2009年 8月18日  厚い曇。雲の造形が光って美しい。

てんかんの発作以来、再び痙攣予防の薬を飲み始めたので、なんだか体がフワフワしている。でも、このぐらいがちょうど良いのかもしれない。ユックリ進めということなのだろう。

朝から小学校の先生たちの会合に出席して、彼らの話に耳を傾ける。授業の組み立ての点検。少し離れて(物理的ではなく心情的に)聞いていると、人間は自分の経験(頭の中だけのことも含めて)以上のことはイメージできないことに気付く。だから、やはり、自分と同じような経験をして欲しいということではなく、経験を積むと人生が楽しくなるから、あなた個人の経験をたくさん積もうという意欲を培うことこそが、教育の目標であって欲しいと強く思う。

みんな熱心に討論しているのに、大変不謹慎だとは思ったが、みんなすごく熱心なまま、様々な検討に急いで入り過ぎているのではないか。これをどうするかより、私はどうするかの方が美術では大切だ。それを通して伝えたいことやモノを巡って、自分がどれほど広く深く様々なイメージを持てるかを最初に思うと良いのに。それを使って自分がまず遊んでみると良いのに。そもそもそれを遊ぶための自分の生活のスタイルのような物が、あまりに希薄なのではないかなあ。むしろそれさえあれば、たとえなかったとしても、そういうことへの点検があれば、子供たちとの生活は、なんでもないことの繰り返しでも、すごく教育的になるのではないか。そういうことをするのが、出来るのが、大人というものではなかったか。いやはや言うことがすっかりおじいさんだ。なんか、今日一日しみじみみんなの話を見て(聞いてではなく)いて、そういうことを考えていた。

なんとか、みんなでもっと無目的に遊び回らねばいけないなあ、と強く思った。あ、のっつおしろってことか。なんだか頭痛くなるなあ。