一日一回宇宙を見ること。

=空を見ること。


2015年 6月22日 
光る雲が多い青空の夏至の日。乾いた涼しい風。

週3日美術館に出勤する。僕は今岩沼に住んでその三日だけ仙台に出るようにしている。定期購読している雑誌も、岩沼の昔からある本屋にとってもらうようにした。そうしたら「歳とるとあまり動かなくなるから、こういうのは仙台の本屋にとりに行くようにした方が良いんですよ」とその古い本屋の古いおばさんに言われてしまった。ううむ、思う所、考える所、深く沢山あり。着々と戦争の準備が進んでいるのをこういう所にも感じるのは、考え過ぎだと思いたい。

仙台に出た時は、できるだけ歩いて駅から美術館まで移動する。一応駅前の駐輪場の定期を買って軽快な自転車を一台おいてある。帰りに展覧会に寄ったり行きつけの自転車や(二輪工房佐藤/北仙台)に寄る用事のある時は自転車で動く。それ以外は極力歩く。歩くと考える。広範囲に考える。目につくもの、目につくことについて途切れなく考える。
たいていまわりを高校生が歩いている。彼等の着ている物、履いている物、背負っている物、背負い方、話していること、その言葉の使い方、声の大きさ、表情。その上で、彼等の歩いている町/街/状況。人以外に動いている物(達)。想いを寄せるものやことは連続あしてあり、だからずうっと考えながら次々見えるモノが変わっていく。めまいがして来る。そして空。
疲れて家に帰ると、考えていたことほとんどすべてが、しかしどうでもいいことのように思えてしまう。その繰り返しで1ヶ月過ぎた。

選挙権が18歳に引き下げられた。この人達。まわりを、丁寧に注意深く良く見ないで、街を歩く人達。ということは、まわりをザッと、思い込みだけで、ネガティブな主観で見て、自分の所だけを歩く人達。僕には何故だかワカラナイレベルで、すぐ疲れて、ほとんどのことにつまんないと、小学生の頃からいう人達。この人達の投票で選ばれた人が増える。
ものを見る/見えるということは、各自が、各自の主観だけで、世界(自分のまわりの社会)を、各自が見ているだけだ、ということをせめて自覚することを、最も置き忘れた教育を(たぶん無意識に、意識的に)されて/してきた人達。ふと気付けばそういう事に日本はなっていたのではないか。僕は極力ポジティブに世界を見ようとしているが、それにはなぜか努力が必要になってきている。老人性鬱かな。

最近抽象の彫刻(表現)を作りたくなって来ている。




地球上にあるすべてのものは
人間の理解をはえるかに超えて
関係を結んでいる。

大切に使うとは
そういうふうに使うことではないか。


2015年 5月19日  
午前中小雨。午後快晴。乾いた空気。

大学の授業が毎週火曜日に入って来て以来、なんだかこころせわしく時間が過ぎて行く。5月の連休中、美術館は開館するので休みが大幅変則になる。ほとんど出ていない僕にも少しは影響があって、3日は日曜出勤。次の日曜は視覚障害援助グループの美術探検補助で、ボランティア出勤。で、今週の日曜はそあとの教育活動のため、朝からそあとの庭へ出勤。15人の子供と15人の大人達と竹を使った自由遊び。日曜出勤が続くと、なんだかずうっとアドレナリン出っぱなしでここまで来た感じになる。

この忙しさにかまけている間に、車の税金(2台分)と、車検(1台分)と、タイヤ交換(夏用新調の必要が判明)と、歯の治療(新たに銀歯を被せ直した)と、その他、その他、なんだかアッという間に(とは言え、すべてに納得のいく理由があるのが怖い)お金がまとまって出て行った。今朝眠いのにムリヤリ起きた時は、そういう気持ちのままの深い曇り空から、細かい雨が降っていた。朝9時、明美さんに仙台の病院の予約が入っていたのだ。

彼女の検診には毎回血液検査があるので、朝飯を食ってはいけない。ただ注意していないと彼女は関係なく缶ジュースを飲んだりする。ジュースはご飯ではないと云う理論。無理矢理起きた僕は、洗濯機を廻しながら、牛乳を充分に入れた珈琲とクリームチーズ(紅子さん特製)と夏みかんの皮のマーマレード(パンの渡辺さん特製)を挟んだクロワッサンにカマンベールチーズと林檎ジュースの朝食をとり、明美さんと車で岩沼駅まで出て電車で仙台駅前の病院へ。ここも診察は予約制なので、着くとほどなく診察があり、検査結果は1時間後だから、その間に明美さんを向いのそばの神田に連れて行って立ち食いのうどんを食わせ、その間僕はスターバックスに移動し、食い終わって来た彼女と二人で珈琲。例のとおりの(不規則、不摂生な)食生活なのに、彼女の血液検査はいつも、特別正常。とにかく彼女の内蔵は特別製なのだ。いやはや。帰って来て、歯医者に行き、僕の今回の歯の手入れは終了。ついでに明美さんの入れ歯の具合も見てもらい、少し修正してもらう。ここでやっと全く様々な「しなければいけない事」終了。いつの間にか空がすっかり晴れ上がっていて、気持ちのいい風が吹いていた。

明美さんと、仙台空港に飛行機を見に行く。屋上に上がって、降りてくるのと飛び立つのをしばらく見る。彼女はソフトクリームを食っていた。気がつくと、こんなに明るいのにもう5時半になっていた。夜は月曜の残りのトマトソースでマカロニを食うつもり。気持ちのいい一日が終わる。いやはや。

又明日から忙しい1週間が始まる。いやはや。








誰も何も決めてくれない時代に私たちは生きている。

というのが近代。



2015年 4月18日(日)
涼しい、しかし春の微風。
高曇り。

ゆっくり起きて、朝刊を眺めながらパンケーキを焼く。凄くしばらくぶり。ついでだから豆と野菜のスープも作る。洗濯機を回して、ざっとほうきをかけ、洗い物をすると、もう10時ではないか。そんなに寒い訳ではないが、P.ストーブもつける。何だかしばらくぶりでゆっくり始まる日曜日。この後、自転車で、阿武隈川河原1周に出かけよう。

家政に来てもらっているKさんの車、ツゥインゴ(ルノー)がだいぶへたってきたので、次の車の基礎的な情報収集を始める事にした。で、この前彼女が家に来た帰り、一緒に帰り道にある車屋によって話しを聞いた。

こちらがグズグズしていると当然その時点の最新型を説明してくれる。いやはや凄い事になっていた。ええと、まず、僕は扉が開けられなかったというような事はおいておいて、とにかく運転席に座ると、そこから、車の回りの普通は見えない部分(前輪のすぐ脇とか、後ろのバンパーのすぐ下とか)が全部(様々な鏡を使ってアナログに)見える/見る事ができるようになっていた。だから、気にすると、見た事がない場所に、見た事がない形をした鏡がやたらにある。ええと運転する時はこっちを向いてこれを見てそれを見るんだな。ルームミラーの支柱が太いなと思ったら、そこには小さいテレビカメラが仕込まれていて、運転の情報が記録されているだけでなく、前の車に寄りすぎると静かに軽くブレーキがかかり、ぶつかる程に寄ると本当にきっちりブレーキがかかるとのことだった。あと何かあったが、この辺でだいぶ動揺してそれ以上の話しは上の空になった。
つい、で、これは電動ではないんですよね、と聞いてしまったら、大変申し訳なさそうに、ハイブリッドはまだやってないとの、丁寧な返事をいただいた。
日本の車は、すっかり新しい物になっている。2CVで車との付き合い方を始めたおじいさん(僕の事ね)は今や扉すら開け方を若い人に聞かなければできなくなっていた。

何だか心がザワザワしたので、その先にあるラテン系外車の店に寄って、気になっていたフィアトのチンクチェントや、プジョーの107なんかも見てみることにした。ううむ、会社は違うのに、今乗っている車から、何も変わらず乗り換えられる操作系の進化だった。進化は明らかにしているのに、見た目や動きは同じ感じの方向。で、カッコイイ。ひいき目か。ひいき目だ。
少なくともそれらの車は、新しい自動車になっているように、僕には感じられた。日本の人は、あんまり自動車の運転が好きではないのかもしれない。そもそも何のためにそれをするのだったのかの問いの立て方が違うのかもしれない。移動手段の、効率をあげる?、楽しみを深める?。昔の日本人は遊びをせんとやと生まれて来ていたはずなのに。














私が見ているもの。

私が見続けたいもの。

見続けたいもの。


2015年 4月15日 
乾いた空気。
雲が白く輝く青空。無風。

昨日から宮教大の授業が始まった。週1回火曜午前、美術による表現A。基礎教養科目、美術専攻以外の2年生以上の人達対象。これから6月初旬まで毎週1回先生をする。というふうに相変わらず毎日なにやかにや忙しそうに動いている。時々(たいていは水曜日)全く何もしなくていい?日がある。今日もそういう日。で、ブログの更新をしようとしている。
でも普通、そういう日はクタリと疲れが出て、1日ぐだぐだハリウッドのアクションDVDなどを見てアッという間に夜になり、深い反省のうちに寝るということの方が多い。本当はその日、庭の草取りをすべきだったのに、今日も。

そういう毎日の中で、最近出勤日にひどい寝坊をした。目が覚めるともう家を出る時間。朝飯抜きで電車に飛び乗るというのを1週おきに2回した。でも、ちゃんと始業時間には美術館には着いていた。中学校以来だいぶ長い間汽車/電車通勤をしているが、朝飯抜きでというのは記憶にない状況で、しかも続けて2回。ううむ、何か大きく変わって来ているのだなあと、深呼吸をしてみる。
そうすると、これまで理論とか基本とかという言葉で自分を上手いこと言いくるめて来た様々な事柄のつじつまの、もの凄い基本的な部分がちょっとグラリとして、何か理論を超えて動くつじつまの焦点が一気に合ってくるように見えてくる。この年でこう来るのは辛いのか良かったのか、もう一段引いて見ることができそうに思えて来る。自分でなんとかして来たと思っていることへの他人の力添えの大きさが改めて続々シミジミ思われる。端的に合理付けて来た様々な体験の経験値を、もう一度おさらいしなおして組み立てなおす。こういうふうに昔のことばかり話し始めたら歳を取ったということだと言っていた人がいた。でもしょうがない本当に歳を取ったのだから。
でも点検を始めてみると、確か簡単にできるはずだった集中力はもうあまり残っていなくて、そういうときはどうすれば良いかというような、逃げ道ばかりすぐ思い付いて、それが、又自分のやる気をそぐという悪循環。ああそうか、こういうのが老人力。いよいよ物の見方の変化ををきちんと自覚するときが始まったのだ。

今関わっている丸森大蔵山のワークキャンプはだいぶ進んで来た。僕はこの夏の様々な活動の具体的な組み立てを考え始めている。そのため、4月に入った始めの火曜日、友人のH沢君を山へ下見に連れて行った。彼にはこれまでとは違った観点からこの場所での美術系ワークキャンプの中での自然系人間系ワークショップを考えてもらえないかと思っている。そういう話もしながら、山を充分に一回りして、帰宅。
その週の木曜、美術館に出勤したら、愛用のポケットナイフがいつもある腰のケースの中になかった。フランスのラギョールという会社のごく普通の形のナイフ。何回も研いで刃が短くなって来て、シースに入るように刃そのものを少し短く整形しなおす程愛用して来た。ケースの中にあるのを覚えているときからそれまでの間に様々な所に行っているので何処で/何処らあたりで落としたかは思い付かなかった。いよいよ寿命だったのだと観念して、新たなポケットナイフ探しを始めた。そうするとなおさら、あのラギョールがいかに僕にピッタリした物だったのかがしのばれた。
今週日曜、春のノッツオ(仲間とする無目的な散歩の会)を大蔵山ですることは先年度のうちに決まっていた。いつもの小学校の先生達と大蔵山を一周した。その最後に、山の中の展示スペースでやっている日石展(手彫りの全国石塔展)に寄った。普通だと寄らない所。そこの、何でもない普通の平場の所にきらりと僕のナイフは静かに何気なく落ちていた。ううむ、ここにいたのか。深い静かな感動。ライアルワトソンが、彼の本の中で、モノと人との深いつながりについて書いている。なくした物と再開することの不思議についてのお話。こういうことだったのだなあ。これからも大切に普通に使っていこう。






知識より知恵。

とは言え、「知る事」は
「感じる事」の半分も重要ではない。
とレイチェルが言っている。

2015年3月 9日 
薄い水色の空に輝く雲。見た目春の空。だが物凄い風。

本当は今日11時に歯医者の予約があった。でも、朝一番で確定申告しに市役所(僕には役場という方がしっくり来る)へ。順番登録17。持って行った本に集中する間もなく呼ばれ、わりと早く終了。去年は6千円だか税金支払い不足だったが、今年は1万4千円だか戻ってくるという計算になった。
そのまま駅前に出て予約していたいつもの歯科へ。今年に入ってから、連続して歯が痛くなっている。今4本目を治療中。今日は一番右奥の親知らずを治療。終わって時計を見たら11時で、あれ、僕は時間を見間違ったのか?受け付けのお姉さんは「かまわないんですよ」と言ってくれた。
今日の予定が早く終わってしまったので、ついでに駅前にある、僕の行きつけの床屋によって散髪。それでもまだ11時半。武隈の郷にある庄内藩という蕎麦屋によって山形蕎麦と麦切り。今、大相撲を見ながらしばらくぶりのブログ更新を始めている。

先週の水曜日、潮風トレイルに行ってきた。ガールフレンドの槙さんが見つけてきて、一緒に行きましょうと誘ってくれたのだ。今回は相馬。潮風トレイルは環境省が最近作った被災地を巡って歩くルート。北の八戸から津波にあった浜沿いに下ってきて相馬松川浦まで。様々な問題を含んで、こういう事でもないと作ら/作れない遊び方。とにかく行ってみようということで。
朝方家を出る頃は小雨だったけれど、松川浦の(そこだけ突然整備された)環境公園の駐車場についた頃からは快晴。いつも来ていた松川浦は、未だ、というよりまったく違う所になっていて、相当辛い/怖いままだ。車を止め、急いでルートに沿って山の方に向かう。今回はトレイルの様子を見ながら、相馬市内を探索。一日で、約15~6キロゆっくり歩いた。ルートの作り方は、思っていたより僕好みだった。でも見える所は、相変わらず(日本は)不思議で、僕には間違っているとしか思えないお金の掛け方/かかり方の再開発/復興。誰かか、何処か、だけが確実に儲けている(豊かになっているではなく)仕事の決め方と進み方。でもしょうがない、どんどん使い込んでいくしかない。ほぼ1週間過ぎたので、昨日辺りから疲れが出てきている。早寝早起きお昼寝の励行をせねば。



絵を描くという事は
見続けたい物を見る事だ。

で、僕に
見続けたい物はあるのか?




2015年 2月23日  
高く薄い曇り。やたら暖かい空気。

今日は月曜。朝早くから紅子さんが家政をしに来てくれている。僕の手伝いは一応終了(彼女と同じにしようとするとかえって面倒をかけてしまう)して、1階のP.ストーヴの前で書いている。

先週火曜、深い曇りの日だったがペレットを買いに泉が岳の麓まで車で出かけた。僕は泉が岳の入り口にあるサスティナハウスという会社で宮城産のペレットを買う。20キロ入りの袋を10袋車に積んで、その帰り、岳山珈琲に寄った。山は雪で、スキー場に行く人の車しか走ってはいないのだが、道路はスッカリ除雪/融雪されていてスキー場の麓にあるそのカフェまで心配なく走れ、美味い珈琲だった。今シーズンはやはり少し寒いのだろうか、燃料の消費が去年より多い感じ。11月に、寒河江に山形産のを200(10㌔ x20袋)キロ買いに行ったあと、地元のを同量買い、その後ほぼ同じ量を再び。ペレットとは別に石油も今年は使用量が多い。ああそうだ、電気も。
サスティナハウスで、2014年のペレットストーヴのカタログを見た。新たに僕が今使っている物の大型が出ていた。対流式ペレットストーヴ40畳用。ううむ、これにすると、石油からそうとう離れられるのではないか。退職金がまだ残っているうちに要検討か?


前(去年の7月頃?)に、丸森の立石を見に行ったことを書いた。最近、僕の電脳エンジニアMr.Amee.と一緒に大蔵山に山堂を見に行った。そこからの帰り、時間があったのでちょっと回り道をして寄ってみた。相変わらず(当たり前だが)凄まじく凄くそこにあって、彼としばらく呆然とそこに居て、帰って来た。そうしたらその後すぐ彼から書類添付のメールが来た。開いてみたら専門的に丸森の巨石を見て歩いている人(彼は多分お寺の住職ではないか)がいることがわかった。僕は彼に一個だけ見せたのだが、そこからすぐにここまで探してしまうことができる事と、やっぱりそういう人がいたんだということと両方向に深く感動した。そのリストにはなんと!101カ所!の巨石が並んでいた、そのうち僕が既に見た物は5個くらい。いやはや今年はこれをどれほど増やせるかで暮れそうだ。嬉しい。

社会教育では、
来たい人がだけが来る。

だからそこでは、
不登校は起こらない。

本当の教育って
そういう物ではなかったか。

2015年2月8日
深い曇。湿った冷たい空気。

僕が関わっている東北の造形作家を支援する会というNPOで最近の子供達との活動をまとめた「こどもそうさくしつ」という本を出した。これは、NPOが様々な児童館と一緒にやったあんまり学校的でない活動―なので普通の子供のごく普通の遊びというように僕には見えるのだがーのやり方をまとめた物だ。このまとめは、2015年2月6日からA4判64頁の本になり、1冊900円でNPO東北の造形作家を支援する会(022-398-8844)に連絡すれば手に入ることになっている。
本にしている最中に、児童館の指導員の人達からいくつかの質問があり、それに僕が答えた。初めメールで、こういう質問が来てるんですけど、答えてもらえますか?と来たとき、まず思った事はすごく良い質問だという事だった。で、すぐに答を書いた。全部に答を書いた。全部が大切な質問のように僕には思えたからだ。でも、本にする段階で少し編集する必要があって、だいぶ短くなってしまった。最初に書いた全部の質問にかってに書いた文章は今僕の所にある。美術を巡る物の見方を考えるにはわかりやすいと思ったので、それを公開しようと思う。


質問 この中から3~4問選んで回答をお願いいたします。斎さんが答えやすいようない回しに質問文を変えて(作って)頂いても構いません。

□小さい人達と美術的な活動を組み立てようとするとき一番大切な事は、私たちは、ちょっと昔は全員子供だったという事を忘れないようにする事です。彼等は今、その時代のあなたを新たに実行している所なのです。子供の頃していた生活の中に「美術」とか「遊び」とかの名前の活動があったでしょうか?小さい頃、人間は基本的に暇で、何もしなくても上手に1日中暇つぶしをしていたのです。そのへんから活動を組み立てれば、実は子供との活動で大人が気にするほとんどの問題は解決できるように思います。そしてそういうものの見方ができるようになると、そこに美術の関わる部分が深く出てきます。

〇特別な道具が無いときは、どうやって遊びを見つければよいですか?
●その人達がどのようにして暇つぶしをしているか見ます。ほとんどの遊びの行動にたいした道具は要りません。道具を見つけたり作ったりすること自体が遊びになります。多分ルールの見つけかたを一緒に考えれば遊びは始まるのではないかな。

〇特別な道具が無くても、アートって出来ますか?
●アートは「各自の世界観の拡大の作業」なので、普通道具は要りません。あなたの質問で使っている「アート」は多分学校でやった図画工作の事です。アートに親しむヒントは、美術の美は「美しい」の美ではなく、「ビックリ」のビだと思うことです。ビックリする練習だと考えれば、一気に作業のバリエーション増えませんか?

〇美術って、必要?子どもにどんな良い事があるの?
●あなたは字が読めるでしょう?字が読めると突然世界が広がります。実は、美術は字が読める(識字=リテラシー)と同じようなものなのです。あなたは字が上手に書けますか?「読める」のと「上手に書ける」のは同じですか?美術も使えればいいので上手に描く/する事とは違う事を肝に銘じておきましょう。なので、字が読めるのと同じように美術を知る事は、その個人にとって、(年齢に応じて)大切で必要な事です。

〇「アート」ってよく分かりません。一般人には理解できない表現が多すぎてついていけません!芸術は爆発ってどういうこと?!どうやったら理解できますか?!
●これは大人(10歳以上?)の人の感想/質問です。おおむね10歳以下の時期、人間が感じる「きれい」とか「きたない」とかの想いは「その人の親の感想」で、そう言ってみる事で、子供は(親のように)人間化していきます。その時期彼等にはアートという意識すらありません。思い返せばあなたにもなかったでしょう?
 美術は普通の実生活では何の役にもたたないものですから、普段はわかったり納得したりしなくてかまわないのです。前にも言ったように、美術が分かるという事は、字が読めるという程の事ですから、どの本をどのように読んでこのように感動するといいと言うような事は、字が読めるようになったあなたにとっては余計なお世話です。字が自由に読めるようになるまでに、私はこういうのを読みたいという「好み」を作っておくことの方が大切です。美術でも。
 この程度に、「アートが、今、その状況で、私には分からない」という事はそんなに悩む事では、まったくありません。又、この人は「どうやったら理解できますか?」という程度に気にしているのですから充分に理解している状態だと言えます。真面目に勉強してみると美術は大変に難しく奥が深いようなので普通の生活ではこのあたりで充分なようです。

〇美術鑑賞って何をどう見ればいいのか分からなくて苦手。楽しむコツは?
●学校でなく普通の生活の中で美術を見る/使う時には、先生はいないのです。だから評価ももちろんありません。美術作品の鑑賞は既にそこにあって、そこを目指して勉強するものでは、まったくありません。というよりできません。それを見ているのはみんな違う人なのですから。
 鑑賞はその時点であなたがその作品から自分で読みとれる物やことを使って一生懸命(善し悪しで無く)ビックリすることなのです。作家の想いとかはあまり気にせず、その作品の隅々からできるだけ沢山の自分に役立つ情報を見つけ出す練習や、つまらないことでもビックリする練習を普段からしておきましょう。

〇美術って何が面白いの?(美術館って何が面白いの?でも可)
●人間は自分の知っていることしか知りません。という事を一目で気付くために美術はあります。自分の知っている世界と違う世界がある事に気付ける事が美術の面白い所です。この話の意味がピンとこない人は、そのための勉強中だといえますから、美術について特に気にすることはありません。

〇アート初心者は何から始めるのがいいですか?
●深呼吸してから始めるノンビリ散歩あたりがいいです。自分の回りを気にして、見る、練習です。

〇センスはどうしたら身に付くの?
●善し悪し関係なく、自分以外の物や事を丁寧に注意深く良く見ることで、身に付きます。
 身に付いたとたんに間違いや気付いていなかった所に気付けますから、何回も何回も繰り返し見直し続けると早く身に付きます。で、ま、だいたいここのあたりでいいかなという所で、止めて実行してみるのが「センスが身に付く」コツです。

〇絵が上手くなるには何をしたらいい?(デッサン?予備校?)
●実は絵を描く時描いている人は描いている物を見ていません。紙を見て描きます。なので、図工を終えた人(=小学校を卒業した人)で、本当に上手い絵を描きたいと思う人は、自分の頭の中にある世界を隅々まで完成させる事が、早道です。好きな風景を飽きるまで見に行くとか、本を読むとか、実際に自分でやる活動。既にある絵や映画などは、それを作った人の世界なので、あまりお勧めではありません。
 具体的に絵を描く行動は運動の一形態ですから、それ意外の美術をめぐる活動に必要なのは練習です。これに飽きる人は美術を作るのには向いていませんから、気にしない事です。

〇良い作品、って何ですか?
●個人の世界観をまず固定し、そこからそれを拡大する事に気付かせる物のことです。技術の上手い下手とはほとんど関係はありません。

〇何でも好きなものを自由に作って(描いて)、って言われても思い浮かばない。何をどう作ったら(描いたら)いいか困ってしまう。どうすれば?
●例えば絵を描く時って、頭の中にその絵が見える事が最低限必要です。だからその時点で、あなたは、何も好きな物がない。その事の方が重大な問題です。お散歩に出かけて、好きな物や事を見てみるのをまずやりましょう。

〇美術が得意じゃないのですが、子どもの創作活動にどう接すればよいですか?
 (美術への触れさせ方や、褒め方が分からないなど)
●美術が得意ではない事はあなたの問題なので、その子供との活動では、ほとんどまったく気にする必要はありません。むしろ、美術なんて分かんなくても/下手でも人生には関係ないから大丈夫という事を伝えた方が良いと思います。で、ここまで大人をやって来て、そのうえであった困った事をどうすればいいか相談に乗る、というのが美術を巡る子供達との活動です。なければ、美術なんかやらなくても大丈夫だということを教える活動をすればいいのです。

〇お世辞にも上手いとは言えない作品、どこを褒めたら良いか迷います…。
●子供との活動で、行動が肯定される(褒められる)のは大切です。彼等は、人間が長い時間をかけて獲得して来た人間の特性を今初めてしている所なのですから。絵を描くという行為自体が大変な努力の結果生まれてきたものなのです。猿は未だに絵は描けません。まず、描くこと自体が褒められるべき行動なのだという事を大人は自覚しましょう。
 描かれた絵は、性別年齢上手下手を問わず、それを描いた人の頭の中の世界です。他人の世界観が今ここに見えているという、こちらの意識が大切です。そういう見方で褒める所を探すと、子供の絵の世界はすべて、あなたの知っている世界のはずです。さて、だとすれば、その世界を見えるようにする活動で、その子供に与えてあげられるアドバイスは何でしょう/何処でしょう。教育は教える事ではなく、その人の相談にのる事です。絵は描く事ではなく世界を確認する事だったのだという事を忘れずに見れば子供の絵には何かしらその人が見つけた新たな何かが見え、彼等へのアドバイスが見えてきます。

〇つい他の人の絵と比べて落ち込んでしまう(子供がいます)。どうしたら気にならなくなりますか?
●注意してみていれば、ごく小さい頃の人間は他人と何も比較しません。他人がいるという自覚こそが人間になる始まりです。(その子供が)落ち込むのは、回りの信頼する大人が、その小さな人間のした行為を基に、その大人が落ち込む行為を「普通に」してしまったからです。それを見ていた子供はこういう時は落ち込むんだという行為をするのです。そういう大人として子供の回りにいないようにする事こそが、子供と何かを創る活動をする時、最も注意すべき事です。

〇友達の作品と比べてしまう子どもには、なんて声をかけたらいい?
●このような育児の問題(美術の問題ではありません)はほとんどすべてその子供の回りの大人の問題です。子供は他人とは比べません。回りが比べてプレッシャーをかけています。何を比べて、何のプレッシャーを、何にかけているのでしょう。大人はその子供にいっぺんに起こっているこれらの問題を、あわてず解きほぐし(すると、その各々はたいした問題ではない事が多い)各々の解決策を見つけるのに力を貸せばいいのです。あなたの解決策を教えるのではないのです。回りの大人がこのあたりを意識する事が子供を美術好きにするコツです。

〇子供に、絵が下手なので図工の時間が嫌いです。どうしたら得意に(好きに)なれますか?と聞かれました。
●その子供の年齢によりますが、おおむね以下のように相談に乗ります。
 
 ううむ、君が嫌いではない時間(物)は有るの?小さい頃はいろいろやった方が大切だから、好き嫌い関係なくこれ(美術)をやっているんだけど、好きな物がある人は好きな事やってみた方が良いから、今回はそれやってみるか?又描きたくなったらいつでも戻って来ていいよ。

 この質問には大切な二つの問題が隠されています。1−絵が下手なので図工が嫌いになっている所。2−どうしたら好きになれるかと考えている所。
 ◉人生で絵が下手なのは特に困った事ではありません。でも、想いを見えるように形にするのは(大切、とか必要とかいう物ではなく)面白い事です。この人は上手い下手とは関係なく好きに描く活動をここまでして来なかったのです。それに気付くための活動をまずした方が良いです。
 ◉なぜこの人は好きになりたいと思っているのでしょう?理由によって答えは違ってきますが、上手い絵を描けるようになりたいのなら、一番簡単な始め方は、その人が上手いと思っている絵のコピーをとって、トレーシングペーパーを重ね、写し絵をしてみる事です。そこで分かってくる様々な事をめげずに続けているうちに、ふと気付けば絵を描くのが上手くなっています。ですが、たいていの人(年齢を問わず)はその途中に飽きてしまいます。飽きちゃう人は無理して絵を描かなくていい人なのです。飽きない表現(音楽、体育)を探しましょう。飽きちゃうのだが、でも上手くなりたい人は、「絵を描く運動神経の練習」に向いますから、専門家との相談が始まります。

〇イラスト、漫画、ゲームばっかりで、うちの子は大丈夫でしょうか。
●この質問で、漫画、とあるのは、そこに出てくるキャラクターを描いているという意味でしょうか?イラスト、漫画、ゲームのキャラクターばっかり描いているということにします。年齢によりますが、あなたが「うちの子」だと思っているうちは、大丈夫です。全くほっておいてかまいません。描かなくなる方が将来困るのです。何でも良いから描いているうちはほっておきましょう。描くために読んだりやったりするのは全くかまいません。絵を描くのは頭の中の世界を描く事なので世界が見えないと描けないのです。頭の中の世界はその人が普段何を見て何をしているかにかかりますから、何が心配なのかを整理すると、実はそちらの方(普段見ている物/世界)の相談を始めないといけないかもしれません。

〇創作活動をする子どもに、言ってはいけない言葉はありますか?逆に、掛けると効果的な言葉はありますか?
●創作活動か否かと関係なく、子供と活動をする時に、大人が注意する事は、物事を肯定的に見るという態度です。今そこに起こっている事は、その小さい人がほぼ初めて体験する事である事が多い。そこに起こることは起こるべくして起こっているので、人間にはどうしようもありません。それに対処して生き延びる事を素早く決め続けなければいけないのです。実は絵を描いている子供に声をかけるという事は、そういう状態にいる初心者に適切な生き延びるアドバイスを出すという事なのです。
 そう表考えれば様々に変わる状況で言って良いことと言わない方がいい事は自ずと出てくるのではないでしょうか。

〇子どもがよく怖い絵を描いています。大丈夫でしょうか?
●大丈夫です。ある年齢までは概念そのものの点検と体験を経験値に変えていく実践を繰り返します。初めから概念的にするしないを決めるのではなく、体験と照らし合わせながら、概念を実際化していった方がいいように思えます。その時に使うのが絵を描くという行為だと思えば、怖い絵を描けるうちは大丈夫です。ほっておいて、むしろどんどん描かせ、一方で様々な本を読んだりして、その人の世界観を拡げる練習をしましょう。
 
〇子どもたちが学ぶべきこと、学んで欲しいことは?
●世界観の点検/固定と拡大です。すべての勉強はそのためにあります。

〇「探検」の魅力は?(どうして「探検」をするの?)(どんな良い事があるの?)
●天気(晴れ曇り雨)、温度、湿度、気圧、風の向きと強さ、雨の量と強さ、その他細々した様々な要素が総合されて「気象」と呼ばれます。その各々の要素と気象は同じようで違います。さて、「探検」には何が含まれるでしょう。見学や学習で、個別に学んだ事柄を「総合的に使って」今自分のいるその状況を理解し、その状態に対処する方法を考え実行する。個別の智識を総合的に使った時に見えてくる世界。このダイナミックさを楽しめるようになるあたりが、僕が行(活)動を探検と呼ぶ理由です。

〇斎さんは子どもの頃どんな遊びをしてましたか?オススメの遊びがあったら教えてください。
●今となってはほとんど忘れてしまいました。なにして遊んでいたっけなあと考え出すと、板敷きに薄縁をしいた堀ゴタツの部屋があってテレビはなく大きな木の箱に入ったラジオが1台ありました。食事はその堀ゴタツの机(テーブル)に家族みんな集まって食べ、その食事は石油コンロで煮炊きしていました。台所とつながって風呂場がありその木の桶の風呂はだいぶ大きくなるまで亜炭で焚いていました。大きくなってからは豆炭を使っていたと思います。風呂を焚くのは僕の仕事でしたが祖母がだいぶ助けてくれていました。日中、母は裁縫の請負をしていて祖母は洗い張りの仕事をしていました。季節になると町がDDTの散布をしに来て、散布器の音や薬の匂いが怖くて、祖母と干してある布団に隠れていた事を思い出します。このように、ずうっとすべての生活を思い出すことができます。
 何をして遊んでいたかと聞かれたら、普通に真剣に楽しく充実した、素朴で貧乏な生活をしていたということを思い出します。遊んでいたという記憶とはちょっと違います。
 お勧めの遊びはだから「すみか造り」です。

〇はさみやカッターなど、子どもに刃物を持たせるのに躊躇してしまいます。持たせてもいいタイミングの目安はありますか?
●刃物そのものではなく、紙を切る、料理をする、木を削るというような活動を考えます。その活動をするために手の延長が必要になったのです。初めから刃物を考えるのではなく、手をどのように延長するか考えます。ほら作業のバリエーションが一気に増えませんか?子供は全員違う人なので、何を使って、何を、何時やるかはその人との相談です。子供との活動では、最初からは何も決まってはいないのです。

〇親御さんからのクレーム回避の為、刃物など怪我をしそうな道具はあまり使用しないようにしています。過保護もあまり良くないとは思うのですが、どうするべきでしょう?
●冷たいようですが、その子供の人生はその子供の人生なので、その子供が過保護かどうかはその子供と親との関係です。ただその子供の人生はその子供の人生なので、このような活動の相談は、その人の人生にあなたがどのように関わっていくかの覚悟が問われます。小さい人達とする活動の時、あなたは子供の側に立つのか、この問題でいわれるような親の方の立場に立つのかです。例えば少し手を切らないと、分からない事がある、として、その人が手を切らないようにするには、刃物を使わせないではない。ではどうするか、その上で切ってしまったらどうするか。様々な状況に想いを巡らせておく。その上で、しかしその人の人生はその人の人生でしかない。
小さい人達と活動をするということは、このへんの緊張感を共有する事だったのです。


個別に読みなおすと、僕自身が面白い。まず良い質問をする事が、人生を活性化する最初の事なのではないか。








ここまで大きくなった
のだから、

なんとか一人で
生きていきたい。

2015年 2月 5日  
深い曇り。夕方から雪と言っていたがまだ降らない。

気がついたら2月になっていて、しかも新しい年になっている。

ああそうだ、この2月1日にNFLのスーパーボールがあって、何しろそれまではテレビ三昧の毎日だったのだ。アメリカンフットボールのない日は、週末ごとにどこかでやっているマラソンの中継を見、週1で仙台郊外の女子大に図工の授業に行って期末の課題を出し、その成績を付け、ほぼ毎週丸森町の大蔵山(これ/ここについては、改めて書かなければいけない。面白いことが起こっているのだ)に友人を連れて行き、あと何をしていたのだろう、なんだか毎日なんとなく忙しく終わるという日々を送っていた。
それにしても今年が始まってアッという間に1ヶ月が過ぎた。僕自身が趣味嗜好無為のうちに過ぎたと思っているうち、世界は、なんだか焦げ臭く変な方向にジワリと進んでいるかに見/思える。

宮城県美術館の2014年末は、12月15日に始まって翌年1月30日まで続くほぼ1月半のメインテナンス休館だった。これは11年大震災の修復で、震災直後すぐにやった割れたガラスの交換以来、やとお金(予算)がつき、職人の手当がついて、本格的な作業ができるようになったからだ。常勤の人達はこの休みの期間、新たに始まる教育普及部の活動のための様々な用意とかがあった。非常勤の僕は極力出勤しないで、今居る人達がやりたいようにやれるようにしてもらうようにした(と自分だけ思っている)。非常勤の有給休暇は常勤の半分もないので、週3日しか出勤しないとはいえ、この時期ずうっと休むと、既に今年はあと5日しか休みが取れなくなてしまった。「良いんですか?」と確認されたけれど、良いのだ、去年だって意識的に休んだのは5日なかったんじゃないか。

「MOKU」という総合雑誌?がある。どこかの大きな書店で見たような気もするが、普段は全く僕とは関係のない雑誌。昨夏そこの編集部から連絡があって、14年の10月号で美術館の使い方の特集を組むので話を聞きたいと云って来た。去年の9月若い女の編集者が東京からやって来て、数時間インタビュウをし写真を撮って帰った。10月号は、「リベラルアーツ」という特集で、そこによくまとめられた僕の話が乗った。内容はいつも話している美術と美術館の使い方。大変良くまとめられた僕のいつものお話。
最初に送って来たのがいつの間にか手元に無くなっていて、そうすると、読んだよという人から連絡が来る。ええと、どういう話だったっけと、新たに3冊送ってもらった。
再び、大変良くまとめられたいつもの僕のお話。自分ではなかなかこうはいかない。僕のお話がいつも同じで長くてかなわないと思っている人は、これを読んでみてください。