頭の中にある世界
=言葉でできた世界観

世界観を見えるものにする力
=芸術

言葉を見えるものにする力

芸術と言語=識字の力


2013年 1月25日 
無風曇り。冷たく乾いた空気。

だいぶ日にちがたってしまったが、正月に下の娘一家がしばらく居た。去年新しくこの世に来た小さい男の子は慎重なやつで、僕に興味は有るがなつかない。でもまだ凄く赤ん坊なので、お母さん(僕の娘ね)が手を離せない仕事(コンビニエンスストアから今住んでいる家に荷物を送り返す手続きをするとか)の時は、僕が抱いていなければいけない。こういう時、彼は必死で泣く。店のおばさんが、「おじいさんかわいそうね」と言ってくれるくらい、僕に抱かれるのが本当にいやそうに必死で泣く。僕はその時店の外で待っていたので、手続きが済んで出て来た娘から店の人がそう言っていたという話を聞いた。でも、この時僕が思っていたのは、その店人とちょっと違う感覚で「すまぬなあ」だった。おじいさん(僕のことね)はこの状況がどういう事で、この後どういう風に動き、結局どう終わるかを知っている。泣いているこの人は純粋に(多分)恐怖で泣いている。怖いだろうなあ。「早くお母さん来てくれよ」だろうなあ。大丈夫だ。僕は君に危害を加えない。一緒にここで泣いているの付き合おう。こんな感じだった。ま、とにかくこういうのは時間が解決するのを待つしかない。こういう時に必死で泣くのは、小さい人間としては性能良いわけだから、僕としては彼をほめてあげたい。お互い大変だが。

もう2月になろうとしているので、今年に入って以来の出来事をメモしておきたい。上に述べたように、お正月に、子供達が帰って来た。義理の息子と少し話した。ずうっと違う生活体験をしてきた人と話を会わせるのはそんなに簡単ではない。しかも両方とも美術を巡る人だ。機会ある毎に、誠実で丁寧で注意深い、嘘つかない話を続けて行こう。と思える話をした。娘は善い母親になっていた。孫達も人間としての性能は良さそうだった。本当に文化が伝わるのはゆっくりだ。そのうち僕が死んでしまって完了するのだろうが、それが見られないのは(残念ではなく)少し変な感じ。

1日から3日まで毎年僕はテレビの人になる。駅伝を見てライスボール(アメリカンフットボール全日本選手権)を見る。年始、竹駒神社はもの凄く混むので、それを良い事にお参りにも行かずずうっとテレビ鑑賞。どちら/誰のファンとかではなく、長距離走とアメリカンフットボールそのものが好き。その後年寄の方の孫と静かに遊ぶ。グリーンピア1周とか。彼は今年からビーバースカウトに入ったとの事。今後できるだけ早く、こういう時のリーダーシップをとってもらいたい。
7日、松が開けると終了する、村田町歴史みらい館の猫神様の絵馬(絵猫?)の展示を見に若い友人と行く。何しろ僕の自動車生活はシトロエン2CVから始まったので、若いやつが乗っていると、いざという時車押してもらえるので心強い、と考えてしまう自分がおかしい。展示はもの凄く面白かった。みんな見に行けば良いのに、誰もいなかった。この展示は、考古民族学系の人がやっているので、そっち方向で整理/展示されている。でも美術/美術教育から見ても、様々面白い発見が(僕ですら)有った。美術教育/発達の専門家に見せたいと思った。こういうのみんな見に行くと良いのに。終わっちゃったけど。
13日午後から、卸町X-Boxで「齋のインタビューDVDを見る会」があった。ムーダの会主催。一人の参加者として見に行く。仙石線苦竹駅下車徒歩。こういう風に、齋を使ってみんなで集まる会が最近様々な(良く解らない)会主催でおこなわれるのが面白い。脳内出血復帰4年目?の僕の考え方を問いかけるDVD。個人的に襟をただしながら大変面白く見た/聞いた。あたりまえだが、基本的な部分は何も変わっていなくて嬉しい。次は2月3日日曜、5年目の記録。
次の日(大雪の日)前から約束していた、白石インター脇の昔からの友人の新居に、みんなして行く。東北道白石インター西側に深谷小学校が有る。その隣に白石に住む石彫家のN子さんが800坪?!だかの土地を買ったのは数年前だった。始めもの凄い薮だったのを自前で整理して、今度新しく家を建てたから見に来ませんかと連絡があった。石彫家としてもお母さんとしても、自立している女の見本のような彼女は、大学の少し後輩で、いつもパンを焼いてもらっている渡Bさんの後輩でもあるから、その他ウチのカミさんやらお手伝いのK子さんやらとみんなで(お、俺以外全員女子だ)行った。「雪ひどかったら大人の判断ですぐ帰ろうね」と言いつつ、這々の態で辿り着く。家までの最後の部分の農道は轍無し。緊張。梅林の中に建つ高床式銀色のピラミッド。家の大黒柱の側に薪ストーブ一個でほんのりあったか。回り雪で真っ白。居心地最高でつい長居。季節が良くなったらいろんな人と何回も行きそうな予感。迷惑な客にならないようにしよう、っていうのは無理か。
22日、塩竈のビルドフルーガスで打ち合わせ。朝から仙石線で塩竈に行き、話し合いを聞いて、僕の手伝えそうな部分に口出しをして、マグロ丼を食い、塩竃神社を一回りして帰宅。ジョルジュというフランス人が松島の西行戻りの松にあるロワンというカフェでやるワークショップを手伝う。今年のゴールデンウイークあたり。もう少しいろいろな事がはっきりして来たら、ここにお知らせを書こう。帰り塩竃神社博物館で、日本刀の金物(鍔とか柄とか)を集めた展示を見る。あの博物館は行ってみたら宮城県日本刀保存会事務局をやっていて、その展示はただならぬものだった。静かに感動。江戸時代、誰かが静かに細い金線を刻んでいたのだなあ。

これらの活動を挟んで、DVDのゲオが家から歩いて行ける所に在ることが判明。というより在る事はずっと前から知っていたのになぜか失念していて、そうかあそこで借りれば街はずれのツタヤまで自転車で行かなくていいのだと気付いただけ。何枚かのDVDを見たり、病院に行ったり、N須君の心もとない、しかし重い展示をSARPで見たり、明美さんの自立支援手帳を更新したり、その他コマゴマした日常をこなした。火のつきがいまいち悪いが、ペレットストーブは連日快調に動いている。

口だけだとしても、
言うだけは言っておこう。

言葉にすることによって起こる
世界の固定と拡大。




2013年 1月10日 明るく高い曇。カキカキした空気。

美術館はまだ年始休館(1/12から)だ。で、僕は休みをとって家にいる。毎日なにやかにややっていて、そのたびに考えることが次々起こる。思いついた時は結構大切なことだと思うのだが、すぐ忘れる。これまでの経験では、忘れることやものはそんなに大切なことやものではないことが多いから気にしないでいても大丈夫だ、と思う事にしている。

とは言え、さて、衆院選挙が終わってこのような状態なので、様々深く想うことが多い。最も近最近起こった状況は、ツイッターで田母神さん(例の自衛隊/むしろ軍隊?の人)が放射能避難している福島県民が県の支援打ち切り反対署名を出したことに「甘えるな」と言っている件について、うちの娘がどう考えたら良いのだろうと書いているのを読んだ時に感じたことだ。(もちろん今、あなたが読んでいるこのブログの文章は僕が書いているので、僕の要約が入っているから、正しく考えたい人は各自がツイッターにある元の文を確認してもらいたい。)

僕の娘も、原発爆発が起こった直後、自分の子供(僕の孫)を連れて、山形経由で沖縄に避難した経験を持つ。彼女が「これから避難する」というメールをくれた時、僕はちょうど電車に乗っていて、「そうか行くんだ」とシミジミ不思議な(初めての)感じがして、「了解。前だけを見て行け」と返信した。それを送信したあと「この人達とはもう会えないのかもしれないのだなあ」と、なんだか物凄い喪失感が襲ってきて、僕は静かにしばらく涙を流した。
田母神さんの短い文を読んだとき僕が最初に感じたのは、あの時の気持ちだった。僕は今回の原発を巡る問題には(20世紀に楽しく!積極的に豊かな!生活をしてきた)僕も深く関わっていると思っていて、一概に反対反対と言い切れない気持ちを持っている。僕は原発についてそんなに深く勉強をしたわけではない。原発が始まった当時、新聞に載った情報程度以上ではない。でもそれだけの情報からだけでも、直感的に「それって、要するに原爆をコントロールして少しずつ使えるようにしたってことなのね」と思っていた。僕らが物心ついた時代では「原爆を使ってしまったら世界は滅びる(だから抑止力ね)」ことになっていたのだが、そういうものを人間はコントロールできるようになったのだと、幸せに思っていて、ここまで来た。そういうことを日常生活では感じられない程あたりまえになった状態の上に日常が続いてここまで来た。もちろん不平等に誰かが儲かったりしてはいたのだろうが、多分僕も世界の誰かに対しては不平等に近代的な生活をすることができたのだろう、とも思う。
一方僕はそういう生活をしていた/これたので、子供達(僕の遺伝子継承者)がこういう状態になった時にできることは、物理的にできることを可能な限り(たとえ僕が死んでしまうような状況になったとしても)提出することだけだと思って、覚悟している。少し視点を広げれば、甘いと言った田母神さんも(軍人だから)多分命をかけて放射能を止める作業をし、県だって、ほぼ同時に全部やんなきゃいけない物凄くたくさんの仕事を、なんとか整理し優先順を決め、一部のみんなからは文句言われるのを我慢しつつ、皆のために一生懸命しているに違いない。こうしてきた僕が、こうなった子供達のために、死んでもしょうがないと覚悟を決めるのと同じように。
美術教育の失敗は広く深くこういう時に効いてくるのだなあという想いが、シミジミ深い。

たとえ話は間違ったイメージを伝えてしまうことも多いという危険を自覚した上で、これは戦争なのだろうと(田母神さんが出てきたので)思う。田母神さん、威張っていいから、きちんとしてね。