僕たちは、
こんなに広く世界をみる事ができるようになったのに。
そこからここをみなければ
意味がない。
2014年12月24日
青い空に白い雲。
雲の縁が白く輝く。
冬に入ってしばらくなりを潜めていて、もう終わった(又は歳とって死んでしまった)と思っていた猫の糞が、ここしばらくの陽気に誘われたのか庭に2カ所出現したので、ダイシンに薬を買いに出た。様々な買い物をして帰ろうと車に乗った。空の雲が大変にくっきりと美しい。そういえば常磐自動車道が相馬の向こうのだいぶヤバい所まで開通したのを思い出した。
で、亘理から乗って行ってみた。思えば海岸沿いに福島に入るのは震災以来2回目だ。岩沼でも東道路を超えて海岸の方に行くのが、僕は未だに怖い。震災以降6号線に沿って福島に入るのも未だに怖くて、県境を超えるのはしばらくぶりだ。
宮城県の山元を出ると常磐道は山に入る。山を切って作った高速道路から、海が直接見える。見え隠れする。山の中にある広場には必ず黒い袋が転々と置いてある。放射能の線量表示が所々にしてある。0.2から1.3。岩沼は0.03。一桁違う。浪江以南はモーターサイクルで行ってはいけないとの表示。ううむ、選挙なんかしている場合か?
一生懸命90キロで走る。車はあまり走っていない。走っているのは何かの仕事の車だけのようで、大小のトラックも多い。みんな各々のインターチェンジで降りて行く。僕だけが、走るためだけに走っている。遅く走っているつもりはないのに、誰もいなくなったと思うと、突然追いつかれて渋滞の先頭になり、追い越し車線が出るとまとめて抜かれて、再び前後に車の影も見えない1台だけ走行をくり返しながら、終点の浪江まで走る。浪江で降りて、6号線に出る3桁国道に曲がる。
何ということだ。道に面した普通の家の入口にクサリが張ってある。全部の家の入口が通行止めになっている。この辺りは住んではいけないのだ。三桁の国道を経て6号線に出る。ずうっと閉鎖された家、町、店。あの震災で崩れたままの家だけの街。もうあれから4年だから、全部錆びて、草茫茫で、プラスティックの色が褪めている。動物に注意の警告が次々に出てくる。工事している所も含め、誰も居ない。居たのかもしれないが見えない。ううむ、選挙なんかしている場合か?最初、泣くかと思ったが、怖くて泣くどころではなくドキドキイライラしながら仙台方向に戻る交差点まで行く。6号線も住んではいけないままの街が延々と続く。原町辺りまで来ると、ある地点から道に面した入口の鎖が突然なくなる。ううむ、選挙なんかしている場合じゃないだろう!。小心者の僕はこの辺りでやっと息をして物を考えられるようになった。一体この国は何という国になってしまっていたのだろう。中学生がジャージを着て変なヘルメットをかぶって自転車で歩道を走っている。だから、そんな事をしている場合じゃないだろう!、ではどうしろと、、。ううむ。
入口の鎖はなくなっても街には誰も住んでいない。国道沿いの大きなチェーン店だけは動いている。駐車場に沢山車が止まっている。でも、人は居ない。人がいたと思うと工事現場だ。工事現場の事務所の前に数人のおじさんが集まって話し合いをしている。人気のある所は何かの工事の現場。でも回りの景色は昔のあの原町のまま。凄く何か違う。だからそんなコトしてる場合じゃないだろう!という違い、違和感。相馬の辺りにつくとだいぶ、僕が今生活している地域に近い空気になる。この前は宮城県側から相馬まで来た。違っていた。原発側から相馬に来ると、普通にある事のおかしさ/異常さが際立つ。すぐにわかる。
初めて、津波に流された宮城県の磯浜に行った時に感じた、そこにあった物がすっかりなくなっている事の異常さと違って、そこに今も普通にあるのに、異常な状況になっている事の恐ろしさ。丁寧に注意深く善く視れば、体験した事のない事は未だにまだまだある。状況報告。