2010年 2月22日  高曇り。まだ冬だけど、柔らかい寒さ。

しばらく更新が途絶えた。もちろん身体は元気だ。ただこの前書いた後、心が少し動揺していて、なかなかまとめを始められないでいる。今日はきちんと時間が取れたのでここしばらくの間の整理をしてみよう。

僕のブログは読み返すと、自分でもなんだかシツコクて閉口することがある。誰かに読んでもらうということをあまり考えずに、そこの時点で自分が考えたことを忘れないように、またはゴチャゴチャの思い付きを整理するために書いているためだろう。頭の中を字に置き換えるのは、造形するのに比べると本当に面倒くさい。


管理職になると、休日とは関係なく様々出勤しなければいけない仕事が出てきて、休みといっても休んだ気があまりしない。それでも、僕はぐうたらに自分の主義を通す方なので、その分だいぶみんなに面倒をかけている。とは言え、どうしても出なければいけない時にはもちろん出る。ただ、特に何も話さずにすむ会議に出ていても、他の人が一生懸命話すことを聞いて、感心したり世界が広がったりすることは多々あって、面白い。今の日本で美術館を公共のお金(税金)で運営するということは何をどうすることなのだろう。何をどうしたいのでそれをしているのか、みんな考えているんだろうなあ。

近代もここまで来ると一人一人はみんな違っていて、あの人もそのうちの一人だが、この人もまたそのうちの一人なのだ。どこに立ってどのような決定をしたらいいのかについて、様々な場面で決める。これまでの人間の大人はずうっとそれをやってきたのだ。その結果こうなっているのだから、僕は一生懸命これまでをふまえた上で、300年後に残るための「今の決断」をしなければいけないのだなあと思う。


2月11日午後1時から東京の新宿であった武蔵美のシンポジウムには、朝いつものとおりの出勤電車で出て仙台でハヤテに乗り換え楽勝で現場につくはずだった。しかし最近私はこのような移動についていない。今回は、小山駅構内の信号機の故障。新幹線ハヤテなのに白石蔵王駅の先のトンネルの中で、ゆっくりになったなあと思ったら、止まってしまったりするのだった。そのため、余裕を見ていた時間がすっかりへんてこに空いてしまった。ただその時間調整のため東京駅前の八重洲ブックセンターに寄って、探していた新書を見つけたりできたので、最終的にモンクはない。

乗り物のつきの問題は帰りにもあって、日帰りするため乗ったその日の夕方の新幹線で、車内で食べようと思って買った「深川メシ」弁当(アサリの炊き込みご飯に穴子の蒲焼き2切れと泥鰌の甘露煮?2匹付き)に箸が付いていなかった。ちゃんと心して食べる駅弁はしばらくぶりだたのでホームの中にある弁当屋を2軒見て回った上で、これぞと決めて買ったものだったのに、電車が動き始めてすぐに食べ始めようと勇んで蓋を開けてみたら、ない。蓋をひっくり返したり箱の裏を見たり、蓋に「これには箸は付いていません」と書いてあるのではないかと全体の細かい字を読んでみたり様々(無駄な)努力をしたのだが、ない。スゴーク力が抜けた。おなかへってるのに。ただ、これもあとで来た車内販売のカートのお姉さんに話したらすぐに割り箸をくれたので、最終的にモンクはない。

しかし、割り箸って、いくらぐらいで買う(売ってる)もんなのだろう。聞くまでちょっとドキドキ。30円以上でも買うだろうか?いや、やっぱり50円と言われたら、いらないと断って値段の交渉に入るべきなのだろうか?とかね。実際には、彼女の方を向いて「あの、弁当の箸」まで言った時点で彼女のエプロンのポケットからさっと紙袋入り割り箸(爪楊枝内蔵)が出てきて、微笑みとともに僕の折りたたみテーブルの上に置かれたのだ。もちろん無料。ワゴンは何事もなかったように進んで行ってしまった。これって、普通のことだったの?そんなに箸入ってない弁当ってあるの?疑問は何も明らかにされないまま、僕の動揺だけを残して、時間は進んで行く。最終的に、モンクはない。これってついていないんじゃなくて、結局本当はついてるんじゃないのか?金沢に行くときだって座席は手に入れたんだし。


さて長くなってきた。シンポジウムでは、青山大の苅宿先生から画期的な考えを聞くことが出来た。彼は、全く美術とは関係のない世界の人で、社会学教育学畑の人。これまで、個人を中心に考えてきた僕の美術教育の方法に、なぜそれが肯定的な方向なのかについて、初めて理論的な解答が出てきた。これまで直感的にだけ思っていたことがなぜ大切なのかにつての答え。未だ考え整理中。金沢での近代と現代の断絶と連続の話+苅宿さん理論=僕がやってきたことの位置。いやはや、こういうことにいくなら嬉しいのだが。


2010年 2月 7日  結構快晴。でも強い風と切るような寒さ。

金沢から帰ってきて,続けざまに毎日の活動があり(当たり前だけど)時間が進んでいく。毎日,こうもしようああもしようと考えは出てくるのだが実際に動けるのは,一日一個になってしまっている。歳を取ると時間の進み方が早くなると誰かがいっていたが,このことかと思う。アッという間の毎日で,家に帰って夕飯を食べ,テレビでアメリカンフットボール(これとバスケットね)を見ていると、もう今日は寝ようという時間にすぐなってしまう。更新がそんなに滞っているという気持ちは自分にはないのに,今開いてみると,この前書いたのは,なんと1月26日!だった。確か4日間ぐらい書いてなかったと思っていたら、もうこんなにたっている。このぶんだと今年は,あっという間にクリスマスになってしまうのだろう。ま、とにかくそれまで元気に生きていたいものだ。


今回の金沢でのもっとも大きな収穫は,今の時代は近代(モダン)の延長で考えてはうまく納得できなくなっているのではないかという事に気付けたことだった。自分を意識する事に、各自が今の私たちのように気付いたのはそんなに昔ではないと、僕は考えている。元々私達はまずお母さんの子供だという認識から自意識を始める。成長するに及んで,お母さんは、王様や神様に変わっていく。でも,誰かの子供である事に変わりはなかった。自分が何かを決める中心にいるという意識は,本当についこの前わかった事のように僕には思える。誰が美人かを王様に決めてもらうのではなく,自分で決めてもバチはあたらない事にみんなが納得するのに,僕たちはだいぶ長い時間(何千年も)をかけてきた。自分で決める事をどの方向にどのように拡大するかについて,人間は様々な検討と練習と実践と、そして反省と後悔を、繰り返してきた結果(とは言え,それはたった200年ぐらい)が今の社会だ。

もちろん様々な意見があって当然だけれど,僕には,この近代の時代の流れ方は、美意識や倫理観を含め,何か大きな勘違いを詳しく点検する前に、そのまま雪崩をうって21世紀に入ってきてしまったのではないかと思える。20世紀を通して,私たちの自意識は,種としての人間から切り離された形での自分を肯定する方向で来てしまったのではないか。良いとか悪いとかでなく,種類としての人間は今をそうしか理解できなかったのだと思う。どうも悲観的だ。


そういう自分の中での動揺とはまったく関係なく,美術館で高山登展が始まった。彼は「モノ派」の重鎮で、昨年後半にあった「宮城のゼンエイ」の締めくくりだと見ればわかりやすく面白い。ちなみに,宮城県美術館は昨年ファイニンガー展から始まってこの高山展まで,美意識の拡大については、なかなか善戦したのではないかなあ。なのに,高山さんは,オープニングに始まって,この展示について,とにかく良く喋る-解説してしまうのだ。ちょっと驚いた。はなしてもいいけど、なんかちょっとダイレクトすぎる感じ。モノ派まで行き着いた近代は、もう少しモノに話させるんじゃなかったっけ。金沢の後で,モダンについて動揺している時期だったので、彼のおしゃべりは心の深い所にきいた。

こういう動揺の最中に、宮教大の視覚障害ゼミの学生等や市内の保育所の卒園の連中とかがきて、僕も何やら,近代崩壊の中で、しかしポストモダンの実際の活動をしなければいけなかったりして,動揺の振れ幅は大きくなるばかりだ。

そういう中、2月11日東京新宿である武蔵野美術大学の『ワークショップとファシリテーションを巡るシンポジウム」に呼ばれている。神様、近代(モダン)、ポストモダン(近代)、コンテンポラリー、で、テンポラリ=は?。どんどん自信が揺らぐ中で,いったいどのように話は展開していくのか。楽しみと言えば楽しみだ。