ぼくはいつか死ぬ。

それまで、できるだけ

正直に生きていたい。


2023年3月8日

乾いた冷たい空気。だが気温は高い。

僕は常々、「観る」は常に「見る側」に在ると思っている。多分これは美術=視覚表現に限ったことではなく、音楽=聴覚表現、体育=身体表現を含め、何かしら、人間個人の内から出てくるもの(表現)=エクス​・プレスを巡っては、ほとんど成立する。

各個人の表現は、出た途端に、出した個人以外の個人への印象=イン・プレスを、刺激するものになる。個人のエクスプレッションは、常に他人へのインプレッションになる。

経験上、個人の見えるものは、実は、その個人の知っているものだけに限られる。

言葉で説明しようとすると、それだけでまた別の文章になってしまいそうだから、ここではしないが、自分の知っている世界だと思って対象を見たときに、その対象の境界線が一瞬ぼやけ、より大きな対象にくっきり(でない時も多いが)変化するような経験をするときがある。その時、頭の中では、それまで使ってきた知識の組み立てが気づかないうちに無理やり(多分)拡大再構成/築され、新たな世界が始まっている。その辺りが鑑賞の醍醐味であり、人間だけがする表現活動の存在意義なのではないか。

そして、表現家そのものとは関係なく、そのようなことが起こりやすい表現をできる人の作品こそが良い表現=(美術の場合)良い(うまいでなく)絵と呼ばれるものになる。


「観る」が常に「見る側に在る」とすれば、見る対象は表現作品に限るものではないわけで、毎日目覚めて一歩踏み出したその時点から身の回りは、不思議な拡大する世界が始まることとなる。



2023年の初めに、山形寒河江市美術館で、齋悠記のStatement展があった。詳しく、要領の良い概要は、23年1月12日木曜の河北新報県内版(25P)に載っている。

8日が、オープニングで、前からの約束が友人たちと有ったので、朝から電車で寒河江まで出かけた。ここまで述べた様に、個人に返ってみれば、常に、そのもの自体が「見えるという面白いことを形つくる」から、一応いい機会だから寒河江に行くが、僕にとっては、そもそも電車で、そこに行くこと自体が楽しみだ。

いい友人たちといい線路を通り、いい電車に乗っていい街に行き、いい駅におり、いい観光案内所にいるいいおじいさんと話をし、いい散歩をして、いい建物にたどり着く。

こういう風に来ると、なかなかいい視覚表現に出会うことは無くなってしまうことが多いのだが、今回は、ちょっと入り口でドキドキした。一目で見渡すことができるほどの大きさの展示会場だったので、一目で見渡すことができた。

良い抽象表現は、目に見えないこちらの有り様すべてに、一気に再点検を迫ってくる。見ることは見ている人の方に常にすべてあるので、こういうことが起こるときには一気に起こる。表現のすべてが抽象系だと、見えているものが何かの再点検はなく、見えているものが直接自分の内面に潜り込んでくるから、衝撃は直接的で深い。


齋悠記は僕の最初の娘で、アメリカにいたとき立ち会い出産で生まれた。カミさんから出てきて臍の緒を切られ、初めて自分で地球の空気を吸ったときからの付き合いだが、もう僕から離れている時間のほうが長くなって、むしろ沖縄の人といったほうが正しい。振り返ると感慨深い。彼女を振り返ることは自分を振り返ることだ。


他人の表現を見ることは、その人が何を表したいかを見ることとは少し違う。それを見ることによって自分の見えている事や物を点検して、その時点での固定をすることだ。固定の仕方がまだ、どんどん動いている視点と、移動がちょっと鬱陶しくなってきている視点。鬱陶しくなってるなとは思うが、それは移動し続けてきたときには見えなかった物や事への気配りへの配慮なのかもしれない。言い逃れだな。


この展覧会を見に行ってから、あっという間に、今日は3月8日。2ヶ月過ぎた。何のことはない計4回見に行った。一回は、ふと気付いたら時間が遅くなっていたので、寒河江のビジネスホテル(でも、風呂は温泉)に一泊した。寒河江は雰囲気の良い町で、何もなくてもまた行こう。というより左沢(あてらざわ)線が面白そう。物を見ることの、何と面白く楽しいことか。


この文は、展覧会が終わってすぐ書き始めた。そうしたら、今年のこの時期、友人や親戚が次々亡くなりはじめた。葬式はこの時勢で、実に簡素になってしまったが、前から言っているとうり、ぼくは喪に服すので少しウジウジしている時間が長い。そしてそうこうしているうちに、今度は、自分の健康診断に様々な兆候が現れ、昨日肛門からの大腸ファイバー検査から帰ってきたところだ。これで、口から胃の出口までと、肛門から盲腸までは、他人に見られてしまったことになる。後残るは小腸だけだが、小腸は切ってみることになるのかなあ。ま、もう開き直るしかない。でも今のところ一応健康!ということになった。

その合間をぬって確定申告の時期だし。いやはや。


そういう自分を取り巻く周囲も含め、深く広く開かれた抽象絵画は、自分を形つくる基礎となるものの見方に、広く深い影響を与えることを記録しておきたい。