今いる所。

昔からある所。

私は、繋がっているか。


2024月 3月31日

乾いた冷たい暖かさの空気。上着を1枚脱いだ。


どうも僕が気にしているところは、それを気にするのは僕の何処なのだろうという事のようなのだ。あることを気にする事の理由は、みんな違う、当たり前だ。だから、違う事の理由を気にしても始まらない。なぜその事をそのように考えてしまうのかについて、考えている。能天気だ。


普段そのようなことをぼんやりと考えて歩いているので、すごく実践的な質問をされると、なんかつまらない返事をしてしまう。そうして、しばらくしてその問いに関して僕が考えている正しい答えを思いつく。その時、質問した人はすでに何処かに行ってしまっている。最近は、その元々の質問を忘れてしまうので、困る。でも、忘れることは、僕にとって忘れて良いことなのだろうから、忘れてしまう事にしている。


 4月 4日  明らかに空気が暖かい。しかしすっきりしない薄曇りの青空。


24年の4月、令和6年。なんか慣れない。僕の最初の孫は、4月から公務員が始まる。毎日朝早く出かけて行く。僕は公務員定年退職者。さて。


今朝、暫く前に連絡の葉書が来ていた、駅前にあるいつもの歯医者に、定例のいつもの健診と掃除に行った。僕は、だいぶ前から1日1回、夜の風呂に入る前にしか歯磨きをしない。3分間電動歯ブラシ。でも、ここ暫く毎回虫歯なし、ちゃんと磨いてますね、と言われるだけ。ううむ。何がどうなっているのだろう。すぐ終わっても、まだ11時前。駅前のいつもの喫茶店で、何時もの珈琲1杯。飲み終わってもまだ、昼飯には早い。


駅前の公衆トイレで小便をしていたら、目の前の明かり取り窓のガラスの上を、小さい虫が登って行った。僕にはすべすべのガラスに見えても、この虫には手掛かり足掛かりが見える程度には凸凹なのだろう。

多分、この虫には自我などという自覚は無いだろうから、何か僕には思いもよらない状況/判断で、この目の前の凸凹をよじ登っていく事にしたのだろう。こういう状況の判断の積み重ねで、今、この世界のこの瞬間が出来上がっている。この世界中のこの瞬間のこの状況は、多分、僕が自覚しているこの状況だけ。あとは、この小さい虫のあるという一生懸命さのようなもの(僕が思っている)だけが見ええる。オシッコをしながら、その虫と僕の間に、何かが起こった。と、僕は思っていた。自覚するって、本当に大変な事なんだなあ。ひょっとすると、この世の全ての生き物には人間にはわからない、各自の自我があって、見える全ての生き物は、すべて自覚的にその方向に動いているのだと面白いのだが。あの小さな虫も。