2008年 8月13日 曇。湿気っぽいが凄く暑くはない。

 胞夫さんを巡る介護活動が様々あって、しばらく更新する余裕がなかった。仙台は、全国的に見ればいつも少し気温が低く、過ごしやすい夜なので助かっている。

 8月2日土曜日午前、デイサービスにいた胞夫さんは軽い脳梗塞を起こした。施設には看護士さんもいるのですぐにこれはおかしいと判断され、施設の車で運ばれて南東北病院脳神経外科の午前の外来に滑り込んでみてもらうことができた。基本的に病院からは、僕だけが彼に付き添うことになった。携帯電話はこういうとき本当に助かるが、何もかもが次々に進んでしまって、ちょっと止まって待って考えるというような時間はまったく考慮されずに、物事が少しも時間を無駄にせずに進んでいくことになる。救急車は使わなかったので、院内を車椅子で移動し順番に待合室で待って見てもらった。MRIで脳の断層写真を撮った結果、後頭部の先端に梗塞による出血がはっきりあって、医師はこの分だと普通ならもう右側の視界がだいぶ見えなくなっているはずだと話した。すぐに点滴が始まり即入院。しかし病室のベッドに寝たとたん症状は著しく快復。ということは、梗塞の問題ではなくアルツハイマーの症状による問題が前面に出てくる。土曜の午後後半からは、ここは何処だと探検に出かけ、他の部屋を覗き回り、頻繁に便所に行き、それら全てを点滴瓶を気にせず始めようとし、パイプが外れて血を振りまき、動けないからと付けられたおむつの自覚がないので小便ができずに(おむつにはオチンポを出す穴が付いていないのだ)混乱興奮し、はずかしいので(彼は大正末に生まれ昭和初期に基礎的な躾をされた大変良くできた昔の日本人なのだ)おしっこと言っていたのが本当は大便だったりし、それも、おむつだとおろしたりはいたりが自分一人では自由にはできずにいると、がまんしきれずに漏れ始めたりして、ひと騒動だったはずが大騒動になり、そういう騒動の合間もじっとできない問題「児」と化す。でも、そういう事態にジッとできるというのは、ほとんど「自我」の放棄に近いような気もするし、病気になって西洋医学の病院にかかると言うことは、実はあらかた(自我などと言う自覚とはかけ離れた)動物と化すということだったりするのかとも思えるし。様々な想いがわきだしてくる。
 つい直前までは(痴呆症なりに)充分普通だと、自分も回りも思って生活していた気位の高いお爺さんが、アッという間に病人で、衆人の前で素っ裸にならされ、おむつを付けられ、点滴で身動きが制限された状態になる。それでなくても環境の変化に付いていくのに時間がかかるのに、ほとんど何も説明されないまま、いや本当はみんなよってたかって説明してくれているのだが、なにしろ耳が遠いし、使われている言葉の意味を理解するのが大変なので、途中で考えるのを放棄してしまい、いっそう行き違いがおこる。なにしろ話される言葉のスピードがいつもに比べたら驚くほど速い。胞夫さんとしては誠心誠意みんなに迷惑がかからないように行動しようとしているのだが、それがますます周りの混乱を招く。回りに居て見ていると、そういうことは良くわかるのだが、病院は病院の時間の流れが最優先されるので、胞夫さんはどんどん「こまったちゃん」になっていき、そう分類されることによってますますそうなっていく。介護施設と病院は、そもそもそこにいる人がなんなのかの理解の方法が違うのだった。
 本来完全看護で、母親が脳内出血で同じ病院に意識不明で入院した(そしてそのまま死んでしまった)ときでも、面会時間が過ぎたら帰って良いですよだった病院から、今晩は付き添いでベッドの脇に居てくださいと言われてしまう。完全エアコンなので、Tシャツ一枚できてしまっていた身には空気がやや肌寒く、携帯電話で呼んで仙台から来てもらった娘(彼女には3歳になるかならぬかの息子がいるので手は離せない)に少しさしいれしてもらいつつ、夜に備えるも、その夜はほとんどうつらうつらで起きていたといった方がよい。思ったより夜は短く朝は早かった。胞夫さんは、頻繁に起きて便所に行き、そのまま素直に帰らずに病棟を一周し、ここは何処か悩み、腕のパイプに悩み、でも、ふらつきやろれつなど、脳梗塞特有の症状はどんどんなくなっていき、ますますなぜ私はここに不自由にいるのかの納得がいかなくなりつつ、点滴を受け続ける。
 3日日曜日点滴継続。一回に2種類流し込む。弟たちが見舞いに来る。娘が孫と一緒に来て、孫は自分が診察されるのでなければ病院が好きなので、大きな元気な声で歌なんか歌って、看護婦さんにしかられたりしつつそうそうに帰る。頻繁に便所につき合う。胞夫さんは普段ごくごくおとなしい穏やかな人で通っているのだが、自分が理解できないこと(これまでの生活経験で使ったことのない言葉ばかりが、わからないのはあなたが悪いとでも言うように話される)を理不尽に強制される(これはあなたのためなんですよが本人に理解される前に実行されてしまう)と、基本的に小心者の彼は強く防御に出ることになる。声を荒げたり手を上げたり喧嘩腰になる。特に看護「婦」さんとか弱そうな人にたいしてそうなる。ますます、彼は「困った人」に分類されていく。病院に話して、できるだけ早く退院できるように相談するも、普通、この症状だと1週間は点滴が必要と言われてしまう。二日目の夜も付き添いお願いと言うことになる。昼、ちょっとの間病院を離れて家に帰り、シャワーを浴びて着替えをし戻る。戻ると、看護士さん達が一斉にこっちを見てほっとした表情になるのがわかる。いったい彼は、このわずかな時間に何をしていたのだろう。ほぼ前の晩と同じ状況の夜が始まる。でも夜の前半で夜間の点滴は終了。便所に行くときに点滴のつり下げ器具を持っていく作業がなくなったので、ちょっと気を許してパイプ椅子を三つ集め、横になった姿勢で寝ていられるようにする。で、横になったとたん気を失うように寝てしまい、肩を揺すられて起きる。胞夫さんは、あっちの方の空いたベッドになぜかパジャマの上だけを着て下はおむつのパンツ一丁で丸くなって寝ていて、看護士さんが移動させようと困っていた。僕が話すと比較的素直にごそごそ起き出して自分のベッドに戻る。でも、すぐ起き出して便所探検お散歩。結局横になって寝てはいけない/いられないのだった。持ってきた携帯ラジオでラジオ深夜便を聴いていたら、この日も朝はすぐ来た。
 4日月曜、偶然僕は夏休みで休みにしていた日だったので、そのまま付き添い続行。点滴は日中だけ、午前1回午後1回となる。頻繁に便所に行き探検。寝て、起き、食事をし、のような行動の移り換えに時間がかかる。次の行動をしようとすると決心するのが大変なように見える。一回何かすると少し疲れて軽く寝る。起きると、前のことは忘れていて、毎回最初から納得したがる。とは言え耳が遠いから人の話はあまり聞きたがらない。耳元で大声で話されると(そうしないと聞こえないのだが)怖いのだ。というような付き添いを一日して、夕食後8時に、さて今日は大丈夫でしょう、帰ってくださいと言われる。心からいやはやと、家に帰って風呂に入り着替えをして夕ご飯を食べようとしていたら電話。暴れて手が付けられないので、来てください。何となく、やっぱりなあと、車で駆けつけると、パジャマを着て待合室の端の椅子に肩を落として座っていた。看護士さんから、今日は緊急外泊にしますから、連れて帰ってくださいと言われる。もう点滴はしなくて良いのだった。「家に帰るよ」とゆっくり歩いて車に乗せ家に連れて帰る。でも家に着くと「あれ、ここか?」という。彼の中で家は、もうここではなく、施設になってしまっているのか?。でも一応納得して静かにベッドにはいった。その夜その後は何事もなく一晩過ぎた。僕も起きずに一晩過ぎた。
 5日。今日から通常の勤務。朝7時に病院に連れて行き、僕は出勤。昼前に電話が入って、午前中診断検討判断して、もう点滴無しで薬を飲みながらの退院治療にした旨連絡。早く連れて帰ってくれと言う感じ。大変丁寧にそうではないように話されるが、でも実際はそういうこと。昼から年休を取って退院させ、家で着替えをし、施設に連れて行く。着いたとたん顔がゆるむ。もう、何か病気になってここ数日大騒動だったということ自体は忘れている様に見える。ケアマネージャーの人に、お盆明けまでショートステイにしてあなたが休みなさいと言われて了解。という風に今回の騒動は終了。1週間経っても疲れはジワリととれない。
 否応なく、父親の下の世話をした。今は、様々それ用の用具やモノがあって、子供達の時よりは簡単だ。でも相手は大人で僕の父親だ。いろいろな視野が広がる。こういう体験をしてから具象の彫刻作ると良いのができんじゃないかなとか、まったく困ったことを考えている自分に驚く。何はともあれ、僕もこうなるのだなあと言う覚悟というか自覚を大切に忘れないでおこう。

2008年7月31日 今日も!曇り。今年仙台はちょっとおかしく曇る。しかも暑くない。

 28日に、高校の表現系教科指導要領研修会が県支援(昔養護といっていた概念)教育センターであった。呼ばれて、彼らの要望は違うところにあったのかもしれないが、美術探検を巡るお話を1時間だけした。本当は午前中のその1時間だけでお役ご免だったのだけれど、気になったし面白そうでもあったから、午後からの事例発表研修というのにも参加してみた。ただ延々と、私はこういう授業をしていますという普通の発表会だったが、一つ収穫があった。



 私立の女子校に勤めるshirai君が言っていたこと。
 最近こういう研修会で美術の話となると、すぐに「鑑賞」の話になる。でも、体育の授業で、バスケットボールの試合の鑑賞とか、水泳の試合の鑑賞とかの授業をしてるだろうか?にもかかわらず、オリンピックだと言っては、みんな(美術の愛好家などお呼びも付かないほど沢山の人が)新しいテレヴィジョンを買ったりする。美術だけ「鑑賞」を特別に授業する必然は何処にあるのだ?
 ヒヤッホウ!凄い見方だ!ここにつきるんじゃない!美術が学校の中で授業として生き残る全てのこたえがあるのではないか!小さい頃に、美術ではなく図工をする理由も!
 shirai君は「だから、浮き足立たずに、理想論(何となく、これは僕のお話を指しているのではないかと邪推してしまった)に陥らずに、じみちに造形教育を続けよう」という方向に(たぶん)行きたかったようなのだが、僕としてはせっかくここまで辿り着いたのだから何とか理想の方向に、理想論に陥ることなく、もう一歩進みたい。体育で習う/習った試合を見ること(あえて、鑑賞ではなく)が、見る授業をしなくてもこれだけ盛り上がるのと同じに、美術作品を見ることができるようになる鑑賞の授業。それは、美術ではなくなるの?そのへんが、美術の人たちが陥っている今の美術教育の狭さなのではないかしら。
 美術が、そこを(人間の歴史では常に)一番にうち破ってきたので、僕たちは今、テレヴィで体育の試合を楽しんで見たり、スタジアムに出かけたりできる生活になってきたのではないのかしら。そういうのを豊かな生活というのではなかったかしら。スポーツを楽しんでみることができる今、では、歴史的には一番に(何を?)うち破ってきた美術の「鑑賞」は、何処に行こうとするのか。みんな様々なところで、様々なことをうち破っちゃってる今、ふと気付くと美術が一番送れてしまってるんじゃあるまいな。いやいや美術作品自体は、何を言われても知らん顔して知らぬ間に、一番先頭で、片っ端からぶち破って進んでいる(にちがいない)。たいていは早すぎてみんな気付いていないことも多いけれど。遅れに気付かないのは、教育の中の美術か?美術教育か?美術を通した教育か?もしかすると、そういうこと(一番先頭に必然でいるのに、一番最後にもいる)も大きく含めて、僕たちは美術を理解しているのだろうか?体育で習った競技の試合の楽しみ方、そしてその盛り上がり方を丁寧に考えて、美術の鑑賞を考える。そういう授業をしたい。
 まず、ボールゲームだけでなく、体育の試合は、各自様々な好き嫌いがあるということが肯定されている。体育自体が嫌いでも肯定される。体育は嫌いでもそのスポーツの試合は好き、も肯定される。試合を見るだけ!も肯定される。見るだけ、にお金払ってもいい(別の言い方だと見るだけを買いたい)も肯定される。やっぱり、実際やんなきゃだめだよという人は必ずいるが、よく考えると凄いねこのどんな状態でも肯定すること可能の具合は。各々好きなゲームはあってそれが一番だと思っていても、野球を見ない人は人間でないというようなことは野球が好きな人でさえ誰も言わない。ついでに野球で言えば、プロ野球も見るが、高校野球も見るし、草野球も見る。それぞれ面白く見られる。自分の方が上手いと思うこともあるが、いやはやたまげたこんな凄いこともできるんだと、自分ができないことを感嘆することも肯定できて楽しめる。ルールはわかんないでも見始められるし見ることができるが、段々ルールがわかりたいと思ってきて、様々な方法で各自自己流にルールを知り、みんなとの話の中でそれを各自都合良く勝手に修正していく。でもたいてい大きな間違いはおこらず、ちょっとした思い違いや思いこみは、仲間との楽しみの内に吸収される。ルールがある程度わかると俄然試合は面白く見られるようになる。時々身近に説明好きの人がいて、事細かにルールの説明をしてくれたり、ついでに選手の癖や有り様などを解説したがったりするが、あれ、最初からそれされたら好きんなれないよね、ということが多々かつ時々ある。野球は学校の授業には普通あまり入っていないが、その簡単なヤツはある。だから男女を問わず、走って投げて打って捕ってというような体験はほとんどの日本人なら体育の授業でしていて、各々が各々の経験の中で、充分に上手くできたり、できなくてもするところを想像したりすることができる。その上でプロの選手の動きを見て、彼らの生まれながらの資質や、その資質を持った上での各自の凄い鍛錬、それを支えた親や社会についてまで、一瞬のうちに思いをはせ感動する。歓声を上げ拍手をする。そしてたとえば野球でこれが知らずにできる人は、あまり好きではない/なかったバスケットボールの試合を見ても、同じような状況にすぐになじむことができる。
 ね?なんだか似てるでしょう?学校でする図工美術は、こういう体育をするんではなかったのかなあ。そういう体育みたいな美術の授業はしてきたのだったかなあ。造形に走ったのは、たぶんそのためではなかったのかなあ。どっちの方にどういうふうに走ればいいかは、この体育で習った体験によるスポーツの「鑑賞」に、様々ヒントが隠されているのではないかしら。立ち止まるのではなく先を見つめる点検を続けたい。