2009年 4月21日 春の雨。散歩に行って、空気を思いっきり吸いたい気分。

遊びに行く準備をしなければと、毎日家に帰ってくると思うのに、ふと見たテレビが興味を引く番組だとずるずる見てしまって、反省しながらベッドにはいる毎日だ。遊びに行くよりテレビを見ながらお茶を飲む方を僕の体が要求していると解釈して、つじつまを合わせている。でも、これはつまんないなと思っている自分もいる。



美術館が始まって、コンスタントに月曜休みになった。胞夫さんはアルツハイマーが進んで、寝たきりではないが、一日中居眠りをし、もうすっかりオムツの人になっている。介護施設の人たちがいるので僕はこんなことを言っていられるが、ほんの5年前でこの状態だったら、僕は仕事を辞めていた/辞めざるをえなかっただろう。病院にも、僕だけが出かけて先生に話を聞いてもらい、薬をもらってくる。この次は一緒に出かける予定だが一大事業になるだろう。明美さんは相変わらず好きにやっている。昨日の夜におなかが痛いと言ってきた。話をしているうちにそれはなおってしまった(と自分で言い始めた)のだが、今のままの生活をしていたら、早晩彼女の体が悲鳴を上げるのは明白ではないかと思える。(やめなくてよくかつ一日3本でいいから)煙草を減らし、一日3食をある程度でいいから時間通り食べ、毎日でなくていいからお風呂にはいり、煙草を買いに出た時だけでいいから町内を一周するくらいは歩き、夕飯を作る。そんなところでいいので生活を立て直さないと、それはどんなに体が頑丈な家系出身でも、そろそろどこかにガタが出る年齢だ。という事が、どうも彼女の病気では自覚できないようなのだ。あきらめはつくがストレスは残る。
というような事をいいわけに、温泉に行くのを少し解禁した。休みになった月曜日、しばらくぶりで行った露天風呂は何ともはや好い気持ちだった。気持ちのいい晴れの日に、気持ちのいい環境にある、気持ちのいい露天風呂に、気持ちのいい友人と行き、なんとその日は様々な事情で人がほとんどいなくて、とはいえ、長風呂はさけてさっさと上がった後に、気持ちのいい空の下で、ドングリ林の中にある気持ちのいいレストランのテラスで、おいしい昼ご飯を時間をかけて食べたのだから、気持ち良いのは当たり前で、これからも時々解禁しようとおもう。でも、この延長上に脳内出血があった事は忘れないようにしたい。でも、これなら死んでしまっても良いかなと少し思った。
秋にある造形教育大会への準備は好調に進み始めた。小学校も中学校も、良いところ/あたりから相談に来てくれて、僕にとっては実の有る相談が行え、始まれば力のある先生たちだからぐいぐい話は具体的に進む。美術館は美術の基本的なあたりだけを押さえているので、これまで先生たちが考えていたよりは、遥かに前の段階でしか相談には乗れない。造形の相談は本当のことを言うとどこの美術館だって苦手なのだ。造形の相談以外に、美術で何か相談できる事/する事有るんですか?というあたりに気付けるかどうかが、美術館と学校の連携の始まりになるといいのだが。
4月になったので、北6番丁にある僕の好きな食堂GラDィCュードが始まった。嬉しい。普通の民家の縁側に座って、日の光を楽しみながら、おいしい天然野菜と玄米ご飯をいただく幸せ。良くかんで食べよう。そういえば、友人のイラストレーターK田さんが、いよいよ鶴ヶ谷を引き払って、丸森筆甫の古い農家に移ると言いにきた。イラストを描きつつ自給自足にはいるのだという。その少し前に、これは古くからの友人であるO元ッちゃん(今はU野農園共同経営者)がほんとにしばらくぶりで美術館に現れて、有機農業で野菜を作っているのだが、僕もその野菜を分けてもらえる会員になれるという話を持ってきてくれた。生協の野菜ですら腐らせてしまっている今の状況だから、もう少しして、もう少し自分で動けるようになったらお願いしたい旨話した。ここも、時間を作ってぜひ農園を見に行きたいものだ。丸森はこの人たちだけでなく、庭を見てもらっているH野君や、家族で家を造っているのでその材料を美術館にもらいにきた人や、大倉山工房や何やかや、知っている人がどんどん増えていて、いったいどういう事になっているのだろう。皆んななんだか大変だけれど楽しく深く、ユックリ豊かに時間が流れているようでうらやましい。こういう方向に社会が動いて行っているのだと良いのだが。リタイアしてからの生活が楽しみだ。
16日から、中島町公園で「アートピクニック」という総合的な展覧会が始まった。僕は手元にあった彫刻を少し展示した。書道あり絵画有り彫刻もあって、様々なパフォーマンス、ワークショップ、コンサート。で、その向こうを張って18日は、美術館のワークショップ「大人の図工」第一回。美術館探検「本物」。美術館始点終点のノッツォの会。参加者7名。「天竜閣」で昼に海鮮釜飯を食う、というのが目的と言えば目的。その帰り「モーツアルト/アトリエ」でお茶。ずうっと歩いて春の日を堪能。
昨日までかけて、今年新たに買った、超軽量ティピー型テントにシームシーリングを施した。そして今日は深く曇って春の雨。結構充実した春が過ぎて行っている。

2009年 4月 1日 薄ら寒く、一日雨。それでも春の一日。

昨日、しばらくぶりで、ノッツオをこいた。ノッツオは野走で、僕と一緒にするお散歩の会。春のノッツオ@岩沼。年度末と年度始めの境目は、小中学校の先生たちにとって、寝る間もない忙しさなのだが、ポカっと何も無い時間が出来てしまったりもする日なのだそうだ。で、一日僕のフィールドに集まって、取り留めなくボヤボヤと歩き回り、うまい昼飯でも食って、今年もなんだか元気に行こうぜ!の活動をすることにした。

とはいえ、普通、この日は先生と断るまでもなく、本当に忙しいはずで、前日までの参加申し出はもちろんはかばかしくなく、僕は、もう、誰も来なくてもいいや、一人で行こうという感じになっていたのだ。
3月31日火曜日、誰かものすごくおこないの良い人がいたらしく、薄曇りの温かい空気が、春だなあとホノボノ想える日の朝10時5分前。僕は、自宅から集合場所の竹駒神社前に向けて歩いて家を出た。10時集合の約束だったのだ。集合は、駐車場だったのだが、神社の赤鳥居の前に、黒山の(僕にはそう見えたのだ)人だかリがあって、そのうちの何人かがこっちに向かって笑いながら手を振っている。ちょっと、僕は、後ろを向いて家に帰ろうと思いましたね。えっ、こんなにみんな来ちゃったの?黒山の人だかりは、総勢9名。男子2名は、自転車で仙台から来たと言う。車で来たグループと、電車で来た人たち。なんだかすごいことになっちゃったなあ、というのが最初の感想。
ゆるゆると竹駒神社の各建物を一つ一つ中を覗き込みながら見て回って正殿前へ。みんなお賽銭なんかなげて真面目に拝んでいたりしたが、地元はこっちでなくてアッチで拝むんだよなんて話をしながら、奥の院へ。こっちが、直にトトロの森の入り口なのだ。その他の神社にも声がけをしながら、隣の弓矢道場へ移動。名取北高の弓道部が春休みの練習会をしていた、これが声高にかけ声や気合いなど掛け合って結構うるさい。早々に移動。神社の裏口から出て九軒小路へ。友人のM浦君のおかみさんがやっている「ポラーノ」という本当のカフェに寄る。本当の、と断るのは、ここは基本的にただの喫茶店なのだが、それを拠点に、様々な文化的事業を継続して行っており、僕は個人的に私設公民館と言っている所だからだ。まだ開店前だったけれど、彼女はいてピアノの練習なんかしてんだよなあ。今日の会に参加していたSMTのO川君の個人的な知り合いだったことが判明し、彼の地道な活動が岩沼くんだりまで広がっていることが裏付けられたりした。又来るからねと断って、ゆっくり移動を続け、僕の家へ。自転車を庭の奥にしまい、シトロエン2CVとルノーカングーに分乗して岩沼郊外山裾の田圃の中の「今昔庵」へ昼飯を食いに出る。昼の混む時間の微妙に少し前の時間に到着し、各自「竹取」定食。基本は五穀米のご飯なのだが、この店自慢の蕎麦にする人もいた。古い大きな農家をリフォームし、座敷に座って食べる農家レストラン。メインディッシュはふろふき大根の黒胡麻和え。ゆっくりほうじ茶を飲んで、混みはじめた頃を見計らって、金蛇水神社に移動。金蛇水神社で奉納された白蛇の石彫、その他キッチュなもの様々をじっくりと見て回り、その後、全員で裏手に回って、七堤を見る。これは、岩沼平野米作りのためのため池なのだが、私のカヌー基礎練習用水場でもある、なんて事を演説しながら、7つあるはずの堤の4つ目あたりでなんとなく疲れて来て、駐車場に戻る。旧吾妻街道に出て、阿武隈川堤防まで南下。堤防の上に出て阿武隈川の屈曲部、広い川幅が気持ちいい小山の渡しを望む。遠い背景に白く冠雪した蔵王連峰、くっきり。そこから山沿いに柴田町の方に戻り、入間田に入って、富沢の磨崖大仏を見る。磨崖仏の郷大分出身山Zさんの、「これはすごい」のお墨付きをもらって少し喜ぶ。こういう所もう少し宣伝してもいいのになあ、などと話しながら、もっと山奥へ。幹線県道沿い山の裾野にある素朴な駐車場に車を置いて、「危険、池に近寄るな!」って書いてあるけど、どこに池あるの?の脇から入る遊歩道をしばらく登った丘の中腹にある蕎麦屋「花いかだ」に到着。ここは食事時間に来ると絶対しばらく外で待つことになるほど混む店なのだが、この時間3時すぎには、僕たち以外は3人の女の人たちがいるだけになっている。腹ごなしの時間つぶしはして来たけれど、もう蕎麦は食べられないのでお茶とおかしねって、思ってたのに、元気な先生たちは、ここでもテンプラ蕎麦一枚なんていう人もいたりして、お店の人は喜んでいた。何はともあれ、ここで今日のグルメ巡りツアーの仕上げ。そこから、出来るだけわかりやすい道を通って、再び岩沼まで戻り、僕の家に寄って解散。という道筋。
今日は4月7日で、なんとまとめに1週間かかってしまった。こういう散歩をゆっくりと時間をかけてやるのは、こっち側の余裕のようなものが強く試される。何もしないでボヤッとしていられることや、行き当たりばったりや、適当にやるや、よけいなことをするや、その他諸々の時間つぶしのバリエーション力が試される。このまとめを書くことも含めて、面白かった。