天気良いんだから、
美術館になんか来ないで
外で遊びなさい。
10歳以下の人達と
遊ぶときの基本。
2013年 8月20日
湿度高い。部分的に雨降り続く。
腰が痛い朝。昨日1日青根の川で遊んでいたからだ。ノッツオの人達との夏の恒例行事。今年は若い新人も少し来たけれど、基本のメンバーはベテランの小学校教師達だから、テキパキと山の谷川に石でダムを築き、蔵王からの冷たい沢水を溜めてプールを作り、浸り、遊んだ。今年は気温が高かったのに、水は冷たく、Tシャツを着て沈み、立つと寒い。水の中だと思いもかけない程大きい石も一人で動かせるので、ちょっと少し無理をした。その結果、楽しさの後のちょっとした苦痛。そしてそれはすぐにはこない。川での活動を一通り終えて温泉に入り、チーズシェドでチーズドリンクを飲み、家に帰ったあたりからじわりと現れる。ギックリ腰ではない。筋肉がひどく疲れているだけの感じ。早めに風呂に入り早めに寝たら、今日はずっと良い。まだ痛いことは痛いのだが。
この前ブログを更新してからすごく時間が経ったように感じていたのだが、思えば2週間しかたっていない。日記のメモをしておく。
様々あって、家に来ている電話線が光ファイバーに変わった。それに伴って、再びNTTがメインの電話会社に戻った。同時に/なので、電話機が、壁に取り付けてあった電話用のコネクターではなく、ルーターにつながることになった。で、ルーターは何処につながっているのだ?少なくとも、電話コネクターは空いたままだ。有耶無耶ムヤ。家につながっている電話線?が光ファイバーになったら、これまで受信しかできなかった固定電話機(ネットで買った韓国製古型黒電話器)が送受信両方できるようになった。この電話器は格好優先で決めたやつなので、受信はできるんだからしょうがないとほぼあきらめていたのだが、何もいじった訳ではないのに、普通の電話器になってしまった。理由は簡単な所にあるのだという気配はするが、解らないことにしておこう。
角田丸森境の大蔵山へはあの後も行ってみた。丁寧に見れば見る程気になる。山田さんはいまだ社長のようなので、電話をして会い、あの場所の意見と展望を聞いた方が良いのではないかと思い始めている。あの山堂で、レストラン(又はカフェ)をするだけでも、、、。
家の玄関に入る前の庭に黒竹が植えてある。そこに今年は七夕を飾った。といっても、100円ショップで短冊セットを買ってきておき、家を訪れた人に無理矢理何か書かせ、つるすというもの。皆なかなか書かないので、景気付けにまず僕が数枚書いた。「夏の青空」「ひとりでいるからほっといて」「世の中のほとんどは、ま、いいか、である」「正直真剣臍曲り」このへんまで書いたら、家政に来ているK子さんに、インデペンデントな七夕ですねえ、という感想を言われた。全く自然にこれで良いと書いていたので、一瞬(だけ)動揺。思えば、七夕の短冊って何書いてたんだっけ?でもこれで様々吹っ切れたので、これからはあんまり世間に具体的な影響を与えない事物は、きちんとした自己流で行くことに(改めて)決心。
僕は何宗とかではなく、でも神様は居ると考えている。で、クリスマスも好きだが、大きい石も拝むし、一応お盆もやる。今年も13日に竹駒寺のお墓に行ったら沢山の人達がいて、お墓を掃除して安い緑色の線香束をそなえ、そそくさと帰って行くのだった。僕はあの安い線香のニオイがあまり好きではない。墓石を掃除して花を生け変え、水をくんで、どうせあげるのだから、僕の好きな香りの良い線香に5本だけ火を付け、それが燃え尽きるまで、ぼんやりお墓の前で日光浴をしながら(もの凄く暑いが)周りを見ている。パンパンと拍手をして拝んでいる家があったり(何か理由があるのだろう)、パッと来たなと思ったとたんサッと返って行ってしまうとこ(でもやるべきことはやってある)があったり。ええい、死んでしまったら何をか言わんや(言えないが)なのだなあと、しみじみ思う。お墓に来てしみじみ線香の香りを嗅ぐ時間を持つのは、もう少し時々やってみてもいいなあと思う。
なので、七夕だけでなく、お盆の仏壇の飾りも、今年からはその飾り付けの意味を知っている範囲は、自分で決めて、(かってに)飾ることにした。これまでは栄子さんが最後に飾ったときの写真を基に右往左往自身無くやっていたのだ。たぶん深い意味が様々あるのだとは思うが、彼らがあちらから来るときのことを様々考えつつ、お話をしつつ作り並べて行く。こっちの方がずうっと心落ち着く。盆提灯を4つ立て、花を飾り、ミョウガとキュウリ(しかなかった)で四つ足を作り、ドライフラワーのほうずきを飾り、荒縄で結界を張り、蜜蝋の日本ロウソクを立て、この前寒河江の慈恩寺で買ってきた慈恩香を用意して完成。盆飾りもインデペンデント。これから僕の齋家はこの方向にする。