2010年 4月20日  高曇りの春の日。上着不要。でもマウンテンパーカ着て通勤。

体調とかの問題は特にないし、見たいテレビ番組もないのに,更新が途切れるのはなぜだろう?もう20日になってしまっている。


モーターサイクル初心者(始めたときは全員初心者だが)から夜中に緊急連絡がはいる。すわ事故かと思って緊張して受話器を取ると,「街の中で突然エンジンが止まってしまって,色々やってみたんですけどかかりません。助けてください」電話の向こうで涙声。まったく同じ状況がこれまで何回かあった。それまで快調に走っていたのに,突然エンスト。こういう時の原因はたいていガス欠。ガソリン(燃料)がこなければ,どんなに優秀な(そして日本のモーターサイクルは世界で一番優秀なのだ)エンジンであっても動かない。モーターサイクルには燃料計がついていない(最近はつき始めたが)ので,たいていはこういう時のために予備の燃料がとってある。タンクの下側に燃料コック(タブ)というものがついていて,普段はそれがオンになっている。それをもう一段ぐるっと回してリザーブにすると,タンクの底に残っていた予備の燃料が再び流れ始めて,あと20キロぐらいは楽勝で走れて、次のガソリンスタンドにたどり着ける。

言われた通りにタブをセットし,何回かキックすると,それまでびくともしなかったエンジンが軽やかに回り始める。齋さんの声が神様の声に思えました、という劇的感動の幕切れ。


「ダライラマのオリジナル声明のCD」は僕のCDコレクションのうちで大切秘蔵の一枚だ。この前ある年上の友人が家に来た時,様々な理由が重なって、普段内緒にしていてみんなにはあまり聞かせないその声を聞かれてしまった。その人は別にダライラマファンという訳ではないし、何を言っているのかとかはわからなかったようなのだが,これがただならないものである事は聞けばすぐわかる人ではあったので,敏感に反応して,私にも焼き増ししてちょうだいという事になった。

昨日の午後その人が用事で家に来たので,僕は僕のiTunesを起動して林檎電脳の中に記録してあったそれを 一枚新たに焼いてあげた。すぐできたので取り出し「再びセットして」本当にうまく焼けているかどうか調べる事にした。いつもやっている無意識の作業で音はiMacのスピーカから出て来た。ずうっと出て来た。でね,そのまま止まんないのよ、ずうっと。

ちょっとあせる。録音は一回り20分ぐらいだったろうか。ずうっとリピート。だいたい、CDプレイヤーの操作卓がどこにもない。いやキーボードのファンクションキーの所にある事はあるのだが,操作不能。DVDのときだと,すぐに画面上にリモコンが出て来て操作するのだが,いまやCDはそんなものは必要ないのだという世界になっているのか?それらしいリモコンは出て来ない。ハードディスクから始めるアプリケーションを選択し開いて(なんと電脳的な文章だろう)指示に従って様々あっちこっち、上から下から前から後ろからデスクトップ上で見える(読める)方法について「最近は俺もだいぶ電脳的な人になってきたもんだ」などとうそぶきながら,余裕で様々試みた。すべて操作不能。ついに万策(僕としては)つきて、こういう時のMr.Amee。しばらくぶりに困った時の僕の電脳テクニシャン網N君に電話する。不通。そういうもんだ。おおそういえば,家政をお願いしているくれN子さんは,最近iTunesを縦横無尽に使って自分の音楽コレクションを整理活用していると言っていたではないか。彼女に電話する。つながり相談に乗ってくれる。彼女の明確で自信にあふれた指示に従って操作。こういう声を聞くだけでも心強い。でも,それは自分でもうやってみたけどなあという操作が続く。でも,明確で自信にあふれた声の指示でやるのと,自分だけでホソボソコワゴワするのとでは大違いだ。しかし、だいぶやってみたけど最終的にお手上げ。どうもありがとう。なにしろ様々やるうちには再起動を選択し,画面は真っ暗になって再びジャーンと立ち上がるという操作も含まれていたのだ。しかしその間も音はなり続ける。なぜ?こういうのあり?

そうこうしているうちに,Mr.Ameeから電話。「どうしました?」「いやあ網N君,待ってたよ,これこれしかじか」。再び彼と,携帯電話を握りしめ,最初から様々な操作を繰り返す。デスクトップ上でのやれる事は,ほぼ同じ、当たり前だけど。俺もだいぶんデジタルになって来たもんだ、と心の中でほくそ笑む。

ついに「では,ディスク挿入口の脇にある小さい穴にピンを突っ込んで静かに押してみてください」という指示。いよいよアナログ作業に突入だ。画面上もキーボード上も、すべての排出ボタンを受け付けなかった(機械の中にはいっているであろう)CDには、デジタルではもう打つ手がない。力まかせの世界の方が僕としてはむしろ安心で住み慣れた世界だ。やっほう。

なのに、ところが、穴がない。挿入口だけしかない。確か昔はありましたよね,リセットボタンっていうのが。最終的にいざとなったら目立たない所にある小さな穴に,クリップをのばして作った固い針金を差し込んで押すと、何はともあれ全部元に戻るっていうのが、昔のMacには。でも,最近のにはない。せめてCDを物理的に取り出すボタンや穴はついていたっていいのではないかと思うのだが,まっさら。ここに来てついにMr.Ameeもギブアップで,明日アップルストアに持っていきましょうという事で,今日は終了。

ものすごいストレス。取りに来た人もしびれをきらして/きって既に帰宅。Mr.Ameeとの作業の中で,音はいつの間にか止まっていた。なぜどの時にどのように止まったかは誰も気にしていなかった。何回か,再起動をしたし,電源プラグを引き抜くというのもやったが,そういう時に止まったのではないと思う。ふと気付いたら静かになっていた。でもまあ、それだけの事をしてみてもCD取り出せず。こういうの疲れるよねえ。


ま,とにかく今日は終了。また明日があるさ。

最近買った日本人が演奏するカリンバのCD。普通なら電脳を起動して取り込みながら聞くのだが,今日の今日だしと電脳は止めて、古いCDプレイヤーで聞く事にしてスイッチを入れ,トレイを引き出した。そうしたら,そこになんか見慣れたCDが乗っていた。そう,それこそが今日の午後,なんとかして取り出そうとしてことごとく失敗したCDだった。僕はここにこれを「無意思の作業で普段通り」セットしていたのだ。とり出すも何もそれはここにあったのだ。取り出そうとしたそこには何も入っていなかったのだ。鳴っていたのはコピーする元の音源だったのだ。のだのだのだ。いやはや。


オートバイが動かなくなる原因は実はたいていガス欠である。基本はやはりどこまでも基本である。忘れないようにしよう

2010年4月14日  冷たい空気の暖かい空。

数年前に美術館で作った「美術探検」の報告用小冊子が、ついに品切れになった。公共の予算で作ったから、欲しい人には区別差別なくあげていたのだ。この本は鑑賞活動の報告書なのだが、その内容は、美術館での様々な活動の基本になるものなので、これからも使うだろうと思い再版しやすいように、少し書き足したりして、売ることの出来る形の本にしようと考えた。で、そのつもりで読み返してみたら、これはこれで完結しているのだということがはっきりした。拳は振り上げてしまったのでそのまま降ろすのもなんんだから、新たに何かまとめてみようと思う。さしあたって、どうして基礎教育の学校で表現系の授業をするのか?あたりから書いてみようと思っている。

2010年 4月 7日 春の日差し。そよ風、高曇り。文句はない。

気付いたら4月になっていた。最近、ツイッターとかいう短いブログへの参加を誘われた。僕はしない。大切な事を一言で言えと迫り,結局短い文でつぶやきをやり取りした結果この世界だ、の想いが強くある。大切な事は短くは言えないし、そうしてしまうと正しく伝わらない。一方,短く呟いてしまう内容をきちんと考えてみてそのつぶやきの裏側まで文章化する努力。そうする事によってのみ見えてくる世界は多い。文化は誤解と深読みと早とちりでしか伝わらないと言ってここまで来た僕にして,そう思う。誤解と深読みと早とちりができるためにはつぶやきでは無理だ。今後も,僕のブログはしつこく饒舌で長いまま進む。

でも今日は短くこれだけ。