'07.04. 03 曇り。雲が厚い。空気は春の風。

 いよいよ一ヶ月更新無しの事態が出現した、などと人ごとのごとく書き出そう。
 iPodを手に入れて、僕の電脳生活が(様々な意味で)いかに活性化したかについては、前に述べた。そのうわさのiPodシャッフルを、フリースのポケットに入れたまま洗濯してしまった。活性化したなどと言ってはいてもその程度の思いいれなのだった。洗濯物が乾いても、白いスティックは静かなままだ、あたりまえだけど。僕は、やっぱりこういう生活ではないのだと再びみたび思う。で、メモリースティックが消滅してしまったので、それを理由に、電脳間の文章のやりとりが少し滞っていたら、あっという間に時間が過ぎた、というのが更新の遅れていた言い訳の、まず1。

 言い訳2、時間がすぎているなあと思っている間何もしないでいたわけではなく、急激に進んでいく父親の認知症を巡って、毎月曜何かしら介護関係の作業(機会があったら別に書くが、結構な書類仕事が、物理的な作業の他に必要なのだ)をしていて気の安まる時間が減り、ブログの更新の優先性はずっと後回しになった。  
 言い訳3、私の前立腺の調子は、だいぶ前から悪くなっていて病院にかかっていたのだが、そこで調べてもらっていた血液中の癌マーカーの値が少しずつ上昇してきて、癌センターでちゃんと調べてもらって下さいといわれ、調べてもらった。僕は、別口で、脳内出血予防の薬(血液を固まりにくくする)も飲んでいるから、このような検査が入ると、二つの別々な病院を行き来しながら薬の調整やらなにやらが必要で、普通より時間がかかる。時間をかけて調べたが、一応今回はセーフ。今のところね、の断りつき。
 言い訳4、あんまり公表したくないのだが、2月末に、僕の寝ている部屋で、極小規模なガス爆発を起こしてしまった。急に寒くなった夜に、いつもなら電気ストーブだけで寝るのに、ふと思いついて、風呂に入っている間、ベッドの枕元で水を沸かしておけば、もっとホンワカと寝られるのではないかと考え、キャンピングコンロで小さくお湯を焚いてみたのだ。火を着けて2階に上がり(家の風呂は2階にある)、ちょっとブログの更新をしていたら、突然階下で「ボン!」と来て、何かの崩れる音がした。風呂にはいるところだったので、半分裸でおりていってみると、少し焦げたにおいがしているが、見た目は、あまり変わったところはなかった。でも、寒い。外の空気が直に入ってきている感じ。電気をつけてよく見ると、ガラス戸が吹き飛び、パーティションがレールからぶら下がっている。いやはや。極小規模でも爆発は爆発で、2重ガラスのガラス引き戸(これが結構な重さなのだ)が何枚かサッシを引きちぎって吹き飛び、ガレージに使っている部分の大きなつり下げ式スライドパーティーションが外れ、ガレージのシャッターそのものも、レールを外れて外に大きくふくらんだ。これって、小規模か?という疑問がわくかもしれないが、実に幸運なことに、被害は今述べた部分に集中的に現れただけで、そこだけは見た目すごいことになっているのだが、それ以外の、部屋の中にあった物などはまったく無事だったのだ、僕の体も含めて。どう考えても、基本的には僕の初歩的なミスで、ほんのちょっと、運命が悪戯をしようという気を起こしていたら、僕は、今、ここにいられなかった。ゾーッ。
 ついているときは重なるもので、少し前に、地震保険の掛け替えで火災や家財に対する保険を掛け替え整理していたところだったのですぐ連絡し、保険の人が、工務店の人より早く来てくれて、(もちろん、一番最初に駆けつけてくれたのは、設計者の大林君で、何と言ったらいいのだろう、私は感動した。彼が、てきぱきと最初の段取りを付けてくれたのだ)お金の方は何とかなり、家自体も、建てたばかりだから工務店の人がすぐ来てくれて様々手配してくれたし、何よりも、そもそもの建物自体が、この程度(内圧で、シャッターが外側にひしゃげてしまう程度)の爆発では、壁や屋根はびくともしないのだということが実証されたのが嬉しかった。ま、嬉しがってもしょうがないのだが、、。これの損害の確定、修理の確定発注、準備作業で、一ヶ月はみるみる過ぎた。作業はなかなか始まらず、そういうときに限って寒い毎日が続き、私は、2階の部屋に避難した。実際の作業は、始まればあっという間の集中半日ですんでしまったのには驚いた。
 言い訳5、そうこうしているうちに、乗っている車(ルノーエクスプレスの方)のエンジンの調子が悪くなりルノー仙台に入院。その入院退院で手一杯な頃、なぜか美術館の人事異動の送別会。ったく、忙しいんだからさあ、とも言っていられないし。なのに、こういうときに限って、料理の出てくるのが遅い。その日の次の日に、子供達と粘土作りのワークショップがしばらくぶりにあるんで、それでなくても気が急いてるって言うのに。ほんとにもう、って、こういうのは、言い訳と関係ないな。
 何はともあれ、年度末と重なったからなのだろうけれど、これら様々な事件は、全て、何がなんだかわからないほどの交通渋滞とともに行われた。何という一ヶ月だったのだろう。何日か、お休みの日はもちろんあったのだが、とてもブログを更新しようという精神的なゆとりにたどり着けなかった。今思い出しながら書いていても、肩が凝ってくる。
 三月になると、さすがに、美術館に来る団体は少なくなる。そして来年度に向けた様々な活動の打ち合わせが始まってくる。それらにまつわる準備の一つとして、自分や、他人の書いた文章を読み返したり、探し出して読んだり、考えたりする毎日が続いている。
 朝起きて、今日は電車の中で何を読んでいこうかなと考えて、本や書き物を選び、上着のポケットに入れる。読むために遠近両用の眼鏡にして、通勤する。どっちにしたって、電車に乗っている時間は20分かそこらだから、本を持っていったって少し読めるだけで、実は、考える方が長いのだ。僕は、駅から歩いて美術館にかようのでほぼ45分歩く。歩きながら考えるのが僕は好きだ。歩きながら一人で考えると、頭の中の世界の広がりようは勝手気ままで、何か、僕はずうっと遠くまで出かけてしまうようなのだ。朝、美術館についたとたん「齋さん、なんか今日既に疲れてない?」と言われてしまったりする。今、ここに書いたような、動揺の毎日のせいもあるが、一方、自分の立っている位置を、じわりと確認する作業も、深く僕を動かしている。という日が何日か続いている。その割に、僕の頭は、ここからはずうっと遠くに出かけているようで、その日に使える身近な決断は何も考えられていなかったりする。全体として春が来ているのだろう。