2009年10月18日  一日快晴。

一日気持ちよく晴れた秋の日。今日も休みなので、9時前まで寝てゆっくり朝飯を食う。キッチンに入ってまずコーヒー豆を挽く。今日で豆はおしまいだった。丁寧に少し細かく挽いてコーヒーメーカーを動かす。その間にE美子さんに作ってもらって冷凍保存してあるバケットを一切れ電子レンジで解凍する。バケットもこれが最後。小岩井牛乳と青森りんごジュースを出す。朝の水をコップで一杯飲みながら今日の新聞をざっとめくる。レンジがチンと言ってパンが湯気を上げる。輪切りにして木の皿に並べ、いつものオリーブオイルと蜂蜜をかけ、今日は残っていたヨーグルトをかけて食べる。窓から日がさしてきて気持ちいいなあと思いながらゆっくり噛む。


今日は意識的に何もしない日にすることにして、昼過ぎ(朝食をとって着替えをし、かた付けものをしていたら午前は終わってしまった)、カングーで、明美さんも乗せて、弟に手紙(彼は家を出てもうしばらくたつのだが、未だに住所変更をしていないアドレスが少しある)を届けに出かける。車で3分。門は開いていたのだが、呼び鈴を押しても誰も出てこなかった。小学生の男の子が二人いて、こんなに天気のいい日曜日に家にいる方が嫌だ。手紙は郵便受けに入れ、そのまま金蛇神社に移動。入り口の駐車場あたりはさすがにこの天気で少し混んでいたが、無視して通り過ぎ奥の七ツ堤に登る。いつもカヌーの練習をする堤の一つ上の日当りのいい広場にカングーを止め、うしろの扉を開いて腰を下ろし、携帯コンロでお湯を沸かし、お茶を入れて明美さんと飲む。いやはや何とも気持ちいいんでないの。乾いた空気でお日さまぽかぽかで紅葉今少しの木々。僕は少し写真を撮りながら、その辺の山道を散策。帰りに、いつもの台湾料理屋で焼きそば。思えばこの料理屋も7月の入院以来しばらくご無沙汰だった。ううむ、今年は何とも大変な夏だったのだなあ。



車のラジオで中島みゆきが命のバトンという歌を歌っていた。この大変な夏の後の、天気のいい休みの日に聞いたので心にしみた。少し前のラジオ番組で超長寿社会の話を誰か女の人がしていた。もうすぐ寿命は90歳になるのだという。45歳が折り返し。人はほとんど2回人生を送るつもりにならないといけないというようなことだった。


でもなあ、僕の経験では、30年シミジミやってきて、今年の夏やっと少し変わってきたかなって感じが始まったんだぜ。そう考えて今の自分の気持ちを振り返ると、人間の寿命って実にうまくできているのではないかなあ。人間の脳のオペレーションソフトが新しくなるには結構な時間と微妙で丁寧なやり方が必要で、新しくOSディスクを入れ替えてチャッチャとお仕舞い、というわけにはいかないようだと思う。これ以上人間は生物の基本に手を入れてはいけないのではないか。まだ、意識や認識がそこまでできていないのに。


僕の母親がああして僕を育て、そこにおばあちゃんがいてそれを修正補佐し、おじいちゃんはもう死んでいたけど、父親はああしてこうなり、自分の人生について考えさせ、母親は見事に死んで、親に付いて考えさせ、その結果今の僕は、明美さんのことも含めて、こういう風に子供を育てる人生を組み立て、僕の遺伝子継承者の彼らはそういう人になり、その子供(孫)は初めから僕がしたかったことを普通にする子供になっていく。


大体60歳あたりで人間終了っていうのは、広く見てみれば何か深い意味がありそうに思えてくる。30年続けてきたことだって、すっかりそのまま確実に伝わるのではなく、大体なんとなくの所が伝わるからこそ、その後の発展拡大の余地が感じられるのではないか。いつ死んでしまったって、人間は結構ちゃんと広く深く伝えなければいけないことを伝え、知らなければいけないことを知ることができるのではないか/してきたのではないか。楽天的かもしれないが、僕は結構もう充分残すべきことはしてきているような気がする。こういう風にやってきたのだから、残ることは残り、残らないことはやはりちょっと早すぎたわけで、残らない。


晴れた秋の空は、こんなふうにおじいさんの僕に、なんだか納得の気分を運んでくる。気持ちいい。