私がここにいる、という意識。


私はここから見ている、という意識。


近代という意識。



2012年 5月 1日  晴。乾いた空気の風、強し


退職したというのに、テンヤワンヤの毎日が続いている。引っ越しが落ち着かない感じ。再び更新が滞って、あっ!もう5月ではないかと、書いている。退職したらすぐしようと思っていた、庭に模型の鉄道線路を敷く工事や、思う存分カヌーを漕ぐや、自転車で岩沼の旧跡巡りをするなどは、ひとつも手を付けてすら、いない。もう退職したから時間はあるぜなんて、すぐに言ってしまうのが、どうもいけないのだ。いやはや、こっちの時間の流れに慣れるのに、しばらくかかりそう。

昨日は午後から仙台文庫とメディアテーク主催「はじめての美術準備室」というトークショウがあって、スピーカーとして呼ばれていた。なので午前中に、娘達の所にまとめて(その梱包に前夜遅くまでかかってしまった)退職記念齋正弘オリジナル手ぬぐいを郵便で送り、ついでに郵貯関係送金。帰りに銀行のATMから、その手ぬぐいの制作代振込。昼頃電車と地下鉄乗り継いで時間間際にメディアテークに。ついてほぼすぐ「美術は学べるか」という1時間半のお話。スピーチが終わってから、聞きに来てくれていた人達とお茶を飲んで7時から打ち上げ。でもご飯だけバクバク食って、8時過ぎには電車で帰宅。最中、中山商店の中山さんが死んだと言う信じられない話を聞く。いったい何それ???物凄くビックリするも、すぐ、僕も、こうありたいと強く思う。
その前日の29日は、朝からトコトンの先生達9名と、震災前に同じメンバーで行った「磯浜の現状を見る会」というノッツオ。現場では全員明るく活動していたいが、車の中では言葉少なく、今日になっても、これまではやったその日の午後に出ていた報告も、出てきていない。僕は、ちょっと気を抜いて、手首の所だけが真っ赤に日に焼けてしまったりした。

という具合に振り返って書き始めてみると、前に書いた4月15日からのスケジュール帳は、退職前より書き込みの密度が濃い。遠刈田に新しくできた(作品もだが、それよりも興味深く)ギャラリーを見に行って、その帰り、いつも行く七日が原の革細工の友人宅に寄って、昔作ってもらった革のiBookシェル用ショルダーバックを、普通使いに作り直してもらったり、丸森ふるさと館に行って猫神様の報告書(これについては項を新たに起こさなければと思う)をホウホウのていで手に入れたり、やっとこさで届いた(これも新たな機会に詳しく)新たな保険証を使って、二日続けて(もう手持ちの薬が切れそうだったのだ)明美さんのと僕のと病院のハシゴをしたり、その合間をぬって、最初に述べたオリジナル手ぬぐいの最終チェックや受け取り(仙台手ぬぐいは今や愛子に工場がある)や支払いやその他その他をしたり、なぜか今年度は仙台で行われた日本子供環境学会に呼び出されてワークショップやスピーチをしたりしていた。ううむ、改めていやはやだなあ。もう退職したから時間はあるぜって、絶対に言わないようにしないといけないようだ。僕は基本的にお人好しなのだ、でもそれは誇らしいことでもある。