自分の知っていることだけが
見える。
1歳半の人が見ている景色。
その人が泣いている。
2016年 9月1日
台風一過の快晴。気温高く湿度低い。
と書き始めたのだが、考えがうまくまとめられず、書き終えた今日はもう、5日だ。木曜に書き始めて倒れ、書き終えたのは月曜ということだ。
向こうの部屋から、今日来ている仙台市郊外の小学校2年生の声が元気に聞こえる。同時に自分の体全体が細かく振動しているような気配がする。1週間前の木曜日、美術館に出勤していたお昼頃、ものすごくしばらくぶりに突然てんかんの発作がおきた。切れ切れに覚えていることをつなぎ合わせてみるに、嘔吐しながら何回か意識を失い、救急車で仙台東脳神経外科病院に担ぎ込まれた。体の調子が悪い感じではなかったし、だからと言ってものすごく真面目に毎日働いていたという意識もそんなにはない。典型的てんかんの発作だから、1日入院し、1日休んで、毎日の薬が1種類2粒増えて、今日から普通通り出勤。
6月の半ば、2CVの車検を中新田自動車で取った。2CVは快調。それを受け取りに行ったら、シトロエンC4ピカソ(典型的フランスのミニバン)の12万キロ走った、でも大変良い程度の中古車があった。話を聞いてみると、適当な値段でもあったので、8万キロ走ってガタが出始めていたルノーカングーを下に出して乗り換えた。8月のお盆の頃、下の娘の家族が家に帰ってきて、7人乗りの自動車(ミニバンですね)が必要だったこともある。美術館の活動がべらぼうに忙しかったわけではないが、それ以降休みの日も毎日なにやかにや活動が続いて、本当に寝坊が出来るなにもない日は数えるほどだった。8月のお盆過ぎには、九州久留米市の石橋美術館に行って、公開の活動をした。帰ってくると子供達(主に孫ですが)が来ていて、それはそれで面白かったけれど1日だけ家で休んで日曜日、美術館に出勤して水をめぐる公開活動。小さい人たちは翌月曜に帰京。火曜1日休んで水曜日に山形の鶴岡まで、新しいシトロエンで高速を走って致道博物館に行き、「日本刀の新刀」の展覧会を見る。帰り、山形道の中で、様々なコーションランプが点き始め、最終的にはオートマチックなのにマニュアルミッションを操作しながら帰宅。こういうことができるのがシトロエンのおかしく、面白いところなのだが、腹の座っていない僕は、結構痛めつけられる。そうこうした上での木曜日に発作が起きた。うううむ、書くと結構な毎日だったなと思う。もちろんその後、車は、シトロエン仙台に持って行って原因を見てもらい、今、部品待ち。簡単な部品交換の修理で済みそうで助かった。でもこの程度で、今の僕は発作がおこることを忘れないでいよう、公務員仕事はあと半年だ。
日本刀は、日本海まで観に行くのに、美術作品に対する興味は最近だいぶなくなってきている。致道博物館で、刀や釣竿を見ている時の心の動きと、毎日のように送られてくる美術展の案内状を見る時の心の動き。本来僕は、何も用(=意味)がなくて、それでしかないもの(美術館にあるもの)に深く惹かれていたはずなのに、最近、博物館の方が面白い。思えば、今作っている日本刀なんて、なんだか恐ろしく正しくそこにあるものでしかなくて、今や全くなんの役にも立たないものやことの象徴のようなものの典型と言える。で、それを結構な人が静かに見ている。致道博物館には、僕の好きな手で漕いでいた頃の漁船や、江戸時代の農家や、釣竿とそれで釣った魚拓なんかをはじめとして、普通の地域博物館の展示物が並んでいる。今僕がここにいることを肯定的に支えてくれる、役に立ってきたものが嫌というほど並んでいる。全てに意味が深くふんだんに説明できるものやことが並んでいる。でも、ふとそれらの意味を無視して、そこにそうあるものでしかないものとして見えるようになると、その手のかけ具合、使い込み具合、一体なんなのこの愛着のかけ方は、が、見えてくる。そうすると、今の美術表現の意味のなさが、それを作っている作家と一緒に今生きている僕には、本当に意味のないものに見えてきて、急激に興味を失ってしまう。僕は何を作ってきたのかという深い問いかけを含めて。こういうのが歳をとるということなのか?