2011年 7月 9日  暑い。


今朝、通勤途中、仙台駅に着いて駅の中の便所に寄って小便をしている時、僕の目の前の壁を、もう透明に見える程もの凄く小さい羽虫が、動いていた。僕はおしっこをしながらそれを見ていた。

基本的には上の方に行きたいようだったが、途中でクイと右に頭から急転回してしばらく高度を下げ、しばらくしてこれは基本の方向ではないと気付いたか、再び上向きに軌道修正したりしながら、とにかくなんだか一生懸命せわしなく、目に見えない程の小さい脚をコマゴマと動かし続けていた。こういうとき、これはいったい何を考えているんだろうなあ、と考えた。

ううむ、この頭の大きさだと何か考えるというのではないな。何かのその必然が彼(一応彼ということにして話を進める)をそういうふうに動かしている。彼は飛べるのかもしれないが、今は歩いて移動している。見る限りでは、何だか一生懸命移動している。
今、ずうっと切れ目なく続いている中のこの時間の、彼にとっても僕にとってももの凄く広い空間を持つ地球の上の、たぶんもの凄く偶然なごく近くのこの場所で、僕は小便をし彼はどこかに移動しながら、一緒にいる。僕はこういうことを考え、彼は何を考えているか僕にはわからない。でも、僕も彼も同じ時間にほぼ同じ場所に居る生き物だ。僕は3/11を体験した人間で、彼も3/11を生き延びた生き物だ。そして二人は、ここにそれぞれ居る。僕はその体験をどういう風に発言をすればいいのかなかなかわからないなあというようなことをウジウジと考え続けてここに居る。そして、彼も何か考えて。

いやはや、いったいどうしてこうなったんだろうねえ。存在はほとんど同じなんだと思いたい。いや、同じなんだろう。宇宙的な時間軸で見れば、彼と僕との差違などいかばかりのことか。そういう/こういう長い時間をかけて、僕達がものを考え得ることになった、ということは、こういう風になることだったのか。そこの壁の上で一生懸命脚を動かしているもの凄く小さい羽虫と、ここでそれを見ながら出の悪い小便をしている僕と、地球上の生き物としてはそんなに違う状況ではないという自覚を忘れないように生き方を組み立てたい。難しいけど。明日僕は60歳になる。