2011年 7月29日 曇り。暑いが風あり。


書き始めたらハエが来た。うるさい。みんな感じているのだろうが今年はハエが多い。今日は休みで岩沼にいる。ここは津波のがれきなどからはだいぶ離れているのに、これらはどこから来るのだろう。

あっというまに時間が過ぎる。普通は火曜午前館内調整会議。水曜から日曜まで通常活動出勤。時々「探検」などの団体活動。個別の様々な相談。月曜定休日。というパターン。本人は特に忙しいという気はしていないのに、会う人会う人、連絡をくれる人くれる人、みんな忙しそうだねと言う。日中、つい居眠りなんかしてしまっていたりするからか?

出勤日は朝5時半に起き、カンパーニュとカフェオレと林檎ジュースとヨーグルトの朝飯を食って岩沼用父親形見の古い自転車に、ノーヘルで背筋を伸ばして乗って駅へ。7時15分前後の電車で仙台駅に出て、地下通路経由仙台駅西口北駐輪場。自転車用ヘルメットをかぶり(仙台市の公務員で自転車通勤を真剣にしている人は居るのだろうか?それを楽しく真剣にしている人が考えないと、とても自転車に適した都市なんてできっこない。仙台市は形は割とできてると思うのに、上手く使えていない。ヘルメットかぶっている人も少なすぎる)、仙台市内用小径ホイール自転車に前傾姿勢で乗って、西公園で若干のオフロード走行をしながら(簡便に早く着くために自転車に乗るのではなく、それに乗ることを楽しんで通勤を遊びに拡大する意識)8時半前美術館着。まずコンピューターを立ち上げて出勤登録をし、今日の分のハンコ類を机の上にある書類に押し自分の活動の準備を始める。
5時15分に帰っても良いことになっているけれど、ほかのスタッフは毎日何だかなかなか帰らないので、率先して15分に館を出る。帰りながら幾つかの所に寄る。本屋やギャラリーやなんか。僕は酒を飲む習慣を持たないので、行きつけの店とかはなにもない。でも知っている人とかにあって話をしたり聞いたりすると、6時台はすぐすぎて普通7時台の電車で帰宅。何もない時でも、家に着くのは7時を過ぎる。帰ると、最近は覚醒している明美さんが、夕食を作っているので、できるだけ問句をいわないように出たものを素直に食べる。食事の時にテレビで今日のニュースをチェックすると、ついそのままほかの番組を見てしまう。その中に何か気になる画面があると真剣に見て、気がつくともう11時だ。風呂に入って寝る。頭蓋骨を開けて以来、ほぼ毎週木曜日夜体調リセットのため(以前はゆっくり長く泳ぐ水泳だった)に鍼灸に通っているが、その鍼灸院の先生も「そろそろ定年なので」と少しシステムが変わり、時間は同じにしてもらったが毎週水曜日になった。だから最近は水曜日だけカングーで出勤し夜少し遅く車で帰る。夜車で帰る途中たいていうどんを食べることにしている。

恐ろしいことに、ほとんど同じこのパターンでここしばらくの毎日/毎週が過ぎている。ブログの更新が途絶えている間全くこのパターン。こういうの忙しいっていうんだろうか?
仕事が人と話をすることなので、オフになると僕はあまり話をしない。仕事ではどうしても話を聞かせるような感じが多くなるので、オフの時は話を聞きたい(そういえば最近NHKラジオの落語の時間が無くなってしまった。どうしちゃったの?)のだが、みんな質問をしてきて、それが良い質問だとつい仕事の延長のような、わかったような話をしてしまい、あとで少しゲソッとする。全然ストレスフルでない毎日なのに、何だかストレスたまるぜ、という感じが重なるのは最近良い?セックスをしていないからか?

2011年 7月 9日  暑い。


今朝、通勤途中、仙台駅に着いて駅の中の便所に寄って小便をしている時、僕の目の前の壁を、もう透明に見える程もの凄く小さい羽虫が、動いていた。僕はおしっこをしながらそれを見ていた。

基本的には上の方に行きたいようだったが、途中でクイと右に頭から急転回してしばらく高度を下げ、しばらくしてこれは基本の方向ではないと気付いたか、再び上向きに軌道修正したりしながら、とにかくなんだか一生懸命せわしなく、目に見えない程の小さい脚をコマゴマと動かし続けていた。こういうとき、これはいったい何を考えているんだろうなあ、と考えた。

ううむ、この頭の大きさだと何か考えるというのではないな。何かのその必然が彼(一応彼ということにして話を進める)をそういうふうに動かしている。彼は飛べるのかもしれないが、今は歩いて移動している。見る限りでは、何だか一生懸命移動している。
今、ずうっと切れ目なく続いている中のこの時間の、彼にとっても僕にとってももの凄く広い空間を持つ地球の上の、たぶんもの凄く偶然なごく近くのこの場所で、僕は小便をし彼はどこかに移動しながら、一緒にいる。僕はこういうことを考え、彼は何を考えているか僕にはわからない。でも、僕も彼も同じ時間にほぼ同じ場所に居る生き物だ。僕は3/11を体験した人間で、彼も3/11を生き延びた生き物だ。そして二人は、ここにそれぞれ居る。僕はその体験をどういう風に発言をすればいいのかなかなかわからないなあというようなことをウジウジと考え続けてここに居る。そして、彼も何か考えて。

いやはや、いったいどうしてこうなったんだろうねえ。存在はほとんど同じなんだと思いたい。いや、同じなんだろう。宇宙的な時間軸で見れば、彼と僕との差違などいかばかりのことか。そういう/こういう長い時間をかけて、僕達がものを考え得ることになった、ということは、こういう風になることだったのか。そこの壁の上で一生懸命脚を動かしているもの凄く小さい羽虫と、ここでそれを見ながら出の悪い小便をしている僕と、地球上の生き物としてはそんなに違う状況ではないという自覚を忘れないように生き方を組み立てたい。難しいけど。明日僕は60歳になる。

2011年 7月 3日  暑く厚い雲の日。汗が出るが乾かない。


この週末はしばらくぶりで続きの休みだ。そしてふと気付くと7月に入っていた。7月10日が来ると僕は60!歳になる。

毎日このブログが書けないほど忙しかったというわけでは決してない。でも、なんだか毎日忙しかったのだ。確か忌野清志郎の歌にあったが、大人になると人には言えない知ってることばかりが増えていく。大人の毎日は本当にこういうふうにある。でも、こういうのはどうもいけない、僕は本質的に苦手。若いというのではなく甘いのではないかな。自分の存在とJOBとのずれが見えてきている。いやはや、早く退職したい気持ちが募る。

今、友人の石彫家NO女史が帰って行ったところだ。震災で歪んでしまった家の北西角と敷地境の側溝壁を、格好よくかつ強力に直してもらったのだ。初めは自分で、若い友人等を動員し、ブロックを積んで簡単に直そうと思っていた。で、どう直そうかと真面目に考え始めたら、せっかくだから格好良くした方が良いにきまっているということになった。あたりまえだけど。特に敷地の北西角というのは、なんとなくきちんとしておきたいなという感じがする。特に何宗とかいうのではなく、僕はそういう人生を送りたいのだ。で、これまでの経験の中で気になっていた形を思い出し、友人のその石彫家の作品をひとつ置けないかと相談をした結果、6月の最終週からこの週末にかけていくつかの作業がテキパキと進んで、今日最終仕上げ。側溝は綺麗にかつ強力に真直になり、北西の角には小さな祠がひとつ立ち、奥の入り口にも阿吽の可愛い狛犬が出現という新たな齋家の入り口ができた。阿吽の狛犬は、しばらく前に花巻のルンビニー美術館によばれて行った時にもらってきた物で、そうか君たちはこの日のためにあったのか。

この家はだんだん人が住んでいる感じになってきた。住んでいる人がわかる感じになってきた。僕はこういう風に住んでる人なんだ。ううむ、60歳だなあ。