’07 02 25 青い空の天辺まで高気圧に違いない様な快晴。風は冷たいけれど。

 長い間更新していなかった言い訳と、最近の状況。ブログが変わらないと、僕は何もしていないことになるらしいことへの恐怖。1月の末に更新して以来、しばらく書かなかった。というより書けなかった。電脳を横目で見ながら気にしてはいたのだが、ちょっと待っててね、という感じで時間は過ぎた。2,3日の感じが2,3週間になっている恐怖。


 2月4日に、愛媛県美術館で、「対話を使って行う博物館教育」のシンポジウムがあり、オブザーバーで出席。2日までと、6日から、宮城県美術館での活動が既に予定されていて、3日と5日、一日で、宮城仙台−愛媛松山を往復することになった。最も魅力的な行き方は、広島呉の大和ミュージアムから瀬戸内海を船、という手があったのだが、その他も含めて様々検討の結果、地上を走っていくとどうしても時間的に無理が出てしまい、しょうがない、大阪伊丹乗り換えの空路で移動。せっかくだから、仙台−伊丹は小型ジェット、瀬戸内海はプロペラ機にして、天気も大変良かったので様々楽しんだ。松山は、仙台から比べれば規模は小さい。しかし、人間にとっては大変適切な大きさの街で、市電が一周し、真ん中にお城の山のあるなかなか散歩しがいのある街だった。なにしろ、飛行場から歩いて(4,5㎞)町の中心部まで出られるのだ。仙台で言えば、長町モールあたりに飛行場があって、北仙台あたりが道後温泉。一番町4丁目市役所県庁あたりに、青葉山があって頂上にお城、という感じ。ね、散歩したくなるでしょう?そういうところにすむ人たちと、美術館の使い方使われ方の話し合いをする。なかなか、真剣で、考えるところの多い状況でした。この会を巡る報告はどこかできちんと別にしなければいけないだろう。
 で、帰ってきてすぐ翌日。石巻万石浦小学校のPTA社会学級に呼ばれて「移動美術探検」。呼ばれれば、僕、「美術」の話しにどこにでも行きます。朝早く、自分の車に、レプリカの絵を積み込んで仙台東道路、三陸道を経て移動。30名ほどのお母さん達を対象に午前中1時間半お話。彼女たちの期待したものと、僕のお話は、最初一瞬すれ違って、みんなの顔に動揺と諦めが走るのだけれど、それは一瞬のことで、後は、生活の中で「使う」美術のお話だから、むしろ集中してしまって、お話やめるの大変な感じになってしまう。でも、どうだったのかなあ、初めから、ある常識の中で僕の話を聞いている人には、つらかったのではないのかなあ。常識を点検して(無理矢理)拡大しましょうという内容だったからね。おもしろがる人にはおもしろかったかもしれないが、「やっぱり絵、見るのって難しいのよねえ」と言いたいために来た人にはつまんなかったかも。簡単に見る方法のわかりやすく日常的な話だったからね。
 というようなことを、毎日しこしこやっていたら、10日になった。この日は、2月の第二土曜日で、ということは、定例の自由参加の美術館探検(宮城県美術館独自の考えによる、10歳以下の人たちに対する美術鑑賞の活動)のある日だった。たいていの場合、この定例の日に自由参加で集まってくる人は、2,3人、多くて10人ぐらいなのだが、この日は、なんと大小併せて、30人ほど来てしまった。あっけにとられる私。2月初め、宮城県美術館のことが新聞に出たらしいんだな。そこで、子供の活動をしていると書いてあったらしいんだな。するとこうなるんだな。みんな来てくれるのは大変嬉しいけれど、連れてこられた(来たなら良いけど)子供はどうなのかなあ。参加者が多ければいいという活動ではないので、ちょっと困った。でも、もちろんこっちの活動にすぐ気づいて、のってきてくれる少し大きい子供たちもいて、なんとか終了。又、もう少し少人数で、個別に相談に来ていいんだよ、という宣伝を子供たちに、した。
 そうこうしているうちに、埼玉県美術館の教育担当学芸員が、春休みに美術館教育を中心に組む予定の展覧会に、みんなの所で工夫したワークシートや活動の様子を募集しますという呼びかけをネット上で始めて、これに、全国美術館会議に参加している美術館からたくさん参加協力が寄せられ、盛り上がりはじめた。
 2月の初めに愛媛の美術館でみんなの話を聞いて以来、僕は、なんか、ちょっと違うんじゃないかなあの気持ちが心に引っかかっていた。これまでの常識のフィールドで、これまでのやり方を修正強化しようとしても、これまでやってきた結果、こうなってしまった今の状況は変えられないし、変わらない。だから、そもそもの常識のフィールドの点検から始めるやり方を、これからは考え出されなければ、これまで築き上げてきた状況は急激に崩壊していくしかないんじゃないか。今までだってそうだったのだから、子供の感性や情操を造形を通してはぐくむのが美術の授業の存在意義だなんてことだけを繰り返し言っていたのでは、義務教育から美術図工はなくなってしまうし、お金がなくなったという理由だけで、生活の中から美術館はなくなってしまうだろう。美術の授業が算数の授業におきかわり、美術館をやめて、地下鉄が掘られれば、日本は、科学立国の国として世界の中で強く生き延びていけることになるのだ。僕には本当にみんなそう考えているに違いないとしか思えない。これまで、それらが、なぜ義務教育や、社会の中に必要なのかの理由付けは、あまりにお粗末だったのではないか。日本の大人は、義務教育の中で、ということは、好き嫌いを問わず、国民全員が、若いうちに、美術音楽体育を勉強しなければいけない(義務としてまで)ことの理由を真剣に考えていなかったのではないか。危機的な状況が人生の中に起こったとき、常識の外から、常識の再点検を、ごく常識的にできる力(芸術作品を鑑賞する時の基本的な姿勢ね)を養うためにこそ、基礎的な教育の中に美術音楽体育のような、表現系の授業があったのではなかったか。その人が生き延びるためこそ、それらは、強力な人生のためのエンジンとして働く。
 ちょうど、シンポジウムの報告原稿用に、このようなこととか考えていたので、この盛り上がりはいったい何なんだと思ってしまった。
 ここに、毎日の私の生活がオーバーラップする。こんなことを考えることとは関係なく、私の毎日も過ぎていく。いやはや。