だいたいの事は
ほとんどどうでもいい事
なのではないか。

その中に起こる大切な事。
見逃さないようにしたい。

2014年 8月30日 
湿った涼しい空気の曇り。
通勤時猛烈な雨。

気付くともう9月に入ろうとしている。前々から今年の9月は急がしい予定になっていた。いつもなら2月にあった沖縄県立芸大の集中講義(博物館教育)が、様々な問題が重なって今年は9月にやることになってしまっていたのだ。それで暑い最中まるまる1週間沖縄に出かけることになっている。しっかり覚悟しておかないと物理的に大変だぞと思っていた。

そこにまわりとは全く関係なく登米の幼稚園から依頼が入って、10月中旬、県の国公立幼稚園の先生達の研修会で子供とのつきあいを巡るお話を頼まれた。いやあ、急がしくなってきたぞと思っていたら、またまた全く関係なく茨城県近代美術館から電話があって、今度やる「ワカラナイのススメー2」という展覧会で、11月16日日曜、ワカラナイの楽しみ方の実践とお話をしてくれないかという相談。それはいいが、9月に入ると、僕は白百合女子大で幼児教育-図工の授業を半期15回する事を4月に約束している。前に書いた丸森の「大蔵山ワークキャンプ2015年」の相談も1年前だから佳境に入って来る。そしてこの時期、街の市民センターでは芸術の秋だ。美術の楽しみ方のお話が聞きたいというリクエスト。いやはや、みんなどうしちゃったの?

そうかみんな美術を気にするようになってきたのだね。こういうふうな社会になるために、僕は何十年も美術館で働いていたんだ。頼まれるうちが花。撃ちてし止まん(ここでこういう風に使っていいのか?)。断ってはいけない。断る理由はない。行ける所まで行って話そうと思う。

僕が持っている服は、夏用のが冬用より圧倒的に多い(僕は7月生まれだ)のだが、それがここに来ていっせいに老けてきた。前にも書いたが、特に何をしたではないのに、活動から帰ってくると、肩がぞっくりと裂けていて、それを直そうとさわると肩全部がそっくりとれて来たりする。この事は前にも書いた。

美術は、そのリアルな状況/状態をいかに余裕を持ってとらえられるか、というような物であると考えることもできる。さて、この状況はどのように余裕を持ってとらえられるのか。


なんて事をつれずれに書いていたら連絡が入って、下の娘が第3子を無事生んだとの事。予定は9月3日と聞いていたのだが、何はともあれ良かった良かった。