2011年 8月20日 薄厚曇り。暑いが涼しい。なんという天気だ。
たぶん一つ一つは薄いのだろうなあと思われる雲が、厚く重なっている。だから明るいのだが重苦しく曇り。朝、出がけに昨日までのアロハシャツの上に長袖のジャケットを着ていこうかどうか、一瞬迷い、決心して、持って/着て来なかったぐらいは暑いのだが、もう空気は一気に秋だ。という天気。
本当にあっという間に時間が過ぎる。今年仙台七夕は七日から八日だったので、八日月曜日も美術館は開館。前のブログに書いたように5日まで連日活動をし6、7、は予約の活動はなかったけれど、様々個人的な相談があり、8日も出勤。
やっと9日休みだったのだが明美さんの病院が朝一で予約されていていつもと同じ電車で仙台へ。明美さんは最近もう凄く覚醒していて「私一人でできるのになんでこの人がついて来て、やいのやいのいわれなければいけないんだ」という感じにズウッと機嫌悪し。僕はやいのやいの言っている気は全くないのだけれど、歩くスピードとか、先を読む早さとかが違うので、彼女にしてみると、もう、一緒にいるのがそもそも煩わしいようなのだ。この次からは一人で来てもらえば良いのだが、先生からのコレステロールを巡る食い物の話とか、もらう薬の使い方の話とかを聞いていると、やっぱり一緒に来た方が良いのかなとも思う。でも、もうそういうの気にしない方が彼女には良いのかもしれないな。という休み?の一日。
開けて10日11日は、県教育研修センター夏期美術科研修会@美術館。2日かけて鑑賞の研修なのだが、僕は最近一番最後のグループ毎成果発表の時に出て講評。自分で先生達に直接講習するのではなく、僕と毎朝話をし、僕の活動を見聞きしている先生(スタッフ)達が講習をして、その結果を聞く。結構ストレスフルだが、僕にとっては様々新たに気付くことも多くて気が抜けない。一日で一番眠くなる時間帯にそれをするのは本当に疲れる。特に、今年は張り切った(=自分の考えを点検せずに出そうとする)先生がいて、僕にはちょっと大変だった。自分のしていることをこれでいいのだと確認するためだけに他人の話を聞く人には、僕のする話/考え方は凄くわかりずらい物のようだ。僕の方もなんとか折伏しようと話をしているのではないので、より捩れてわかりずらくなる。ということはこちらにはわかるが聞いている人にはますますわかりずらい。凄く大変な感じの一日だったので、帰りセールの始まっていたパタゴニア仙台に寄って、ジップオフパンツを一本と、180サウスというDVDを購入。だいぶ前から持っていたジップオフ(ジッパーで裾が切り離せるパンツ)が、この夏そのジッパーの上から生地ごとさけてしまったのだ。普通ならパタゴニアに頼んで直してもらえるのだが、生地自体がもうヨレヨレになってしまっていたので、もういいだろうと新たに購入。
12日定期休日。一日かけて胞夫さんの初盆準備w道明(一番下の弟)。しばらくぶりに組み立てた盆提灯の電気ロウソクを仏壇屋に買いにいく。仏壇も裏まで拭き掃除。今年は和尚さんには椅子でお経を上げてもらう(14日に来るという連絡あり)ことにして準備。一日アッという間に過ぎる。
13日出勤。美術館探検。お母さんが子供の頃に来たという家族2組。
14日午前中休みを取って和尚さんを待ち、午後出勤して美術探検。午後から武蔵美の学生S水君来る。
今年は、お盆忙しかったのだろうと思う。和尚さんは、僕がまだ上着を着る前(朝飯を食い終わったばかり)に、袈裟を着たまま(僕の記憶では家に来てから部屋ありませんかと聞いて着替えをしたはずだから、そのときはこの部屋でとか考えていた)来て、ソソクサとお経を上げてサッと帰っていった。今年はお盆凄く忙しいのだろうな、というふうにシミジミ感じられる塩梅だった。弟達は午前中とはお昼前のことだろうと思っていたらしく、もう終わったからと連絡したら驚いていた。明美さんも呼んだけど、彼女が決心して部屋を出てくる前に、お経は終了していたので、今回一緒に礼拝したのは僕だけだった。お父さんお母さん、日本はアッという間にこういう状況になっています。凄いね。
確かもうだいぶ長い間ノンビリした一日というのやっていないなあと思いながらも、15日の定例休日月曜日、今度は僕の診察のため仙台東脳神経外科へ朝一で。血液検査や診察をして薬をもらう。さすがにこれはあまりにセカセカしすぎてると感じて、帰り多賀城遺跡付近で少しうろうろして深呼吸。とは言え、回りは広く震災の瓦礫置き場になっていて、深く深呼吸はできないのだった。
18日、朝から出勤電車を乗り継いで本線塩竈駅前塩竈エスプへ。千賀の浦大学という名前の老人(65歳以上の人達なので老壮ではないよね。最高齢の人は92!歳だった)大学で美術の話。午前中で終わって、帰り歩いて、古い塩竈の裏道をあっちこち見ながら、行ってみたかった菅野美術館によったりして昼飯食いながら仙石線で帰宅。菅野美術館は、大変不思議な古い町の奥の斜面に隠れるようにあって、再び歩いていけるかどうかわからないなあというぐらい、面白かった。塩竈は、再びきちんとノッツオをせねばなるまい。千賀の浦大学からは謝金が出るので、この日は休みを取るように管理から指示され休日を移動。でも、これ休みの日の活動か?
19日は、県の新任教員研修で、社会教育-美術館の話。ほぼ午後一杯、熱心な高校の新任教師45名を相手に美術探検。帰りバーニャでパン(カンパーニュはもう売り切れていた)を、岩沼生協に寄って洗濯石けんスペアを買い帰宅。テレヴィを見て10時前に寝る。
書いていて疲れるなあ。来週には子供達が帰って来るけれど、今度は、退職やソーラー関係の書類集めや、夏休み終了間際の職員研修とかが連日始まってくる。ああ、博物館実習もだ。そうこうしているうちにジャズフェスがあって、アッという間に年末だ。いやはや。その前に今年最大イヴェントフェルメール展だし。
2011年 8月 7日 暑く薄い曇り。でも、暑いの続くのしばらくぶりだから嬉しい。僕は7月生まれだ!
この前のブログ7月29日の写真に僕が写っている。玄関前の庭に折りたたみの椅子を出して娘にメールを打っている所を、2回の物干ベランダから、その日ハウスキープに来てくれていたK子さんが撮った。うしろから撮った写真を見ると、まるで自分でないように見えるが、僕以外の人にはこう見えているんだね。自分がそこにいるという自覚はあるときふわりと陽炎のように揺らいで再点検を迫る。でも、いったいここはどこのリゾートだ?
自分ではそんなに気にしていないと思っていて、聞かれた時にはみんなにもそう話していたのに、ここ何回かの文章を読み返すと、僕は毎回60歳になる、60歳になると繰り返していた。結構何か来てんのかしら。人ごとのように書いているが、来てるんだろうなあ。様々な意味と深みで、普通に人生を送る人にとって「還暦」という概念は大変上手くできたシステムなのではないかと、最近考えている。
30年同じ仕事をしていると、その仕事を巡る、社会の仕組みや動き、そしてそこでの自分の立ち位置などが、ある日突然、ピントがあってくるように見えて来る。こちらは30年ほとんど同じことを繰り返していても、回りはどんどん変化していくから、その変わらない仕事の意味が外側から変わって固定されてくる感じ。今僕が30~40歳だったら、ええい、ここからが仕事だとかなんとか、訳のわからないことを声高に叫びつつどこかへ突っ走っていきそうな気もするが、上手い具合に今僕は60歳になっていて、「ここ、仕事、訳、わかる、わからない、声高、叫び、どこ、突っ走る」などなど、すべての言葉一つ一つの概念が、複雑にしかしはっきり有機的に絡まった具体的なイメージになって僕の脳に出現する。ということが気付けるようになった。そしてほぼ同じボリュウムで、今の自分の身体と脳の動き具合、それらを使って動く自分の具体的実践的な行動も見えて、そうはしない自分を見る。静かな広い感じがして来る。そういえば今年は胞夫さんの初盆で、この次の休みの日に仏壇の掃除をしようかな、なんてことを思い出す。歳とるのはこういうことだったのだ。なんと面白い。
最後の週末から思い出せることを書いておこう。
7月の末、昨年末ヒートポンプをつけてもらったオール電化の会社と再び相談をして、この際のこの時期だから、もうあまりお金のことは顧みずに、法律いっぱいまでソーラー発電を強化することにした。今年中に僕の家は(晴れていれば)ほぼ自分の家で作ったエネルギーだけで(直接ではないのが残念だが)ほぼ動くようになる。M-SAI日光発電所。この作業を通して、日本のエネルギー政策の、表面にあまり出て来ない根本的な問題を考える/感じることができた。どちらが正しいとは決められない。ある決まりを決めるとき、その時点で最善であろうと、みんなで知恵を出し合って決めて来たことが、実際の社会についていけず、むしろどんどん陳腐になっていくことの具体例を見る思いだった。とは言え、原発を取り巻く状況含め、それが陳腐だと気付けない大人が多くなりすぎているとは言える。儲かるかどうかを基準にしてものを決めるのは凄く恥ずかしいことだ。
なかなかゆっくり会う時間の取れない若い女友達がいる。彼女は7月生まれだということがわかった。なんだ僕と同じだったんだ、では7月中になんとかしましょうと、合同誕生会を7月最後の土曜日に決行した。朝遅く仙台を車で出て、北の方にある農家レストランで野菜と玄米の昼食を食べた。帰り、その近くの山の麓のダムのほとりの林の中に、車から小さいタープを張って降り始めた霧雨をよけ、お茶を点てて飲んだ。彼女が小さな真鍮の口琴を持って来ていて、二人で遠くに見える雲の沸き立つ山を巡って、いっ曲ずつ即興で演奏した。
こう書くと、なんと素朴で馬鹿みたいなことを良い歳をした男女がしているのだろうと自分でも思ってしまうが、でも、実際にそうして、しばらくぶりの凄く充実した、リラックスした時間が過ぎた。今書いていても嘘みたいな良い時間だった。
開けて8月1日。かねてから予定していた、いつもの小学校教師有志団体との8月のノッツオ@山形市。朝8時に仙台駅集合、山形行き仙山線快速で北山形駅下車。その日の山形は、涼しくはなかったけれど全く暑くなく、全員少しホッとする。この時期の山形としては異常気象と言って良い天候、高曇り。お散歩には絶好だ。ガランとした駅前から、こっちの方に行けばたぶん近くには出るんじゃないのという態度で、あちこち寄り道しながらダラダラ歩いて、旧県庁舎へ。文正館だっけ?ああ、文翔館だ。名前忘れるなあ。という態度。今回は山形出身の人がいるので、名所案内になりかけるのをなんとか食い止めながら行く。とは言え、この辺りは地元の人でないと普段は来ない所だ。そして、山形は小さい街にぎっしりと歴史が残っていて、今でも生きて使われている感じの町だ。着くまで忘れていたのだが、そういう公共の所は、普通月曜休みだよね。だから、僕今日来れたんじゃなかったか。で、そこはもちろん休館。こういうとき地元出身者がいると有利で、すぐそこの裏通りにある大福饅頭屋へ。饅頭屋は冬だけで、夏はかき氷屋。みんなで歩道のあちこちで昔風かき氷を食う。山形は、充分に手入れされた古い家屋や町並みやお地蔵さんや、お寺や神社や何やかやが途切れなくあって、なかなか先に進めない。又これに、みんな丁寧に一つ一つお賽銭あげていくんだな。僕は、帽子とってコンニチワするだけ。12時少し過ぎという、最も混んでいる時間に、折り返し目標地点の梅蕎麦(山形出身者推薦蕎麦屋)到着。しばらく外のベンチで待って全員奥の小上がりに上がって(あたりまえだが)おいしい山形蕎麦を食う。帰りは迷い(元々迷っているようなものなのだが)ながら、山形芸工大卒業生のやっている灯蔵というレストランにたどり着くも、ここも月曜休み。いやはや。ここでも地元出身者の助けで近くのお茶屋カフェに行ってみんなでデザートのパフェを食う。一息後、寄り道をしながら(山形は仙台の一番町みたいな繁華街の中に新たな蔵屋敷通りのような場所を贅沢に作っていたりする)山形駅へ。1時間に1本しかない仙台行き仙山線なので、最後は少し慌てながら乗って(帰りは各駅停車だった)帰仙。僕はそのまま常磐線に座って帰ったが、元気な先生達は駅の中のビアホールで乾杯を2杯して解散したと、後で聞いた。
山形市内のほとんど人通りのない裏町の十字路で、地図を拡げながらどちらに行こうかと話を始める(我々は決して迷っているのではない)と同時に、どこからともなく(たいてい)自転車に乗ったおばさんが寄って来て「どうしたの?大丈夫?」と聞いて来る。そして大変詳しく(ほとんどよけいなことまで)教えてくれる。ありがとうございましたと、僕らがぞろぞろ移動し始め数ブロック進んで振り返ると、たいていまだ見守っていてくれる。何人かは自転車に乗っていない、ということは、いっぺん家に着いて再び歩いて見に出て来たのだ。なんという街なのだろう。山形の人って全体に美人が多いと思っていたが、そうか、こういう風にして本当の美人になっていくのだなあ。皆で行くノッツオはいつも新たな視点が広がるが、今回も様々感慨深いノッツオ(野走)だった。
翌2日、生活文化大1年生60名に美術探検。友人の瀬戸君の生徒。だからというわけではないが大変熱心な人達で2時間ぎっちり常設展示室で絵を見ながらお話。終わると立っていられない程疲れるけど深く嬉しい。良い質問をしにくる学生が終わってからもいた。嬉しい。
次の3日、10時から4時まで昼休みを挟んで、美術館レストラン/コーヒーショップ出店希望者プレゼンテーション。面白かったけれど、居眠りするわけにもいかず、若干へばる。向こうのペースで進む活動は僕を心から疲れさせる。でもとにかく心も頭も休む暇のない時間だったが面白かった。世の中にはいろいろな人が一生懸命生活をしている。この中から一社だけ選ばなければいけないのが残念だ。
4日。予約されていた多賀城のある幼稚園の子供アトリエとの純粋充分な美術館探検。小学校低学年(OB,OG)数名を含む、幼稚園の人達と親。初めはみんな緊張していたけれどゆっくり丁寧に動いて行くとどんどん顔が変わってきて、最後は皆で小さい木の舟を造って終了。解散前のまとめのお話の時僕の膝の上に自然に座っていた男の子が一人。解散してから丁寧に挨拶をしにきた家族が2組。良い活動だった。
5日。仙台市小学校図工部会夏の研修会。事務局の人達との打ち合わせ時、とにかく先生達は準備をしすぎるのが問題だから、今回は何も用意をせず、出たとこ勝負で授業(活動)を組み立てる所から公開しよう、ということにしていた。いつもはせいぜい集まって30名前後の集まりだ。今回ふたを開けてみたら、109名来た。なんなの皆な?一応塗りつぶしをするつもりで各自好きな鉛筆と紙(B5一枚)を持ってくることにはしてあったので、参加者と相談しながらフロッタージュに変更。でもせっかく大人が美術館でするんだから、出来るだけ平らに見える所の擦り出し。床とか机とかの広い表面。5人一組で繋ぎ合わせて平面として提出、という活動。2時間ぎっしり。僕は面白かったけれど、参加者もなんだか興奮満足に見えた。教師側でなくそっち(生徒)側に主体を置いた教育の視点。やる方もやらされる方も簡単安心で深い活動になる。
さすがに、6日7日は予定された活動なし。でも、個別に深く簡単に考えてはいけない相談あり。今日は早く寝ようと思うのだが、テレビで面白い映画がある。そして明日月曜は本来休館の所、七夕開館で出勤。代わりに火曜休館なのだが、その日は明美さんの病院に朝一で診察予約してある。それが終わったら、胞夫さんの初盆だ。やること次々あって嬉しい。本当かな?
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