知ることには限度がある。

どんなに知っていると思っても、

もっと知ることがある。


2021年10月5日

曇り。湿ったうすら寒い、暖かさ。

10月になると、ほぼ毎土曜日に児童館の人たちとの活動が入ってくる。本当はこんなに混んでいないのだが、この時期、夏休み中にやろうとしていた活動がどんどん中止や延期になっってしまっていて、ここに集中してしまったのだ。

この前の土曜、本当にしばらくぶりに、小さい人たちと、いつも使わせてもらっている仙台の外れの古い八幡神社の裏山で、1日一緒にじっくり遊んだ。と言っても、まず昼までは、神さまこんにちわ(君等は、神様いると思っているのか?の点検)をしてから、今日遊ぶエリアの散歩を兼ねた探検。手入れされているとはいえ、ほぼ自然のままの林の中を下草をかき分けて道を新たに作りながら歩くのは、何回やっても面白い。男子はどんどん行ってしまい、迷子になりそうになる。僕は、思わぬところで思わぬ方に曲がるからね。そういう練習をしていないと、絶対トトロには会えない。古い城跡の探検で、古い空堀にロープを使っており、裏の出口まで行ってみる。トトロの道を通り抜ける練習(しばらくぶりだったので、僕は眼鏡を草の中に落とし、なくしそうになった)で、草まみれになり、ほうほうの体で、社会(知っている世の中)復帰。

昼飯を食って、これまで作ってきた遊具の点検と修理(という名前の)破壊。壊すの面白いよね。丸太を止めている1寸釘は、きっちり錆びていて抜けないので、ほとんどの接合部分は、鋸で切断。で、この辺りで、帰る時間が来てしまう。初めて参加した1年生の女の子にさよならのハグをされて、僕は、少し涙が出そうだった。面白いねえ。又おいで。

思いもかけないことが起こったときに、なんとか知っている世の中に戻る道を探してみる。私たちは、知っている世の中を持っているのだろうか。