一人でいることは基本的で
あたりまえのことで、
それがごく肯定的な状態なのだ。

その状態から始まる IとYOU。
個人と公共。


2013年 6月30日 涼しい夏の空気。ギリギリ降らない雨。

アッという間に6月最後の日曜日。NHKFMを聞きつつ缶詰の鯨肉と春雨スープの昼食。

だいぶ前、トルコの人がやっているイオンヤというピザ屋が岩沼にあった。石釜で焼いたマルゲリータとニンニクの香りが沸き立つパスタがうまくて、岩沼に住むようになったばかりの頃頻繁に利用していた。イオンヤはその後繁盛して、仙台駅前に進出した後、しばらく前に名取市4号線沿いへと移ってきた。定休日が月曜で、近くに戻ってきたのは知っていたが、最近まであまり行く機会がつかめないでいた。この前脳神経外科での検診の帰り、ふと思い付いて昼飯を食いによった。相変わらず旨かった。前には見たことがなかったが、キャシャーの横で石釜焼きのフランスパンを売っていた。店中に焼きたてのパンの良いニオイが満ちる。カンパーニュをホールで1個買った。帰って生で少し食べ、残りを4等分して冷凍した。今朝そのうちの1個を解凍し、ポメリーのマスタードでトマトのオープンサンドイッチにして食べた。2切れぐらいで腹一杯になると思っていたのに、気付かないうちに全部食べてしまった。朝食が腹八分目どころか、腹一杯プラスぐらいになってしまったので、昼飯は春雨。

今週は、比較的ゆっくりした毎日だった。普通よりは本を読む時間があった。前の続きで片岡義男の今家に持っている本(ハードカバー)を再読。心にずんずんしみ込む。既にやたらにマーカーで線が引いてあるのだが、そこに重なり、かつ新たに線を引く。1999年頃に書かれた本なのに、状況はどうも思うようには動いていなくて、納得しつつ恐ろしく冷静に覚悟を考える。

ホンダテクニカルショップに行ってクロスカブを見せてもらい、黄色のやつを本格的に注文。今日は朝、facebookで紹介されたK田君の所に、TYZで行って譲り渡す相談。成立。エンジンがかからなくなったトモスはトモスマニアの佐T君が引き取ってくれることになったし、いよいよ僕の家にはカブが1台だけになって、あとはモーターサイクル関係スッパリ何もない状態になる。なんか不安な、でも気持ち良い軽さ。

今日は今から生協注文書をチェックしたあと、図書館から借りてきた笹沢左保木枯らし紋次郎の文庫本を読もう。

昔読んでいた小説。
しばらくぶりで読んでみて、
新たな衝撃。


作品はそちらにあるのではなく、常にこちらにある。


2013年 6月23日 涼しい空気の曇。夏?


昨晩、動かしたら、sai01@から始まるメールが動いていた。相変わらず忙しい毎日が続いていてややうんざりだが、とにかく連絡に関しては以前のメールが稼働しているので御利用を。 


お話の時には映像を使わないですませたい

その言葉でイメージする各自の映像はすべて違う。

映像を使うと映像はその一つになってしまう。

せっかくそんなにあったのに。


2013年 6月18日  
雨粒の見える雨。気温は高いが肌寒い。

sai01のメールアドレスは継続検討中。まだ動いていない。手続きは進んでいるからまもなく元通りになりそうだ。動いたとたん、メールがもの凄くたまっていて、今度はそっちで問題が起こりそうで怖い。

ここ数週間、というより6月に入って以来、毎日何やかにや動いている。
5月末頃、連日小さい人達の活動の打ち合わせが続いた。打ち合わせが続いたということは本番がある訳で、今、それ(本番)が始まった。5~6歳の人達と鑑賞の活動をしたり粘土を作る活動をするのは、毎回違う人間を見ることができて、大変面白いから、僕は心から好きだ。ただそういう状況は、自分が意識している範囲を超えて集中し動いてしまうようで、その人達が帰ったあと、僕はほんとに倒れそうな程疲れている。僕は今、木金土だけ出勤しているが、子供の活動(特に年少の)はそこに集まり三日間のうち、木金のほとんどがその状態。

その合間を縫って、だいぶ前に死んだ母方の叔父さんを巡って、僕は相続人になっているという連絡が来た。その叔父さんは大きい工場の会長を長くやっていた人だったから、え!濡れ手に粟でお金が来るのかと意気込んだが、よく読んでみたら、全くの逆で、彼にはもの凄い借金(1億4千万とか)があったから、貴方が返してという話しであった。まったくいやはや。家庭裁判所に出かけ話を聞き、弟達に電話をし、あたふたおろおろとそうこうしているうちに、その会社から連絡が来て、委任状を書いて相続権放棄して一件落着。勉強になって、面白かったと云えば面白かったが、何事もなかったからこう言えるわけで、世の中気を抜かず、ちゃんとしていないといけない。

僕はもう定年退職しているのに、全然変わりなく、美術と美術館教育を巡る相談や講演は後を絶たない。これも、ま、しょうがない。震災復興関連で、関西の人たちが子供のためのワークショップをしにきて、そのついでに僕の所に顔見せによる。兵庫県自然博物館の人達や愛知県子供センター等の人達。ワークショップの相談。様々な市民センターでの美術を巡るお話。何気に行ったらラララホールの大ホールで、観客は僕より歳を取った人達600人だったりして、ややあがり気味に、美術鑑賞とは何をすることなのか、などという話しをいかにもわかっているような顔をしてかたずける。気付くともの凄く疲れていて一晩寝ただけではスッキリ起きられない。

娘齋悠記のトウキョ―ワンダーサイト本郷での個展は今月一杯なので、来週始め、山形芸工大に呼ばれているついでに、そのまま山形から山形新幹線で行って見てこようと思っている。昨日仙台東脳神経外科でしばらくぶりに見てもらった首の血管のエコー写真では、だいぶ血管の中にゴミがたまり始めてはいたが、見てくれた先生からは、あとしばらく?は大丈夫だろうと云われた。ま、あとしばらく?は忙しい毎日を続けよう。


頭が良いということは、
学校の成績が良いということではない。

学校の成績が良い人より、
人間の性能の良い人になりたい。



2013年 6月 7日  厚い曇り。冷たく湿った動かない空気。

昨日、古くからの友人がしばらくぶりに突然訪ねてきて「ああ、生きていましたね」と言った。ううむ、すまぬ、私はしばらくブログの更新をしないで(できないで)いたのだ。せめて生き死にだけはハッキリさせておいてねと云われてしまった。

しばらく前、メール(電脳通信)に見慣れないアドレスから連絡がはいって「あなたのメールサービスを終了しました」と云ってきた。でもその時、電脳通信機能は全く普通通りに動いていたので、あまり気にせず何もしないでいた。そうしたら、数日前、ぱたりと動かなくなった。私ができる様々を色々やってみても動かない。なんか面倒だなあ、この次の休みの日に腰を入れてサポートセンターに電話しようと思っているうち、今日まで来てしまった。
五月の末からのこの時期、市民センターや何かで新たな講座が始まる。定年退職者の「前」教育普及部長(俺のことね)は何やかにやおよびがかかり、その合間を縫って病院に行ったり、庭の草が限度を超えて急に伸び始めたり(要するに夏になったということなのだが)、そういう時に限って様々な機械が動かなくなったり(歳とったので、キックでうまくモーターサイクルの始動ができなくなっただけだった)するから、腰を入れる時間がなかなかとれなかったのだ。そうこうするうちに、電脳通信が動かなくなった。

みんなすまぬ、sai01から始まるメールアドレスは現在動いていない。鋭意修復中。僕宛の電脳通信を急いでいる人は、美術館宛に手紙か、番号知ってる人は直接携帯に電話の方が早く確実です。

思えば20世紀の終わり頃、初めて買った初代MacBookシェル-オレンジ色で登録して以来使っているアドレスには結構沢山の人が登録されており、これ使えなくなると一騒動だなあと、まるで人ごとのように思っていた。俺の脳は本当に電脳的ではない。本来なら、良い機会だから、手紙と電話に戻るかとも思ったが、水洗便所と同じで、あそこまで戻るのは今となっては無理だ。すまぬ、みんなちょっと待っててね。