学校で美術を学ぶ理由は、
美術が各自の世界観を形創る
基本の力になるからだ。

世界観を作る力は、
字を知る事と同じほど大切だ。



2014年 6月26日 
やや湿った空気の高曇り。

昨日は水曜日だったが宮教大を休講にして、山形市図工研(小学校教員自主的図工美術勉強会)の研修に呼ばれて行ってきた。普通の日なので、先生達は授業のある日だから、午後遅くからしか集まれない。宮城県だとたいてい15時半から。それでも相当数の人達が遅れる。と、思っていた。

朝の家事を片付け、ゆっくり10時に家を出て、11時の仙山線快速山形行き。12時半頃山形駅に着き、改札のすぐ脇、山形Sパル平田牧場食堂でトンカツ膳。本当は駅を出て少し東に行った三津屋という蕎麦屋で山形そばを食おうと予定していたのだが、改札を出たとたん平田のトンカツが目に入ってつい変更。この時間だと数量限定金華豚ロース膳が食えた。平田牧場の豚肉はイヤハヤなにしろ美味い。歯ごたえが美味い。今日呼ばれているのは市立南沼原小学校。グーグルの地図で見ると歩いていけない距離ではなかったので、学校は駅の西側だが、まず東口に出て、昔の羽州街道に出て暑い日差しの中ユルユルフラフラアッチコッチキョロキョロ行く。もちろん山形市も、自動車を中心にした、新たなバイパスのような働きをする広い道が、これまでの道をほとんど無視して作られてはいる。だとしても、なぜかなんとなく落ち着いて見える。そういう道から1本裏に入った家のたたずまい。昔からある様々な事物を中心に道が曲がっている。不思議に曲がった所はたいてい神社かお寺かお地蔵様かがいて由来が書いてあり、きちんと手入れがされている。お地蔵様の赤いよだれかけが新しい。駅からちょっと離れると、1軒分の敷地がぐっと広くなり手入れされた日本庭園。その間を縫う細い道路角に、突然モダンな造りと色の新しいアパートが建っているのもカッコいい。あまり風のない盆地の暑い空気が、人通りのないウイークデイの午後を流れていく。いつの間にか空は晴れていて、沢山の小さな雲がキラキラ白く光って流れていく。いやはやなんと気持ちのいい午後のお散歩。

14時50分頃学校の前に着いて、後30分あるから少し涼んでいこうと、すぐ近くのYAMADA電器に入ったら電話が鳴った。僕を呼んでくれたK野先生からで「今どこですか?」と言う。「すぐ前のYAMADA電器で涼んでから行く」と答えたら、あわてて「今日の研修は15時からです」というではないか。いやはや。電話してもらって良かった。こちらもあわてて、時間ギリギリに駆けつける。既に全員そろって待っていた。挨拶もそこそこにお話、1時間半。図工と美術のお話。世界観の固定と拡大。世界観の作り方の練習としての図工。ビックリのビとして考える美術の美。アッという間の1時間半。

帰ろうと思ったら空が割れるかと思うようなカミナリ。局所的豪雨。車で駅まで送ってもらう途中、角をひとつ曲がると道も濡れていないという異常。新幹線で福島に出て帰ろうと思っていたが止めて、帰りも仙山線。夕飯の駅弁も平田牧場のトンカツ弁。トンカツに暮れた1日となる。携帯に2CVの車検終了との連絡が入っていた。


僕達は未来には背を向け、
後退りしながら進んで行く。

こんなに歴史を重ねて来たのはそのためだ。

2014年 6月12日  
小雨。ヒヤッとした空気。

どうしてしまったのだろう、毎日ぼやっとテレビを見て終わってしまっている。低気圧のせいか?この前、家にお巡りさんがやってきた。前に明美さんに書いてもらった家族(住民)調べを書き直してくれないかという相談だった。見せてもらうと、住所が仙台になっていて今家に4(又は?5)人住んでいることになっていた。ううむ。それはあっちの世界で、こっちには今2人住んでいると書き直す。
彼女が書いた書面の前に、胞夫さんが書いた住民調べがはさんであった。もう10年程前だ。胞夫さんと栄子さんと一番下の弟が、この住所に住んでいる事を胞夫さんの直筆で書いてある。字が上手い。どこも崩していない面相筆(たぶん筆ペン)で書いた楷書の漢字。一目で彼だと分かる人柄がにじみ出している。しばらく感動して見ていた。
ええとその話ではない。明美さんは、こういうのをこういう風に書くという話だ。

明美さんの年金をもらえるようにする手続きが終わった。年金は本人が請求しないともらえない。4月初めから始めて昨日で完了。

まず彼女が様々な状況が重なって自分では筋の通った話ができない状況にいる事を分かってもらう。その手続き。それが判明したので、まず障害者年金をもらえないかの確認をするように言われる。その手続き。僕は仙台のH病院が、彼女の最初にかかった精神病院だと思っていたのだが、申請書類の審査の結果最初にかかったのは塩竈にあるM病院である事がわかり(僕も思い出した。もう35年も前の事だ)、東北線に乗って書類をもらいに行ったりした。もちろんそれはそれで楽しい塩竈散歩の1日だったが。で、その提出書類の審査の結果、明美さんは障害者年金には引っかからない!事が判明。通常の手続きに戻る/始まる。
さて、年金をもらうには彼女名義の預金講座が必要になる。新たに銀行の口座を開くのは、最近結構難しい。これも様々な証明書や、福祉手帳を持って行って本人不在のままの手続きになる。様々な理由でもう七十七は嫌だなと思い、違う銀行を探した。すると家から東側に5軒となりの道の向い側に、相双五城信用金庫岩沼支店というのがある事に気付く。もう数十年前から在るのだって。お隣なのにちっとも知らなかった。僕も口座開こうかと思う。ATMまで下駄で行ける。その他、市役所で一通りの住民票や戸籍謄本1式。そうして年金事務所に出かけた。

ここに書いた出来事は、その事務所のSさんという人に聞いたり相談したりしながら進めることができた。硬い人だが、硬い事は言わない人。ううむ、もう彼等は公務員ではないのだけれどこうなっている。いや、公務員ではなくなったのでこうできたのかな?僕も、公務員だ(った)けれど、本質客商売だからね。このあたりの感じ/センスが、なかなか難しい。

というのをやりつつ毎週水曜宮教大で午前中授業。美術入門という一般教養の美術を半期2単位。2015年に又やりたいと云って来た、大蔵山ワークキャンプを巡る相談。いよいよ普通になって来ている石巻など被災地での子供を巡る美術活動の実践相談。この前、ちょっとカヌーを漕いで見たけれど、なかなか遊びに行けない毎日のうちに梅雨だ。
毎日相変わらず忙しがっている。