怖い物が見えそうなときは
まず薄目。

見たいときは全部開け、
見たくないときは全部閉じ。

でも目をつぶると
死んじゃうときもある。



2013年 8月23日  
昨日突然夏。本日ヒヤッと曇。

先週末に「実寸」という雑誌にあった。持ってきた人との会話の中で僕が「雑誌」と言ったら,「冊子」ですと直された。A4サイズ50頁ぐらい。内容は障害者授産施設で手に入る様々な物の実寸写真集(の様に見えた)。作品(写真)を巡る座談会、巻頭の言葉。写真をざっと見ていたら、値段は1000円ですという。少し高いかなと思ったが、若いのがなんだか一生懸命作っているわけわかんない物に、僕は弱い。1000円払って、僕の物となったのが1冊手元にある。

その少し後で、それを作った人たちの何人かに会う機会があって、これは何で、この後どうなるのかを聞く機会があった。彼等の話はアッチコッチ跳んでうまくつながらない所もあった。けれど、フムフムとも思った。文章を細かく読んでもらえば書いてありますと云うので、全部(細かく)読んでみた。やっぱり不思議な物だった。僕の中では、彼等が言っている心意気は良く解らなかった、といった方が正しい。様々なブログやtwitterやfacebookでは、感動したり褒めたり皆で読もうと言ったり日本中で売ろうと言ったり東北の誇りと言ったりしている人達がいた。みんなは何が起きているかわかってるようで、少し動揺。これはなんか「僕の概念を超えた本」が始まっている始めの所なのだろうか。
本と云うメディアがする/できる仕事のイメージが、僕はたぶんあまりに20世紀的すぎるのだろうか。それとも単に僕がコンサバすぎるようになってきたか。様々深く考える機会にはなった。

同じ頃、しばらく前に話を聞いていた、大学の後輩の先生夫婦が始めたコーヒの店に行ってみた。岳山珈琲(ガクサンコーヒー)。彼等は二人とも美術の先生をやっていて、定年の少し前に辞めて練習し、店を始めた。泉が岳に向ってメインストリートを登って行き、温泉を過ぎた登りの途中、除雪トンネルのだいぶ手前の山に向って左側、林の入り口。
いやあ―驚きましたね。このあたりは、昔、山や林の奥の方までモーターサイクルで走り回ったあたり。七北田ダムの方から、大蔵の方から、横川林道の方から、舟形の方から、升沢の方から、赤崩の方から、南川ダムの方から、その他の踏み分け道を含め、昼夜を問わず、縦横無尽に走り回っていた。いやあなんという変わり様なのだろう。これではトトロは居なくなるし、もののけ姫も逃げて行くのあたりまえだ。という中にたたずむ、手作り感の漂うしっかりしゃれた喫茶店。ケーキとトーストぐらいはつまめるけれど、基本は(美味しい)珈琲。余裕のあるテ-ブルの配置。みんな違う椅子。元先生だとはとても思えない彼等の服装。ニコニコしてしまった。ニューヨークに居た頃には気付かなかったけれど、ここに来てそうだったなと思い出す、欧米のカフェで感じる「ほっとかれている感じ」が、ここの店でも味わえるといいのだけれど。時間ができたら何回か来てみようと思って、一番深煎りの豆を100グラム買った。


天気良いんだから、
美術館になんか来ないで
外で遊びなさい。

10歳以下の人達と
遊ぶときの基本。



2013年 8月20日 
湿度高い。部分的に雨降り続く。

腰が痛い朝。昨日1日青根の川で遊んでいたからだ。ノッツオの人達との夏の恒例行事。今年は若い新人も少し来たけれど、基本のメンバーはベテランの小学校教師達だから、テキパキと山の谷川に石でダムを築き、蔵王からの冷たい沢水を溜めてプールを作り、浸り、遊んだ。今年は気温が高かったのに、水は冷たく、Tシャツを着て沈み、立つと寒い。水の中だと思いもかけない程大きい石も一人で動かせるので、ちょっと少し無理をした。その結果、楽しさの後のちょっとした苦痛。そしてそれはすぐにはこない。川での活動を一通り終えて温泉に入り、チーズシェドでチーズドリンクを飲み、家に帰ったあたりからじわりと現れる。ギックリ腰ではない。筋肉がひどく疲れているだけの感じ。早めに風呂に入り早めに寝たら、今日はずっと良い。まだ痛いことは痛いのだが。
この前ブログを更新してからすごく時間が経ったように感じていたのだが、思えば2週間しかたっていない。日記のメモをしておく。

様々あって、家に来ている電話線が光ファイバーに変わった。それに伴って、再びNTTがメインの電話会社に戻った。同時に/なので、電話機が、壁に取り付けてあった電話用のコネクターではなく、ルーターにつながることになった。で、ルーターは何処につながっているのだ?少なくとも、電話コネクターは空いたままだ。有耶無耶ムヤ。家につながっている電話線?が光ファイバーになったら、これまで受信しかできなかった固定電話機(ネットで買った韓国製古型黒電話器)が送受信両方できるようになった。この電話器は格好優先で決めたやつなので、受信はできるんだからしょうがないとほぼあきらめていたのだが、何もいじった訳ではないのに、普通の電話器になってしまった。理由は簡単な所にあるのだという気配はするが、解らないことにしておこう。

角田丸森境の大蔵山へはあの後も行ってみた。丁寧に見れば見る程気になる。山田さんはいまだ社長のようなので、電話をして会い、あの場所の意見と展望を聞いた方が良いのではないかと思い始めている。あの山堂で、レストラン(又はカフェ)をするだけでも、、、。

家の玄関に入る前の庭に黒竹が植えてある。そこに今年は七夕を飾った。といっても、100円ショップで短冊セットを買ってきておき、家を訪れた人に無理矢理何か書かせ、つるすというもの。皆なかなか書かないので、景気付けにまず僕が数枚書いた。「夏の青空」「ひとりでいるからほっといて」「世の中のほとんどは、ま、いいか、である」「正直真剣臍曲り」このへんまで書いたら、家政に来ているK子さんに、インデペンデントな七夕ですねえ、という感想を言われた。全く自然にこれで良いと書いていたので、一瞬(だけ)動揺。思えば、七夕の短冊って何書いてたんだっけ?でもこれで様々吹っ切れたので、これからはあんまり世間に具体的な影響を与えない事物は、きちんとした自己流で行くことに(改めて)決心。

僕は何宗とかではなく、でも神様は居ると考えている。で、クリスマスも好きだが、大きい石も拝むし、一応お盆もやる。今年も13日に竹駒寺のお墓に行ったら沢山の人達がいて、お墓を掃除して安い緑色の線香束をそなえ、そそくさと帰って行くのだった。僕はあの安い線香のニオイがあまり好きではない。墓石を掃除して花を生け変え、水をくんで、どうせあげるのだから、僕の好きな香りの良い線香に5本だけ火を付け、それが燃え尽きるまで、ぼんやりお墓の前で日光浴をしながら(もの凄く暑いが)周りを見ている。パンパンと拍手をして拝んでいる家があったり(何か理由があるのだろう)、パッと来たなと思ったとたんサッと返って行ってしまうとこ(でもやるべきことはやってある)があったり。ええい、死んでしまったら何をか言わんや(言えないが)なのだなあと、しみじみ思う。お墓に来てしみじみ線香の香りを嗅ぐ時間を持つのは、もう少し時々やってみてもいいなあと思う。

なので、七夕だけでなく、お盆の仏壇の飾りも、今年からはその飾り付けの意味を知っている範囲は、自分で決めて、(かってに)飾ることにした。これまでは栄子さんが最後に飾ったときの写真を基に右往左往自身無くやっていたのだ。たぶん深い意味が様々あるのだとは思うが、彼らがあちらから来るときのことを様々考えつつ、お話をしつつ作り並べて行く。こっちの方がずうっと心落ち着く。盆提灯を4つ立て、花を飾り、ミョウガとキュウリ(しかなかった)で四つ足を作り、ドライフラワーのほうずきを飾り、荒縄で結界を張り、蜜蝋の日本ロウソクを立て、この前寒河江の慈恩寺で買ってきた慈恩香を用意して完成。盆飾りもインデペンデント。これから僕の齋家はこの方向にする。

痩せ我慢の許容度。

孤立することの自覚。

そのことによって自覚される
自由の許容度。


2013年 8月 8日 
立秋過ぎたら、朝から突然の夏。

昨日のブログを書いた後、一階の食堂に降りた。朝は7時から朝食、ということになっていた。7日の活動は朝9時半までに釣石神社駐車場集合ということになっていたので、少し早く行って下見をしておきたかったのだ。地図で確認した感じでは県道33号線を裏から通り抜け、追波川沿いの堤防に出ればいいから、8時に出れば充分だろう。

で、7時に食堂へ。誰も居ず、何もない。部屋がそもそも開いていない。でもパンが焼けるおいしい匂いはしている。呼んでみても誰も出てこない。少し焦る。こういう時、ここは自分で勝手に自主的にする方式なのか? 他の宿泊の人達(なぜかみんなオス)も少しずつ出てくる。7時を10分程すぎた頃、少ししゃれた民宿のおかみさんのような女の人が慌てた様子で事務室の中から走り出てきて、あたふたと用意を始めた。何のことはない、ホテルの職員が遅刻をしたらしい。笑うしかないなあ。こういうの初めて、あたりまえだけど。どちらにしても朝は洋式のバイキングな訳で、10人程の宿泊客はそんなに混乱もなく次々食べて出て行く。ほとんどの人はなんとなく復興関係技術労働関係者のようだった。思えば今日は僕もそのうちの一人と言えなくもない。というようにして始まった震災復興系子供対象美術的活動を、ムリヤリ炎天下半日。釣石神社は、物凄い石の神様で、(その神様に)怒られないように注意してしなければいけないのに、みんな無神経すぎる。社務所の人に怒られないようにしてしまう。そちらより神様だってば。

這々の態で参道のチョークを水で洗い流し(そういう活動になってしまったのだ)、13時頃にすべて終えて帰ろうとしたら、若い仲間に、齋さん今日の夜は来るんですかと聞かれた。今日はもう帰って早く寝るつもりだけど、それなんだっけ?今日の夜7時からターンアラウンドで、槙さんん主催のDVD上映会があるのだった。それはずうっと前から決まっていたのだ。ああそうだった、覚えているよ、いっぺん岩沼に帰って電車で行くと思うよ。何しろ今日は七夕の日だぜ。いやはや。それでも三陸道がずうっとこちらまで伸びてきているので、岩沼まではそれに乗れば直通。のはずだったが、なぜか今回僕のETCが鳴瀬の本線チェックで稼働せず、混乱。誰か僕に意地悪してんじゃないか?眠くなってくるし。こういう時は気を引き締めてユックリ行くことにして、新しく出来た松島春日SAに入りミニストップでハロハロとブラックコーヒー。コーヒー飲みながらボーッとしていたら、突然にゅーっと、あの(僕の嫌いなユルキャラとかいう)ムスビ丸が僕の視界に割り込んで来た。何なんだこれは!と身を引く。春日SAの開場1周年記念なのだと。僕にはどう使うのかどうしても思い描けない、物凄く小さいタオルハンカチを1枚(ムリヤリ)もらう。ここで意気をあげてと思っていたのが一気に下る。再び這々の態で帰宅。とにかく無事にはついた。42度のシャワーを浴びて着替え。そうしたら、なんだか癲癇の発作が起こりそうな予感がしてきたので、癲癇止めの薬を飲んで暫く昼寝。ということは出る時間がややきつくなってくるということになるわけで、6時少し前の電車で仙台へ。片平消防署の前からはほぼ走って、なんとか5分前に着く。DVDは相変わらず面白かったのだが、家に着いて寝たのはやはり12時をすぎていた。

何という一日だったのだろう。あんまりこういう風なのはしない方がいいなと思いながらも、なんだかニコニコしている自分も居る。こまったもんだ。


自分を自由にしておくということは、自分の孤立を自覚することだ。

その自覚の上にある、
近代の社会。



2013年 8月 7日 
朝5時、まだ曇っているが、既に空気は暖かい。

今日午前中から石巻長面浦の近くで、NPOの活動がある。三陸道が混みそうなので、昨日の午後石巻に移動し、前から気になっていたHutaba Innに宿泊している。今のところ快適。ただ石巻は何しろ漫画で町起こしなので、過剰に石ノ森章太郎。とはいえ、このホテルは彼の定宿だったらしいので、当然といえば当然なのだが。僕の部屋は2階で、北を向いた大きい窓一面、向いの大嶋神社住吉公園の森。音がしないというのではない、静けさ。昨日の夜は雨が降っていて、夕飯を食う店を探して少し歩き回ったが、街自体がそんなに大きくないので、いろいろな所にすぐ行けて面白かった。ただ港町なので?居酒屋さんが多く、僕が使えるような普通の食堂は、この時間なかなか無く、結局日和アートセンターによって聞いた。雲雀Hibariという、中国人の人がやっている店であんかけ焼きそばと餃子。朝飯は7時からなので、今から朝の散歩に行く。