僕は人間なので、

無心論者にはなれない。

僕と居る神様は、

時に、この様に居る。

2023年3月15日

柔らかく冷たい空気。晴れ。

今からちょうど20年前の2003年3月15日、4号線仙台バイパスの北にいた2CVの中で、僕は脳内出血を起こした。詳しく話せば少し長くなるが、本来なら、あのときあっちに行ってしまっていたのかもしれない。が、今、まだ、こちらにいて、この文を書いている。あの後もだいぶ様々なことがあった。還暦を過ぎてからも、干支を一巡りして、今年の誕生日が来ると72歳だ。いやはや。

だいぶ前に、対話型鑑賞教育について質問をもらい、少し考えたときに書いた文章が出てきた。まとまらなかったので、電脳の中にそのままになっていた。同じ様なよりまとまった文をほかに書いたかもしれないが、公開しておこう。何回も書き足しているので、文の形がバラバラだが、そのまま公開する。僕の頭の中の進み方がよくわかる。



皆んなは、「ブラタモリ」というTV番組を見ますか?僕は始まったばかりの頃は、よく見ていたのですが、ある時期から、あまり見なくなっていきました。その番組を、この前偶然見ました。最近は、博物館教育について様々考えるところが続きましたから、ううむ、そういうことだったのだなと、想うところがありました。


今見ると、彼の存在の有り様が、博物学的だったのです。彼は、特別な何かの専門家ではありません。ただ、興味深く、周りを、丁寧に、広く、見ます。その時に使う知識は、特別なものではありません。彼の「個人的な興味を基本に」見ていきます。冷静に見れば、普段の僕たちの普通の有り様です。冷静に落ち着いて考えれば、その知識の基礎は、僕たちが小中(高等)学校で学んだ、ものやことです。違う言葉で言えば、私が「なぜどうしてここに今いる/いられるのか」ということは、あんまり心配しなくてもいいんだよ、という様なことです。実は、僕たちが、基礎的な教育で身につけたものやことの基本/目的は、その辺りにこそあります。そいう事柄をきちんと(または適当に)、総合総体的に自覚するのを学問的に系統付けたのが、博物学なのだと、僕は考えています。

何回も言うとうり、学びは、常に受ける側に主体がありますから、ああそうか、「僕は、今、ここにこういて問題ないんだなという自覚」こそが、近代の個人としての大きな学びの基になります。冷静に考えれば、小中学校での教育を、大体受けていれば、タモリさんの様なものの見方は、慌てなければ、日本人なら誰でも、だいたいできる様に、僕には思えます。


そして、ブラタモリには、たいてい、その地域の専門家が出てきて少し専門的な解説をします。彼らが出てくると、毎回僕は、ちょっと違和感(興奮がそがれる)を感じます。彼らの、有り様が、博物館の学芸員です。あそこにいるのが、博物館教育の本物の?専門家だと、僕は、もっと安心して番組を見続けられるでしょう。このあたりが、博物館教育のあるところではないかなあ。


文系であれ理系であれ博物館は、その時代の個人の存在の肯定という哲学的な視点にすぐ辿り/結びつきます。美術館は最初から哲学の視覚化を基にしていますから、博物館の中で特殊なのは、仕方がありません。


博物館教育の人は、研究家が勉強して見つけ出した「最新の結果を伝えること」が最終目的ではありません。そこの展示品が沢山の昔の物の中から選ばれて、そこに展示してある(見えるようにしてある)ことが、今、私がここに居られることとどの様に深く結びついているのかについて、その個人(達)が、自分(個人)に戻して気づくための助けをするのです。そこまでくれば、対話主体の鑑賞は、充実し完成するでしょう。


ということを、あの頃の僕は、あの白髪一夫の大きな作品の前で小5の人達と、何も自覚せずに、やっていたのだなあ、と、今思う。そこでは、そういうことをやっていたのだから、参加者以外の人たちに説明するのが、とても難しかったのだと、今、思う。自覚なく外から見ていれば、僕と、小5の団体の活動の様に見えたかもしれないが、そこで行われていたのは、一生懸命の僕と、若い一人一人の人間の話し合いだったのだと、今、思う。すごく熱心な討論が行われている様に見えたかもしれないが、実際話しているのは、ほとんど僕一人で、小5の人たちは、(後で担任の先生が、あの子供があんなに集中しているのを見たのは初めてだというほど)各自勝手に一生懸命絵を見ていただけだった。そういう形の対話。


こちら(博物館)側が知っていることを、上手く伝えることではなく、そこに展示してあるものやことを使って、その個人がそこに存在していることを、自主的に肯定するための手伝いをするのが、博物館教育の存在意義なのではないか。


ふと顔をあげて思えば、今、僕が児童館でやっている小学生との活動も、ほとんど、あの頃の鑑賞と同じなのだと思う。一対全員でなく、一対一の心。理解までの時間はそれぞれ違うが、大人が一対一を熱心にやっていることがわかると、年齢が小さいほど、団体の各自がすぐ一対一になる様に僕には感じられる。やることが決まっている人は各自始めればいい。でも、おや、もっと面白いことが始まっているのかな?若い人間は、面白いことが基本的に好きだ。だから、大人が、今やっていることを面白がってやっていないと、すぐばれる。毎日のルーティーンワークでも、その中に面白いこと/ものを見つけられるか?が、大人に問われる。見ている=見学している方にも。







 

ぼくはいつか死ぬ。

それまで、できるだけ

正直に生きていたい。


2023年3月8日

乾いた冷たい空気。だが気温は高い。

僕は常々、「観る」は常に「見る側」に在ると思っている。多分これは美術=視覚表現に限ったことではなく、音楽=聴覚表現、体育=身体表現を含め、何かしら、人間個人の内から出てくるもの(表現)=エクス​・プレスを巡っては、ほとんど成立する。

各個人の表現は、出た途端に、出した個人以外の個人への印象=イン・プレスを、刺激するものになる。個人のエクスプレッションは、常に他人へのインプレッションになる。

経験上、個人の見えるものは、実は、その個人の知っているものだけに限られる。

言葉で説明しようとすると、それだけでまた別の文章になってしまいそうだから、ここではしないが、自分の知っている世界だと思って対象を見たときに、その対象の境界線が一瞬ぼやけ、より大きな対象にくっきり(でない時も多いが)変化するような経験をするときがある。その時、頭の中では、それまで使ってきた知識の組み立てが気づかないうちに無理やり(多分)拡大再構成/築され、新たな世界が始まっている。その辺りが鑑賞の醍醐味であり、人間だけがする表現活動の存在意義なのではないか。

そして、表現家そのものとは関係なく、そのようなことが起こりやすい表現をできる人の作品こそが良い表現=(美術の場合)良い(うまいでなく)絵と呼ばれるものになる。


「観る」が常に「見る側に在る」とすれば、見る対象は表現作品に限るものではないわけで、毎日目覚めて一歩踏み出したその時点から身の回りは、不思議な拡大する世界が始まることとなる。



2023年の初めに、山形寒河江市美術館で、齋悠記のStatement展があった。詳しく、要領の良い概要は、23年1月12日木曜の河北新報県内版(25P)に載っている。

8日が、オープニングで、前からの約束が友人たちと有ったので、朝から電車で寒河江まで出かけた。ここまで述べた様に、個人に返ってみれば、常に、そのもの自体が「見えるという面白いことを形つくる」から、一応いい機会だから寒河江に行くが、僕にとっては、そもそも電車で、そこに行くこと自体が楽しみだ。

いい友人たちといい線路を通り、いい電車に乗っていい街に行き、いい駅におり、いい観光案内所にいるいいおじいさんと話をし、いい散歩をして、いい建物にたどり着く。

こういう風に来ると、なかなかいい視覚表現に出会うことは無くなってしまうことが多いのだが、今回は、ちょっと入り口でドキドキした。一目で見渡すことができるほどの大きさの展示会場だったので、一目で見渡すことができた。

良い抽象表現は、目に見えないこちらの有り様すべてに、一気に再点検を迫ってくる。見ることは見ている人の方に常にすべてあるので、こういうことが起こるときには一気に起こる。表現のすべてが抽象系だと、見えているものが何かの再点検はなく、見えているものが直接自分の内面に潜り込んでくるから、衝撃は直接的で深い。


齋悠記は僕の最初の娘で、アメリカにいたとき立ち会い出産で生まれた。カミさんから出てきて臍の緒を切られ、初めて自分で地球の空気を吸ったときからの付き合いだが、もう僕から離れている時間のほうが長くなって、むしろ沖縄の人といったほうが正しい。振り返ると感慨深い。彼女を振り返ることは自分を振り返ることだ。


他人の表現を見ることは、その人が何を表したいかを見ることとは少し違う。それを見ることによって自分の見えている事や物を点検して、その時点での固定をすることだ。固定の仕方がまだ、どんどん動いている視点と、移動がちょっと鬱陶しくなってきている視点。鬱陶しくなってるなとは思うが、それは移動し続けてきたときには見えなかった物や事への気配りへの配慮なのかもしれない。言い逃れだな。


この展覧会を見に行ってから、あっという間に、今日は3月8日。2ヶ月過ぎた。何のことはない計4回見に行った。一回は、ふと気付いたら時間が遅くなっていたので、寒河江のビジネスホテル(でも、風呂は温泉)に一泊した。寒河江は雰囲気の良い町で、何もなくてもまた行こう。というより左沢(あてらざわ)線が面白そう。物を見ることの、何と面白く楽しいことか。


この文は、展覧会が終わってすぐ書き始めた。そうしたら、今年のこの時期、友人や親戚が次々亡くなりはじめた。葬式はこの時勢で、実に簡素になってしまったが、前から言っているとうり、ぼくは喪に服すので少しウジウジしている時間が長い。そしてそうこうしているうちに、今度は、自分の健康診断に様々な兆候が現れ、昨日肛門からの大腸ファイバー検査から帰ってきたところだ。これで、口から胃の出口までと、肛門から盲腸までは、他人に見られてしまったことになる。後残るは小腸だけだが、小腸は切ってみることになるのかなあ。ま、もう開き直るしかない。でも今のところ一応健康!ということになった。

その合間をぬって確定申告の時期だし。いやはや。


そういう自分を取り巻く周囲も含め、深く広く開かれた抽象絵画は、自分を形つくる基礎となるものの見方に、広く深い影響を与えることを記録しておきたい。