僕達は未来には背を向け、
後退りしながら進んで行く。
こんなに歴史を重ねて来たのはそのためだ。
2014年 6月12日
小雨。ヒヤッとした空気。
どうしてしまったのだろう、毎日ぼやっとテレビを見て終わってしまっている。低気圧のせいか?この前、家にお巡りさんがやってきた。前に明美さんに書いてもらった家族(住民)調べを書き直してくれないかという相談だった。見せてもらうと、住所が仙台になっていて今家に4(又は?5)人住んでいることになっていた。ううむ。それはあっちの世界で、こっちには今2人住んでいると書き直す。
彼女が書いた書面の前に、胞夫さんが書いた住民調べがはさんであった。もう10年程前だ。胞夫さんと栄子さんと一番下の弟が、この住所に住んでいる事を胞夫さんの直筆で書いてある。字が上手い。どこも崩していない面相筆(たぶん筆ペン)で書いた楷書の漢字。一目で彼だと分かる人柄がにじみ出している。しばらく感動して見ていた。
ええとその話ではない。明美さんは、こういうのをこういう風に書くという話だ。
明美さんの年金をもらえるようにする手続きが終わった。年金は本人が請求しないともらえない。4月初めから始めて昨日で完了。
まず彼女が様々な状況が重なって自分では筋の通った話ができない状況にいる事を分かってもらう。その手続き。それが判明したので、まず障害者年金をもらえないかの確認をするように言われる。その手続き。僕は仙台のH病院が、彼女の最初にかかった精神病院だと思っていたのだが、申請書類の審査の結果最初にかかったのは塩竈にあるM病院である事がわかり(僕も思い出した。もう35年も前の事だ)、東北線に乗って書類をもらいに行ったりした。もちろんそれはそれで楽しい塩竈散歩の1日だったが。で、その提出書類の審査の結果、明美さんは障害者年金には引っかからない!事が判明。通常の手続きに戻る/始まる。
さて、年金をもらうには彼女名義の預金講座が必要になる。新たに銀行の口座を開くのは、最近結構難しい。これも様々な証明書や、福祉手帳を持って行って本人不在のままの手続きになる。様々な理由でもう七十七は嫌だなと思い、違う銀行を探した。すると家から東側に5軒となりの道の向い側に、相双五城信用金庫岩沼支店というのがある事に気付く。もう数十年前から在るのだって。お隣なのにちっとも知らなかった。僕も口座開こうかと思う。ATMまで下駄で行ける。その他、市役所で一通りの住民票や戸籍謄本1式。そうして年金事務所に出かけた。
ここに書いた出来事は、その事務所のSさんという人に聞いたり相談したりしながら進めることができた。硬い人だが、硬い事は言わない人。ううむ、もう彼等は公務員ではないのだけれどこうなっている。いや、公務員ではなくなったのでこうできたのかな?僕も、公務員だ(った)けれど、本質客商売だからね。このあたりの感じ/センスが、なかなか難しい。
というのをやりつつ毎週水曜宮教大で午前中授業。美術入門という一般教養の美術を半期2単位。2015年に又やりたいと云って来た、大蔵山ワークキャンプを巡る相談。いよいよ普通になって来ている石巻など被災地での子供を巡る美術活動の実践相談。この前、ちょっとカヌーを漕いで見たけれど、なかなか遊びに行けない毎日のうちに梅雨だ。
毎日相変わらず忙しがっている。