2009年 8月15日  お盆。高曇りでなんと鰯雲だ。


今朝、朝飯の用意をしていたら、シンクの脇に小さく黒いゴミが着いていた。流そうとしたら、それはツイと飛び立った。ものすごく小さい虫だったのだ。黒ごまの一粒の六分の一にも満たない大きさの、しかし飛べる生き物。「ええっ!どっかで虫わいてんじゃん」という思いとは別に、この大きさで飛べるんだ、凄いなあと、感嘆した。ちょっと拍手したい気持ち。ああいう虫たちは何の仕事をしてるんだろうということを考えながら、今日の朝の通勤時間は過ぎた。多分、宇宙全体の流れから見たら、僕たちなんかより、ああいうものたちの方が地球全体としてはずっと大切な部分を担っているのではなかろうか。僕も、ちゃんと生きなきゃ、でも飛べないしなあ、というのが今朝の一応のまとめ。

本当は、これまでの経験から、僕は、お話の中に映像を入れるのにあまり積極的ではない。ヴィジュアル化は、世界の縮小/矮小化を促すと信じている。その言葉から、そのイメージだけが呼び起こされるのはつまらないと思う。ビジュアル化は世界をすぐに確定する。ある言葉から各自が各々のイメージを組み立て各自の世界を拡げていくと、多様で独自の世界が現れてくる。そっちの方が美術には、いや人間の社会には大切なのではなかろうかと思う。だから、このブログに使う写真は出来事の確認報告以外、できるだけ曖昧なものにしようと思っている。そうして見ると、ヴィジュアル化に反対な僕のiPhotにはやたら曖昧な写真が沢山入っていた。でも、それだとしてもブログのヴィジュアル化は楽しみだ。

この世に対して彼岸という世界があって、お盆の時だけ、そこから既に逝ってしまった人達が数日帰ってくる。そういうのが何気なく普通にあることが好きで、僕は岩沼に帰って来たのだった。でも、今年は、7月がバタバタ過ぎたおかげで、盆の入りまで充分な余裕のないままお盆は始まってしまった。今年は、仏教的には、母の7周忌なのだという連絡がお寺から来ていたのも、13日に仏壇の整理をしていて手紙を発見したりしている。なんということだ。もうこうなったら、形式ではなく、何となくそういう人たちがうろうろとその辺に漂うことを、心から楽しみたいと思う。