しばらくぶりの空。

宇宙のすぐ下。

僕はちょっとした猿なのに、
ここに居る。

2014年 2月19日  

快晴。風時々強いが、
なんとなく空気は温い。

1ヶ月更新途絶。最近では珍しい。何をしていたのだろう。

基本的に1月22日まで1ヶ月、美術館の年末年始休館に合せて普及部での仕事を休む。よく考えると、物心ついて以来、本当に何もしなくていい長い休みというのが出来たのは初めてだった。常日頃一人で何をするのかを考え/準備しようと言っていたはずなのに、本当に生活費を稼ぐ為には何もしなくてよい時間が出来てみると、やや動揺して驚いた。
小人閑居すると、たいした事は思いつかない。なにしろ根が小心者だから不善をなすどころか、ただおろおろと電脳のゲームなどをやって時間をつぶしたりして、夜寝る前に深く反省する。追い討ちをかけるように、昨秋、基本的なCSの契約をしてしまっていた。そしてこの時期、アメリカンフットボールのシーズンが終わりにさしかかって、プレイオフの中継が昼間からある。佳境に入ると時差の関係で朝5時からお昼まで実況中継。僕はどこのチームが好きというのではなく、プロがやるアメリカンフットボールの試合そのものが好きなので、様々な家事をしながらテレビを見る。昼頃に試合が終わると、ついそのままチャンネルを探して、CSのミリタリーものなんかを見てしまう。夕方になると相撲。いやはや、再び寝る前に深い反省、の毎日。そうか俺って、こういう風に時間を消費していく人だったんだ。結構バリエーション無いんだなあ。

そう日々をぬって、宮教大や白百合大の来年度の授業の手続きやシラバスの提出なんかが始まる。美術館での再雇用もそうだが、僕は小人閑居して不善をなしたとしても、本当にもう働きたくはないようなのだ、と思って/感じている。でも実際の現場を冷静に見ていると、普通は「また働いて」って頼まれない人も多いのだ、という事が解ってくる。頼まれるうちなのだ。ありがたい。30年かけて積み重ねてきた(しかも給料もらいながら)経験を若干でもみんなに返しておくことができるのはありがたい。ただそういう手続きは最近ほとんどメールで来て、添付書類を開き、書式に記入して、メールで返送する形式。これが頻繁に動かなくなる。動かせなくなる。以前はすぐにMr.Ameeに連絡する、だったが、仕事場の若い人に色々いじってみる事を見せられて、こまったら彼に電話する前に少しいじってみる事にした。そうしたら、なんだ結構動くんじゃん。でも、こういうふうにした後で動かなくなった時は大騒動。だから、本当は書式をプリントアウトした紙を郵送してもらい、記入して送り返すという状況が、僕にとっては最もストレスがないのだが。

なんていうような事をモサモサヨロヨロやっていたらあっという間に2月で、入ったなと思ったとたん8日になって、大雪の中、空港閉鎖直前の飛行機で沖縄に移動。9日から3日間一日5時限8時40分から5時50分まで、博物館教育学の集中講義。前に書いた通り、最初の日の午後に沖縄県立美術館に行って美術探検と美術館探検。2日目美術を巡って、3日目教育を巡っての話。最初の日にやった活動の解説。見抜いた学生がいたが、僕は本当に実践の人で、解り易く話すのは上手くない。やるまでは、軽く手を抜きながらなどとと心に決めていたのに、始めるとあれもこれもと思い出して、毎時限ほとんど時間一杯しゃべりっぱなし。いやはや。始め眠そうだった学生が、徐々に面白そうに目を輝やかせて、顔が起き上がってくるので、こちらも手の抜き様がない。午前と午後、各々にカードを渡して感想と質問を書かせ、提出するのが出席票。次の話はその質問のうちから始める。
その授業の間は那覇のビジネスホテルに泊まってモノレールで通勤し、朝はホテルのバイキング(沖縄風)、昼は大学の向かいにある「あしびなあ」という沖縄レストランのランチ。夜は何やかにやの沖縄料理。毎回ガッチリ食った。仙台だったら体重10キロ増えたとなる所だが、そうだったのでたぶん倒れずにすんだ。体重変化なし。授業後、12日は主に那覇で買い物。13日、沖縄は大雨で巧く動けなかったが、娘と本島南部の御岳(うたき)巡り。帰ってきたらこちらは物凄い雪で、様々な意味で動揺。洗濯物関係は事前に宅急便で送っておいたので、手荷物が、行く時よりは遥かに軽かったので助かった。

木曜夕方遅くに帰ってきて、金曜から働きに出るつもりでいたが、帰宅してみたらコタコタになっている事が判明(あたりまえか)して、美術館に電話し金土曜は休みをとった。今書いていても疲れる日々。日曜まで充分な寝坊をする毎日。適当に起きて、しかし雪かき。それ以外は昼寝。結構一日寝ていられた。しばらく自堕落な日々を、と思っていたが、月曜に沖縄県立大学からレポートが届き、同時にメールが入る。結果、様々な理由で遅くとも21日までには成績を出さなければいけないことが判明。それ以外にも理由があって、夜までかかって32人分のレポート(僕の課題はエッセイ提出)を読み、18日には成績を出し返送。


その間に、沖縄のホテルに今使っている携帯電話の充電器を忘れてきたらしい事が判明。ホテルに電話するも見つからず、娘の所にもなく、いやはや、なんでこういう時に!!! ちょうど電池の寿命も来ていた(すでに1回変えて3年目。時々前触れなしに切れる)ので、この際替えようとソフトバンクの岩沼店に、スマートホンにはしないぞと決心して行く。その旨相談すると、髪の毛ツパツパのお兄さんが、そういう僕の欲しい昔タイプのは今店に在庫がなく、老人用の極簡単な、電話とメールだけ使える、スマートホンもどきを勧められた。ううむ、もう面倒くさくて何でもいいやという気持ちになって、いわれるままにそれに決定。黒い、iphonもどき。オレオレ詐欺には絶対あわ/えないようにだけ、ガッチリなっている。たしかにそっちの誰かが考えた使い方の通りにすれば操作極簡単。ただどうも、僕はすぐに自分風に使いたがるので、すでにこの数日で3回、店に行って使い方(AirMac環境に適合する方法、カタカナ変換のしかたなど)を店の若い人に聞いた。みんな親切に教えてくれた。僕の質問は物凄く簡単に出来るのだった。僕が自分で難しくしていただけ。イヤハや今や、日本の老人って、こんなにモノを知らない事になってたの?という具合に、若いのがすっかり考えてくれていて、何も知らないフリして素直にやれば出来るのだった。ストレス。でも面倒ぐさがらなければ、しばらく遊べそう。

さて明日から仕事に出よう。