自分で考えて、自分で決める。

そういう風にして、喪に服す。

自分で決めたのだから、
色々言われてもしょうがない。


2017年 3月14日    
冷たい雨、朝から。気温は春。

大学の後期の授業を一つ、火曜日の朝に僕は持っている。1月24日はその火曜日だった。9時からの授業に間に合うためには朝5時に起き、7時に家を出る。5時に起きて2階のキッチンに行くと、風呂場の扉が閉まったままになていた。そういえば、毎日の小遣いと薬をいつもと同じに明美さんの部屋に届けた時、彼女は部屋にいなかったなあと思いながら、「僕はもう行くよ」と声をかけたが、何の物音もしないので、ちょっと風呂場の扉を開けて中を覗いてみた。

風呂桶の中に彼女は裸のまま横になっていた。まるで、風呂に入ったまま寝ているように見えた。あ、そのまま寝てたら、溺れてしまうよ、と頭を起こそうと動かしたら、びくともしなかった。頭だけでなく、体全体が一つの塊になっているように感じた。これは僕一人ではどうにもならないと瞬時に心から思えた。どうにかしなければいけない、まず救急車とすぐに思ったけれど、こういう時に限って、携帯電話は1回の僕の寝室に置いてあったりする。階段で転ばないようにと意識しながら寝室に降りて、消防署に電話しながら階段を上る。まず救急車をお願いした。電話した途端、まるでそこまで来ていたかのようにすぐ救急車のサイレンが聞こえ家の前で止まった。ように、僕には思えた。

彼女を風呂桶から出すのに、救急車の運転の人も来てもらって、たいそうな力仕事になった。この後の検視で、彼女は前日23日の午後10時頃死んだのではないかとわかった。約7時間経った死後硬直は、ほぼ固まった一かたまりの粘土のように硬い。こういう風になった人は、救急車の搬送の範囲を超えるので、お巡りさんが来た。不審死なので警察が確認することになる。6時過ぎに警察の検死官のお医者さんが来て様々医学的な検査をし、解剖はしないと僕が決めたので、齋明美さんの死亡は2017年1月24日午前7時頃確定された。僕はまだパジャマのままだった。

こういう風にして彼女は死んでしまった。1月26日に火葬し、今は骨になっている。

もう1ヶ月をはるかに超えているのに、彼女が死んだことを巡る様々な手続きが、いまだに続いている。形式的な葬式をしなかったし、お知らせはごく内輪だけにしたので、かえって、新たに知った人が、ぽちぽちといつまでも線香をあげにくる。僕の感じでは、むしろその空いた時間をぬって、確定申告をし、沖縄の大学に博物館教育の集中講義をしに行き、3月いっぱいは公務員の仕事に出勤し、その他のNPO関係の活動をし、4月からの年金生活になった時のための自転車の整備をし、テント類の整備点検をし、でも、全体的に体力が落ちてきているので、腰や膝の補強に気を配り、明美さんがいた時と変わらないはずなのに、やっぱり増えたように思う家事を自分でし、弁当を作る。なかなか前のように自分の時間が取れなくなったなあと思うことで、じわりと彼女がいなくなったのだということを感じる。まだ、あの時のドサクサが強く続いていて、なかなか涙が出てこないのが少し悲しい。





自分であるということは、
誰とも似ていない
ということだ。

誰とも似ていない
ということは、
日本では普通、
変な人だと言われる
ということだ。


2017年 1月  6日      
いい白い雲の浮かぶ晴。乾いたすっきり冷たい空気。

今年度は夏にメインテナンス休館をしているので、宮城県美術館は1月は5日でお休み終了。でも僕は今日は休んで家にいる。今年1日は起きたらすでに社会人対抗駅伝のテレビが始まっていて、そこから簡単に餅を食いながら1日テレビ観戦。2日は箱根駅伝。朝早く起きたのに、パジャマのまま1日観戦。3日も朝から駅伝。昨日の反省?からきちんと着替えをして洗濯などもし、きちんと観戦。例年の通り、駅伝終了後、続けてライスボウル。夜風呂に入った時に体重を測ったら、予定通り?2キロ体重が増えていた。なので、昨日は昼前からいつもの里山に長い散歩に出た。

家から歩いて出て、線路の西に広がる田んぼの中の道を突っ切り山裾を南に廻って、大日堂裏から昔のゴミ焼き場への道を登り、尾根に着く前に舗装路から山道に曲がり旧道を尾根道に。深山山頂で一休みしたのち、道沿いにグリーンピア蔵王展望台まで出る。そこからぐるっと幾つかの展望台を回って、下山。ちょうど巡回バスが来たのだが、思ったより体調精神共に快調だったので、そのまま家まで歩いて帰る。書くと結構歩いたように思えるが、多分数キロ。でも気持ちよかった。今日も思ったより筋肉痛もない。準備/整理体操、というより柔軟体操を常に普通にやるようにしようと思う。

休みに入って、片岡義男の「言葉をめぐる本」をまた読み直している。自立した個人でいるということを日本語で行う自覚の覚悟を忘れないようにしなくては。またはそうしている自分の変化を受容できる自分を見つめる力を自覚するか。