お話の時には映像を使わないですませたい

その言葉でイメージする各自の映像はすべて違う。

映像を使うと映像はその一つになってしまう。

せっかくそんなにあったのに。


2013年 6月18日  
雨粒の見える雨。気温は高いが肌寒い。

sai01のメールアドレスは継続検討中。まだ動いていない。手続きは進んでいるからまもなく元通りになりそうだ。動いたとたん、メールがもの凄くたまっていて、今度はそっちで問題が起こりそうで怖い。

ここ数週間、というより6月に入って以来、毎日何やかにや動いている。
5月末頃、連日小さい人達の活動の打ち合わせが続いた。打ち合わせが続いたということは本番がある訳で、今、それ(本番)が始まった。5~6歳の人達と鑑賞の活動をしたり粘土を作る活動をするのは、毎回違う人間を見ることができて、大変面白いから、僕は心から好きだ。ただそういう状況は、自分が意識している範囲を超えて集中し動いてしまうようで、その人達が帰ったあと、僕はほんとに倒れそうな程疲れている。僕は今、木金土だけ出勤しているが、子供の活動(特に年少の)はそこに集まり三日間のうち、木金のほとんどがその状態。

その合間を縫って、だいぶ前に死んだ母方の叔父さんを巡って、僕は相続人になっているという連絡が来た。その叔父さんは大きい工場の会長を長くやっていた人だったから、え!濡れ手に粟でお金が来るのかと意気込んだが、よく読んでみたら、全くの逆で、彼にはもの凄い借金(1億4千万とか)があったから、貴方が返してという話しであった。まったくいやはや。家庭裁判所に出かけ話を聞き、弟達に電話をし、あたふたおろおろとそうこうしているうちに、その会社から連絡が来て、委任状を書いて相続権放棄して一件落着。勉強になって、面白かったと云えば面白かったが、何事もなかったからこう言えるわけで、世の中気を抜かず、ちゃんとしていないといけない。

僕はもう定年退職しているのに、全然変わりなく、美術と美術館教育を巡る相談や講演は後を絶たない。これも、ま、しょうがない。震災復興関連で、関西の人たちが子供のためのワークショップをしにきて、そのついでに僕の所に顔見せによる。兵庫県自然博物館の人達や愛知県子供センター等の人達。ワークショップの相談。様々な市民センターでの美術を巡るお話。何気に行ったらラララホールの大ホールで、観客は僕より歳を取った人達600人だったりして、ややあがり気味に、美術鑑賞とは何をすることなのか、などという話しをいかにもわかっているような顔をしてかたずける。気付くともの凄く疲れていて一晩寝ただけではスッキリ起きられない。

娘齋悠記のトウキョ―ワンダーサイト本郷での個展は今月一杯なので、来週始め、山形芸工大に呼ばれているついでに、そのまま山形から山形新幹線で行って見てこようと思っている。昨日仙台東脳神経外科でしばらくぶりに見てもらった首の血管のエコー写真では、だいぶ血管の中にゴミがたまり始めてはいたが、見てくれた先生からは、あとしばらく?は大丈夫だろうと云われた。ま、あとしばらく?は忙しい毎日を続けよう。