自分に自信を持っている子供。

そのためにこそ
全ての子供のための教育が
始まる/ある。



2014年12月21日 
乾いた空気。高曇りから快晴。夕日美しい。

ついさっきまで全国高校駅伝をテレビで見ていた。午前10時から女子、お昼から男子。見終わったのでブログを書いている。いつもだとこの後、テレビを見続けて一日が終わる。何とかしないといけない。

今年は12月14日で展示が終了し、宮城県美術館は1月30日までの休館に入る。皆に長く休めていいですねと言われる。
僕は退職者で、そもそも週3日しか働いていないから、実生活にはあんまり影響はない。でも美術館はこの時期に連日修理修繕をする。普通美術館のような大切な宝物(文化財)を長い間保存しておくような公共の施設は、30年程で機材の改修をしないといけない。作ったその時点で最新最高なものは30年もすると最低最悪なものになってしまうからだ。宮城県美術館も同じなのだが、ちょうどその頃に大震災が起こった。日本では、文化財にお金をかけるという考えは物凄く不思議な事と思われる。とは言え、何とかしないと雨漏りや、空調不備が起こってしまう。なので、本当は3年休むか、新宮城県現代美術館を違う場所に新たに作り、今のは完全に近代美術館として出直したいのだが、そういうことは考える事さえできない。しょうがない、まずさしあたって、1ヶ月でなおせる所だけ/からまずなおす。全電気が止まるので、寒いから1月の某日は出てこないようにという知らせが来ている。という日本の状況。
教育普及部はこの時期、開館以来の備品の確定/整備/整理をするという事で、出てくるように言われた。でも、僕はほとんど出て行かないつもり。今いる人達が使い易いように備品を変更/整備すれば良いので、僕がそこに何か言っているうちはいつまでたっても僕の(作った―残したでなく)創作室のままだ。昔の人が様々言っても、今そこにいる人がわかる所だけわかるように残って行く。僕もそうしてきたわけで、そこにいる人がわかる所/事だけ、わかったように変わって行く。そういうのが変化というのではないか。昔の人の事はあまり気にする事なんかない。残るもの(だけ)は残る。

今朝の新聞の一面に「中国に親近感がない国民が83%」と出ていた。韓国は66%。でも僕はそれより、最近の「僕の」日本への親近感が、そうだなあ、30%以下になっているように思えてしょうがない。
僕にとって世界がこんなに身近かになったこの国にいるのに、「(僕が同じに小中学校で受けてきた)世界をみるための初歩的な教育」がこんなに変わってしまった今の日本では、今の状況は当然見えていた事だったのだろうか。だとしても、その状況に本当にに暮らしている僕はこのあと如何に暮らすべきか、よくわからなくなってきている。本当に良くわからなくなってきている。が、毎日はそういう事と関係なく過ぎて行って、(次のジェネレーションとしての)孫もどんどん増えてしまっている。
わかった事だけわかったように(だけ)変わって行く。いつになったら、僕たちの国の選挙から経済的な発展の意識/意欲がなくなるのだろう。いつになったら僕たちの意識の中に「金の貯め方」でなく「(人間としての)金の使い方」の意識が生まれてくるのだろう。いつになったら「自然の使い方」でなく「自然に使われる方法」の意識が出てくるのだろう。もう出てきているのに、それに気付くための文章の読み方が、(誰かによって)隠されているように思えてしかたがないー人のせいにする意味でなく。何か覚悟が必要だ。