誰も何も決めてくれない時代に私たちは生きている。

というのが近代。



2015年 4月18日(日)
涼しい、しかし春の微風。
高曇り。

ゆっくり起きて、朝刊を眺めながらパンケーキを焼く。凄くしばらくぶり。ついでだから豆と野菜のスープも作る。洗濯機を回して、ざっとほうきをかけ、洗い物をすると、もう10時ではないか。そんなに寒い訳ではないが、P.ストーブもつける。何だかしばらくぶりでゆっくり始まる日曜日。この後、自転車で、阿武隈川河原1周に出かけよう。

家政に来てもらっているKさんの車、ツゥインゴ(ルノー)がだいぶへたってきたので、次の車の基礎的な情報収集を始める事にした。で、この前彼女が家に来た帰り、一緒に帰り道にある車屋によって話しを聞いた。

こちらがグズグズしていると当然その時点の最新型を説明してくれる。いやはや凄い事になっていた。ええと、まず、僕は扉が開けられなかったというような事はおいておいて、とにかく運転席に座ると、そこから、車の回りの普通は見えない部分(前輪のすぐ脇とか、後ろのバンパーのすぐ下とか)が全部(様々な鏡を使ってアナログに)見える/見る事ができるようになっていた。だから、気にすると、見た事がない場所に、見た事がない形をした鏡がやたらにある。ええと運転する時はこっちを向いてこれを見てそれを見るんだな。ルームミラーの支柱が太いなと思ったら、そこには小さいテレビカメラが仕込まれていて、運転の情報が記録されているだけでなく、前の車に寄りすぎると静かに軽くブレーキがかかり、ぶつかる程に寄ると本当にきっちりブレーキがかかるとのことだった。あと何かあったが、この辺でだいぶ動揺してそれ以上の話しは上の空になった。
つい、で、これは電動ではないんですよね、と聞いてしまったら、大変申し訳なさそうに、ハイブリッドはまだやってないとの、丁寧な返事をいただいた。
日本の車は、すっかり新しい物になっている。2CVで車との付き合い方を始めたおじいさん(僕の事ね)は今や扉すら開け方を若い人に聞かなければできなくなっていた。

何だか心がザワザワしたので、その先にあるラテン系外車の店に寄って、気になっていたフィアトのチンクチェントや、プジョーの107なんかも見てみることにした。ううむ、会社は違うのに、今乗っている車から、何も変わらず乗り換えられる操作系の進化だった。進化は明らかにしているのに、見た目や動きは同じ感じの方向。で、カッコイイ。ひいき目か。ひいき目だ。
少なくともそれらの車は、新しい自動車になっているように、僕には感じられた。日本の人は、あんまり自動車の運転が好きではないのかもしれない。そもそも何のためにそれをするのだったのかの問いの立て方が違うのかもしれない。移動手段の、効率をあげる?、楽しみを深める?。昔の日本人は遊びをせんとやと生まれて来ていたはずなのに。