見えている物は、
実は自分の頭の中にあるもの。


頭の中に見えるもの。
自分の世界観。


自分の世界観だけが描ける。
描くことの自覚。



2012年 5月30日 乾いた冷たい空気。風は暖かな快晴。


昨日からガレージセールをしている。もちろんウイークディで、しかも10時~16時だから誰も来ない/来れない。昨日はにわか雨も降ったし。でも、熱心な人が少しきて、昨日今日でウン千円(も)売れた。何が何んだかわからないモノ(ばかり)なのに、来た人は何かかにか(大切そうに)買っていってくれる。ありがたいが不思議だ。

という文を昨日(29日)書いた。本日16時広告されたガレージセール終了。3日で合計15人?来た。一人一人個別な報告をしたい程、各々が中身の濃い来訪だった。まず一人で来て、その日のうちに友達を連れて又来てくれた人がいた。その連れられて来た友達がその友達の友達とその日のうちに又来た。僕のワークショップみたいだ。参加して同じ時間を共有しないと、そこで何が起こっているのか説明しにくい時間の流れ方。「ううむ、ガレージセールってこういう風にするのか」という感想を、来てまず漏らした人がいた。そこに並んでいるものは、僕の/はいらないと思うもの。貴方はよく見て考えて100円出すかどうか決める。

合計33年間、僕は宮城県の公務員として宮城県美術館で働いていた。公務なんだけれど、美術館なので、僕に取ってはこの後どう対処し処分したら良いのか判らないものが少しずつ溜まって来る。その溜まってくる物の中には、僕に取ってはそうだけれど、(普通の)人にはそうはならない物もあるようなのだ。でも、もちろん僕の一存が優先される。当たり前だけれど。というような物や事に、僕以外の人がコンタクトを取って、考え100円出して自分の物にするかどうか決めていく。相談に乗り説明をし、再び相談に乗り、見ている。ほとんどの時間は何もしないで本を読んだりしているのだけれど、僕には大変充実した、考えることの多い、3日間だった。

2CVの車検の連絡はまだ何も来ない。ということはまだしばらくガレージは空いているということだ。
今回、本当は日曜日からしたかったのだが、先週日曜27日の午後、僕はイズミティ21で、泉区絵画同好会の人達のために、美術の鑑賞についてのお話をする仕事があった。だから28日月曜から30日水曜までのウイークディだけの開催になった。面白かったので、ウイークディに来れなかった人達のため、この次の日曜日6月3日に、公開のガレージセール「付録」をすることにしようと思う。何があるのかは、来てのお楽しみだが、なに、まだ、粗大ゴミに投げに行くには多すぎる物が残っている、ということだ。


誤解、深読み、思い込み。


しかし、


まず思い込んでしまって、深く考えず、誤解したままの方が、


文化の伝わり方としては多いのかも。


2012年 5月23日 湿気った空気。暖かいが肌寒い。

やっとなんとなく、美術館の身の回りの整理が終わった(ような気がする)。
その結果段ボール箱に二つ、本以外に整理しなければいけない(処分すべき)物が出た。でも、30年投げられずにいた物が多くて、燃やすにはしのびない。ガレージセールをしようと思う。もちろん美術館ではセールをしてはいけない。
5月の終わり頃、僕の2CVが車検に出る。そうすると岩沼の家のガレージが空くので、その時期に僕の個人的なガレージセールをしようと思う。という文を17日に書いておいた。

昨日晴れている間に、2CVを中新田の自動車工場に持っていって、なにはともあれ、車検をとってもらう相談をし、車をおいて来た。まず車検を通した後、雨の日にも乗れるようにするための修理を、どのへんまでするかについての相談をしようと思う。さて、予定通り、しばらくの間、岩沼の家のガレージが空く。

5月28日月曜日から30日までの3日間、朝10時(頃)から4時(頃)まで、毎日、雨天決行で「齋正弘退職に伴うガレージセール」をしよう。

すべて、1品100円。物がなくなり次第終了。早い者勝ち。今回の齋正弘定年退職に伴う、美術館、自宅、その他から出た、今の私には不要の物を(思い切って?)処分。もちろんあんまり大した物はありません。

岩沼の家ー要するに僕の住んでる所ーは竹駒神社の7軒南隣。齋文章堂というハンコと文房具の店の向い。外壁が銀色で内側の壁が朱色の、方流れ屋根の2階建ての家。さしあたって、竹駒神社の駐車場を目指して来て、そこに車をおき、大きな赤い鳥居から南に向う道をたどって、道沿いに7軒目。駐車場から歩き始めて、たどり着けない人は、「齋文章堂」という「ハンコ屋」をその辺の人に聞くと岩沼の人ならみんな知っていると思う。


既にそこにあるもの。


たいていは、
必然があるのでそこにある。


私の必然、ここの必然。





2012年 5月 12日 明るい快晴。乾いた北風強し。

この文を書くために、少しさかのぼって前に書いたブログを読んだ。ほぼ1年前のこの頃の想いは、具体的には僕の中から、ほぼ消えていた。ちょっとビックリした。では、すっかり忘れてしまったのか!と考えると、どうもそれとは違う感じがする。体験が経験値として蓄積される実感。不思議な感じだ。

僕の両親の胞夫さんや栄子さんは、震災の気配もない(ま、普通、その時!まではずうっと気配なんかないわけだが)時期(20世紀とまとめて言ってしまいたいが)に、生きて死んでしまった。彼らと、正否に関わらず、原子力発電についてお話をした記憶は、僕にはない。電気をいかに安く使うかについては話した記憶がある。彼らは正直真剣(超)真面目の人達だったので、上手く育てられたその息子(僕の事ね)は、やっと正直真剣(やや)臍曲りになる事ができた。今となっては様々な意味で、善い教育を受けられたと思う。
そうして、3/11以降に/も、人間の生活を組み立てていくことになってしまった僕は、その出来事のポイントにどうするこうするという事より、自分自身(人間)の生き方(行く末)のようなものを点検し直す活動に興味が移って来ている感じがする。その人の、その時々の実際の活動がどう出るかは、普段どういう基準で生活を組み立てているかと深く関わる。僕は気色ばったり頑張ったりせずに、しかし地球上の生き物として普通に生きているかは意識して、というようなことを考えながら定年になった。そしてそのまま毎日、生き続けている。

1週間に4日休みになって、自分が自分のためにだけ時間を使って良い(もちろん様々他人と関わり合いを持たざるを得ない状況も含めて)という実感は、まだいずい。うちにはちょっと皆と上手く調子を合わせられないオカミサンもいるし、自分のために好きにやる、というのはたぶんみんなが思うような「好きにやる」とは違うのだろうが、でも、そんなことを言えば、人間はみんな違うのだ。

これから、僕は何処にどのように口出しをしていくのかを巡って少し動揺している。




私がここにいる、という意識。


私はここから見ている、という意識。


近代という意識。



2012年 5月 1日  晴。乾いた空気の風、強し


退職したというのに、テンヤワンヤの毎日が続いている。引っ越しが落ち着かない感じ。再び更新が滞って、あっ!もう5月ではないかと、書いている。退職したらすぐしようと思っていた、庭に模型の鉄道線路を敷く工事や、思う存分カヌーを漕ぐや、自転車で岩沼の旧跡巡りをするなどは、ひとつも手を付けてすら、いない。もう退職したから時間はあるぜなんて、すぐに言ってしまうのが、どうもいけないのだ。いやはや、こっちの時間の流れに慣れるのに、しばらくかかりそう。

昨日は午後から仙台文庫とメディアテーク主催「はじめての美術準備室」というトークショウがあって、スピーカーとして呼ばれていた。なので午前中に、娘達の所にまとめて(その梱包に前夜遅くまでかかってしまった)退職記念齋正弘オリジナル手ぬぐいを郵便で送り、ついでに郵貯関係送金。帰りに銀行のATMから、その手ぬぐいの制作代振込。昼頃電車と地下鉄乗り継いで時間間際にメディアテークに。ついてほぼすぐ「美術は学べるか」という1時間半のお話。スピーチが終わってから、聞きに来てくれていた人達とお茶を飲んで7時から打ち上げ。でもご飯だけバクバク食って、8時過ぎには電車で帰宅。最中、中山商店の中山さんが死んだと言う信じられない話を聞く。いったい何それ???物凄くビックリするも、すぐ、僕も、こうありたいと強く思う。
その前日の29日は、朝からトコトンの先生達9名と、震災前に同じメンバーで行った「磯浜の現状を見る会」というノッツオ。現場では全員明るく活動していたいが、車の中では言葉少なく、今日になっても、これまではやったその日の午後に出ていた報告も、出てきていない。僕は、ちょっと気を抜いて、手首の所だけが真っ赤に日に焼けてしまったりした。

という具合に振り返って書き始めてみると、前に書いた4月15日からのスケジュール帳は、退職前より書き込みの密度が濃い。遠刈田に新しくできた(作品もだが、それよりも興味深く)ギャラリーを見に行って、その帰り、いつも行く七日が原の革細工の友人宅に寄って、昔作ってもらった革のiBookシェル用ショルダーバックを、普通使いに作り直してもらったり、丸森ふるさと館に行って猫神様の報告書(これについては項を新たに起こさなければと思う)をホウホウのていで手に入れたり、やっとこさで届いた(これも新たな機会に詳しく)新たな保険証を使って、二日続けて(もう手持ちの薬が切れそうだったのだ)明美さんのと僕のと病院のハシゴをしたり、その合間をぬって、最初に述べたオリジナル手ぬぐいの最終チェックや受け取り(仙台手ぬぐいは今や愛子に工場がある)や支払いやその他その他をしたり、なぜか今年度は仙台で行われた日本子供環境学会に呼び出されてワークショップやスピーチをしたりしていた。ううむ、改めていやはやだなあ。もう退職したから時間はあるぜって、絶対に言わないようにしないといけないようだ。僕は基本的にお人好しなのだ、でもそれは誇らしいことでもある。