歩きながら見る。

見ながら歩く。

何かが、その両方を

繋げている。

2024年 3月21日

気持ち良い、乾いた空気。やや風強し。


来週月曜日が月末の様々な支払いの引き落とし日なので、今朝銀行を一回りして手続きをしてきた。県美術館を退職して以来、メインバンクを自宅のすぐ脇にある相双五条信用組合という小さな銀行に移した。それまでは給料の振り込みなどのために77銀行メインだったが、生活をできるだけシンプルにするため、移動する手続きが酷く面倒なところ以外は、出来るだけそこに移した。市税支払いや年金受け取りも相双五条。


毎月末、必要な金額をメインの小さい銀行から現金で引き落とし、ポケットに入れて、歩いて77銀行岩沼支店まで持って行って、振り込んでおく。電脳で自動振込するためのカードも持ってはいるが、バカにできないお金がかかるので、その分自分で散歩しながら移動する。その帰りにその移動分のお金で、駅前で昼飯を食ったり、昔からある和菓子屋で大福を買ったりする。僕は僕のためだけに時間を使ってよくなったので、面倒な事や物を楽しむことにお金を使いたい。表面的に面倒そうなことは、実に奥深く豊かな物や事を含んでいて、鑑賞の奥義はこういう所にこそ使い所があるように、思える。こじつけだが。


春分の日の前日、ということは火曜日。今僕がメインで使っているカップ類を作ってくれた陶芸家が、福島市で展覧会を開いている案内が届いていたので、これ幸いと出かけた。展覧会もだが、福島市を見に。山形市も好きだが、福島市も好きだ。電車で岩沼から白石まで。白石に着くと到着ホームの向かい側に数分差で、福島行きが待っている。白石から先は、車ではよく来るが、電車から見る風景は、又面白い。越河、貝田。おおそうだった。

東北線福島駅で降りて、駅東側に出る。本当に久し振りなはずだが、なぜか既視感が強い。山形駅前?

メインの通りへの駅からの出方/繋がり方?知っているような、初めてのような、ま、でも、だいたい行けば着くだろう。と、歩いて、着いた。オオマチギャラリー。雰囲気のある展示場。作家がいて、暫くお話。火曜日は町全体が定休日なのだった。昼飯を求めつつ、ウロウロしながら駅に戻る。帰りは駅弁を下げて、阿武隈急行に乗る。ボックス席が空いてなくて、街を出るまで、弁当はお預け。阿武急は、好きだ。福島県内の風景と、宮城県に入ってからの落差。阿武隈川の流れ。空いていることをいい事に、あっちこっち席を移動しながら景色を見る。数日前(蜂蜜買いに行った日)に道を間違えて右往左往していたあたりを、川のこっち側から懐かしく?見る。ああ、こういうふうに道路工事していたのか。なんだかずいぶん歩いたような気分で帰宅。





 目はレンズなので、

見えるものは全て見える。

見えてはいるが、

見えないものも沢山ある。



2024年 3月16日

暖かい空気。気持ち良い風。


蜂蜜を買いにいく話しだった。去年、最後に行った時に、山形の蜂蜜屋で薬草蜂蜜の大きい瓶を4本買っておいた。これで、今年の冬は乗り切れるはずだった。そして、そういうことは、そう上手くはいかない。最後の1本の残りが少なくなってきた。


3月になったので、慎重にいけば、朝日町まで買いに行けるかなと考えていた。とにかくそう上手くはいかない。蜂蜜は無くなってしまった。近くの農協の直売所で、丸森の蜂蜜を売っていた記憶がある。差し当たって、それを繋ぎに、と思った。丸森までは、車で一走りだ。で、友人のKに車(彼女のは軽だ)を出してもらって、一緒に丸森に蜂蜜を買いに行くことにした。


まず齋理屋敷の向かいにある丸森物産館で丸森の蜂蜜を1瓶買った。よくみると、それは丸森耕野の蜂蜜だった。時間がまだあったので、その蜂蜜屋さんに行ってみることにした。丸森は広く、山と、森だ。ということに、後で気付く。でも、ものすごく面白かった。


先ず耕野の町民センターを目指す。物産館で広い道ずうっと行けば着くから、と聞いた。耕野は、昔の踏分け山道が未だに生きている。基本、そういう道は人の家に着く。それぐらい家がまばら。そういう未舗装系の道を縦横無尽に舗装された新しい(名前のついた)幹線道路が横切る。昔からある道は、基本的に昔からの神社を結ぶ。それらは全て山道を伝うから、道は、狭く急。どれが広い道なの?オートマチックの車のギアはローに入ってうなりを上げる。ほとんど人家がないので、人に道を聞くこともままならない。いやあ、面白そうでしょう!

やっと人が見えた人家を見つけ、そこにいたおじさんーと言っても、僕の方がずうっと年寄りなのだがーに聞いたのが間違いだった。この道の先のT字路を右に曲がって、まっすぐ行けば着くよ、云々。とは言え、道が、そもそも蛇のように細く、くにゃくにゃなのがT字路になる。ここT字路なの? ここで曲がっていいの? こういう道を右に曲がるとどうなるか。暫く行ってからまた別れるところが出てくる。ううむ。一体ここはどこだろう、になる。軽で来てよかった。軽でないと行けないのだった。日本の昔の道路は、軽で作ってある。

本当は、わかったふりしないで、言われた通りに舗装された太い道を、遠周りを気にせず巡っていけば、町民センターの前に出るのだった。そこで、やっと、地域の「紙の」地図が手に入った。そこで、山の上にあると教えられた蜂蜜屋さんのあり場所を聞く。で、外に出ると、蜂蜜屋さんコチラという大きな看板。それ以降は、曲がり角毎にその看板。いやはや。みんな来ていて、そして、多分、苦労してんだな。


何はともあれ、丸森耕野の石塚蜂蜜園に到着。そこにはそこの周りにある花の蜂蜜があった。ここは丸森だから、先ず柿、そして蕎麦。確かにそれらの花は知っている。でも、柿の花からここにある瓶いっぱい分の蜜を蜂は集めて来るのだ。いやはや。取り敢えず、その柿と蕎麦の蜂蜜を買った。その後、先ずはともあれ、そこで話を聞きつついくつかの蜂蜜を購入し、直行で国道349号に出て(と思って)帰宅。

と思ったら、いつしか福島県に入っていて、慌ててUターン、とかいう話は、また、別の話だ。何はともあれ、再び三度、面白い行き当たりバッ旅であった。今度は2CVで蜂蜜を買いに行こう。もう少し暖かくなったら。うまく曲がれるかなあ。




 だいぶ昔に、

ここを見つけた人がいる。

その頃道は無かっただろう。

でも、水は流れていた。

2024年 3月15日

暖かい空気。風時々強し。


N ewYorkから帰って来て以来、簡単なので、僕の朝飯はパンと珈琲だ。もう帰って来てから50年も経つから、様々思うところや、必然などが重なって来てはいるが、基本は同じだ。

今/今朝の朝食は義理の息子が作ってくれるカンパーニュを薄く切ったやつ1枚。それに、火星の庭で買っているパレスチナオリーブオイルをかけて、ザータルを振り、蜂蜜をかける。白磁の縁の厚いおおきめのマグに入れた珈琲に牛乳を入れたやつ。同じ仕様の大きめのお椀に彼が毎日少しずつ牛乳を足して作ってくれるプレーンヨーグルト。それに基本的には苺ジャムと蜂蜜をかける。これらを老眼鏡をかけて、ゆっくり河北新報を読みながら食べる。もうだいぶ長い間こういうことになっているので、書き出すと、なんだかうるさい爺さんの大変な朝の始まりのように見えるが、パンと蜂蜜と、珈琲さえあればあとは、特に問題はない。なので、先日蜂蜜を買いに出かけた。


普段、僕は山形の朝日町にある蜂蜜屋にそれを買いにいく。特にそこでなければいけないというわけではない。もともと山形の裏側を細々走り回るのが好きで、モーターサイクルがメインの移動手段の頃からあっちこっちぶらついていた。でも、その頃は蜂蜜はそんなに食っていなかった。蜂蜜を食うようになったのは、美術館で働き始めて暫くしてからだ。今思い出す主たる問題は、朝僕の女将さんにあまり面倒をかけずに、自分でさっさと作って食ってしまうということだったのではないかと思う。で、ある時最上川の岸辺を走っていた時にそばを食おうと立ち寄った街で、蜂蜜を買った。それ以来色々なところで、機会があれば蜂蜜を買った。様々食べてみた後、僕が好きな蜂蜜は、朝日町のある養蜂園で売っている薬草の蜂蜜というのに落ち着いて来た。


書いてみると、僕は、あまり食い物に好みはないと思っていたのだが、なんだろう、食い物そのものに好みはなく、なんでも出されたものを美味しくいただけるが、自分で食うものは、好きで奥までわかるものを食べたいと思っているようだ。いやはや。ま、お爺さんなんだし、このくらいは良いか。

 

私が知っている物や事。

私が感じている物や事。

それらがそこに在る。

ことになっている。

2024年 3月 8日  

少し暖かい冷たい空気、小雪が降り、積もっっている。

2024年 3月11日

空気の冷たい快晴。風は柔らかく感じる。


昨日、今年の確定申告を終えた。それで、ここ暫く、少し静かだったのだ。

電脳を使うようになって以来、作業が物凄く簡便になったことは実感している。だが、様々細かな作業をし、ステイプラーで纏めたレシートや領収証を計算し、その合計を検算し、役場(市役所)の年末調整相談会場(毎年市役所最上階大会議室)に持って行って、(多分)税務課の若い人に少しー暫く前までは、だいぶんに長く詳しい、だったー説明をしながら、電脳機で打ち込んでもらう。いやはや。今年は,11時半から始まって昼前に帰ってきた。帰りに駅前で昼飯を食べ珈琲を1杯飲んだ。


その道みち、僕の知っている、博物館はなぜ必要かー人間はなぜ博物館を作ったのかーについての想いを点検していたのだが、それは点検であって、でも、社会は相変わらずそんなに、何も変わっていないのだった。いやはや。


土曜日に、東北大学で公開の東洋美術の講演会があったので聞きに出かけた。

僕は偶然に日本人に生まれ育ち、日本での世界が普通のこととして子供から大人になった。実はものすごく偶然で、かつありがたいことだのだ。大きくなって様々知ることがあって、今のこの日本の有り様の、ある意味、(あえて)良質な異常性について、時々考え込む。そんな事もあって、いそいそと聞きに出かけた。思えば、僕たちは、基礎教育で日本の美術についてほとんど何も学ばずに卒業する。

極端に言えば、明治になって、学校教育が始まり、美術という日本語が発明!されて以来、僕(たち)の知って、使っている美術は、西洋美術を基本に展開された。思えば、極端にまとめれば、それ以前の日本の美術は、背景全部に金箔を貼っただけでよしとする(できる)平面表現と、仏像と根付けしかない立体表現だけで、縄文以来の表現文化を凌いできたと言っているように、僕には思えれる。または、そう言えるバックボーンを持てる国がある。嬉しいが、どうなのかなあ。

でも、大学の美術史の人たちが扱っている美術の範囲は、文献で確認できる範囲と深さなのであって、僕が基本的に気にしているところとは少しーしかし本質的にー異なっているようだった。それは当然のことだな。


いまだ僕にはよく分からないのだが、日本での、美術と図工との異差はもう誰も、気にしていないのだろうか。または、その問題はすでに深くみんなに理解されてしまっているー多分僕が気にしている部分とはかけ離れた部分でーのだろうか。それとも、今回の問題とはかけ離れた部意だったのだろうか。

とはいえ、僕の問題とは別に、お話はとても興味深いもので、日本での空間や時間の認識の仕方と、私たち日本人の、宗教ー神道と仏教ーの認識の仕方と表現の仕方の融通無碍な、しかし一体感。ううむ、まだ知らないことがたくさんあるなあと思えるものだった。

特に、お話をした先生の一人が、京都出身の方で、僕ら東北人と、物凄く(勉強することができるかどうかとは異なるほど深い部分で)違う空間認識を基礎に話してますよと言ったことに、驚いた。またそれを実感でき得るような、京都の寺院のありようの空間認識の話しだった。

僕も、昔何日か京都に居た経験があるが、あの時感じた不思議な高揚感!?は、そういうことだったのかと納得した。ううむ、日本の表現は、こういう事も含めて、こうなっている/たのか。

僕が深く影響を受けた大学の美術の先生達はしかし、長野と、秋田の出身だった。今お話ができるのだったら、もっと広く深いお話しができたのだろうなあ。彼らは、もうだいぶ前に亡くなってしまった。そうか、文化はこういうふうに深まって広がっていくのだなあ。そういう、こういうことのために、美術館(博物館)は、なくてはならないものなのだ。僕が今、ここにいる事の肯定感。








































 ここまで家から歩いてきた。

奥に見えるのは蔵王。

裏側は山形。そして日本海。

2024年 3月 8日  

少し暖かい冷たい空気、小雪が降り、積もっっている。


昨日、今年の確定申告を終えた。それで、ここ暫く、少し静かだったのだ。

電脳を使うようになって以来、作業が物凄く簡便になったことは実感している。だが、様々細かな作業をし、ステイプラーで纏めたレシートや領収証を計算し、その合計を検算し、役場(市役所)の年末調整相談会場(毎年市役所最上階大会議室)に持って行って、(多分)税務課の若い人に少しー暫く前までは、だいぶんに長く詳しい、だったー説明をしながら、電脳機で打ち込んでもらう。いやはや。今年は,11時半から始まって昼前に帰ってきた。帰りに駅前で昼飯を食べ珈琲を1杯飲んだ。


その道みち、僕の知っている、博物館はなぜ必要かー人間はなぜ博物館を作ったのかーについての想いを点検していたのだが、それは点検であって、でも、社会は相変わらずそんなに、何も変わっていないのだった。いやはや。

 

山の中に、大きい石が1個ある。

森の中に、周りと関係なくある。

大きいと寂しくないのか。


2024年 2月29日

乾いた冬の空気。でも、少し歩くとうっすら汗。

2024年 3月 1日

冷たい春の空気。でも、うっすらと細かい雨。


今週になってから、毎日用事があって連日1万5千歩程歩いてしまっている。ずうっとそうなら文句はないのだが、先週のように出歩かない日が続くと、家の中だけ1日二百五十歩となってしまうのが残念だ。僕は歩くのは苦にしない。

前に、移動するのが好きだと書いたことがあったように思う。手段を問わず移動するのが好きだ。だから前は、沖縄で集中講義があれば、喜び勇んで飛行機に乗り、浜松でお話を頼まれたりすると、仙台港発名古屋港着ー約丸1日ーのフェリーで出かけ、帰りは常磐線の特急で東京から仙台までー確か4時間ほどかかったのではないかー帰ってきたりしていた。沖縄には、なんとか船で行くことはできないかと考えていたが、未だ実現していない。


詳しく考えると、こういうふうに、僕はどこかに行くではなく、移動すること自体が好きなのだ。だから、歩くと同様に、電車に乗ることが好きなのであって、電車や鉄道が好きなのでは、多分、ない。電車に乗って、窓の外を風景が流れていくのを見ているのが好きだ。思えばほんの少し前まで、僕たちの移動はほぼ全部歩いての移動だった。だから、そのことを自覚しながら、ちょっとその辺を歩き回ると、だいたい100年前の人達が見ていた景色を今でも体験することができる、ように思う。


僕はお爺さんなので、定期的に病院に行き、薬を処方してもらう。毎朝晩、手のひらに小山ができるほどの薬を飲んでいる。思えば、見た目は元気で脳天気な爺さんのようだが、冷静に考えれば、2000年に入って以来、脳内出血で頭蓋を開け、心筋梗塞で、手首血管から器具を通して心臓の裏表に3個のステントを埋め、前立腺肥大検査の数値で何回か癌検査を受け、逆流性食道炎で血を吐いて、口から胃の出口までと、肛門から小腸までの大腸全部(ということは小腸を除く腹の中全部ということだが)をカメラで詳しく検査された、という経歴を持つ。

詳しく書き出してみると、この前行きつけの病院で、「齋さんって、本当は基本、安静にしていなければいけない人なんですよ。」と言われたことに納得がいく。ううむ。


今日は僕の最初の孫の高校の卒業式だ。本当に、僕はもう、十分に長く生きたのではないか。