私が知っている物や事。
私が感じている物や事。
それらがそこに在る。
ことになっている。
2024年 3月 8日
少し暖かい冷たい空気、小雪が降り、積もっっている。
2024年 3月11日
空気の冷たい快晴。風は柔らかく感じる。
昨日、今年の確定申告を終えた。それで、ここ暫く、少し静かだったのだ。
電脳を使うようになって以来、作業が物凄く簡便になったことは実感している。だが、様々細かな作業をし、ステイプラーで纏めたレシートや領収証を計算し、その合計を検算し、役場(市役所)の年末調整相談会場(毎年市役所最上階大会議室)に持って行って、(多分)税務課の若い人に少しー暫く前までは、だいぶんに長く詳しい、だったー説明をしながら、電脳機で打ち込んでもらう。いやはや。今年は,11時半から始まって昼前に帰ってきた。帰りに駅前で昼飯を食べ珈琲を1杯飲んだ。
その道みち、僕の知っている、博物館はなぜ必要かー人間はなぜ博物館を作ったのかーについての想いを点検していたのだが、それは点検であって、でも、社会は相変わらずそんなに、何も変わっていないのだった。いやはや。
土曜日に、東北大学で公開の東洋美術の講演会があったので聞きに出かけた。
僕は偶然に日本人に生まれ育ち、日本での世界が普通のこととして子供から大人になった。実はものすごく偶然で、かつありがたいことだのだ。大きくなって様々知ることがあって、今のこの日本の有り様の、ある意味、(あえて)良質な異常性について、時々考え込む。そんな事もあって、いそいそと聞きに出かけた。思えば、僕たちは、基礎教育で日本の美術についてほとんど何も学ばずに卒業する。
極端に言えば、明治になって、学校教育が始まり、美術という日本語が発明!されて以来、僕(たち)の知って、使っている美術は、西洋美術を基本に展開された。思えば、極端にまとめれば、それ以前の日本の美術は、背景全部に金箔を貼っただけでよしとする(できる)平面表現と、仏像と根付けしかない立体表現だけで、縄文以来の表現文化を凌いできたと言っているように、僕には思えれる。または、そう言えるバックボーンを持てる国がある。嬉しいが、どうなのかなあ。
でも、大学の美術史の人たちが扱っている美術の範囲は、文献で確認できる範囲と深さなのであって、僕が基本的に気にしているところとは少しーしかし本質的にー異なっているようだった。それは当然のことだな。
いまだ僕にはよく分からないのだが、日本での、美術と図工との異差はもう誰も、気にしていないのだろうか。または、その問題はすでに深くみんなに理解されてしまっているー多分僕が気にしている部分とはかけ離れた部分でーのだろうか。それとも、今回の問題とはかけ離れた部意だったのだろうか。
とはいえ、僕の問題とは別に、お話はとても興味深いもので、日本での空間や時間の認識の仕方と、私たち日本人の、宗教ー神道と仏教ーの認識の仕方と表現の仕方の融通無碍な、しかし一体感。ううむ、まだ知らないことがたくさんあるなあと思えるものだった。
特に、お話をした先生の一人が、京都出身の方で、僕ら東北人と、物凄く(勉強することができるかどうかとは異なるほど深い部分で)違う空間認識を基礎に話してますよと言ったことに、驚いた。またそれを実感でき得るような、京都の寺院のありようの空間認識の話しだった。
僕も、昔何日か京都に居た経験があるが、あの時感じた不思議な高揚感!?は、そういうことだったのかと納得した。ううむ、日本の表現は、こういう事も含めて、こうなっている/たのか。
僕が深く影響を受けた大学の美術の先生達はしかし、長野と、秋田の出身だった。今お話ができるのだったら、もっと広く深いお話しができたのだろうなあ。彼らは、もうだいぶ前に亡くなってしまった。そうか、文化はこういうふうに深まって広がっていくのだなあ。そういう、こういうことのために、美術館(博物館)は、なくてはならないものなのだ。僕が今、ここにいる事の肯定感。