2009年 3月30日 空気は乾いて冷たいが、春の風。一日庭を春にする活動でくれる。


僕のいる美術館では、教育担当専門の部署が有るので、普通の(教育普及部所属ではない)学芸員は普段教育的な活動にはあまり(というよりほとんど)携わらない。純粋に美術作品の収集保存展示のための研究と実践のみをするのが仕事だ。もちろん、その収集保存展示のおのおのの場所に、強く教育的な配慮は働くわけだが。そんな中、これまで唯一「美術館講座」と呼ばれる講演会のような美術館教育活動を、彼らは運営実施していた。その活動が、今年度から、教育普及部に移った。



この講座は、普段、学芸的な仕事を続けている中で、展示に回せない様々な研究の蓄積を中心に、美術を巡るお話としてみんなに聞いてもらうという性格のものなのだろうと僕は感じていた。始まった頃は面白いこともあったけれど、すぐに中だるみになってきて最近は、あまり興味を引くものもなくなってきていた。
そんな中で、この活動が普及部の担当になったので、まず、この活動をしたい人、自主的に手を挙げて何したいか申し出て、それをみんなで検討してやるかどうか考えようということにしてしばらく放っておいた。誰もすぐには申し出て来なかったので、そのままにしておき、いくつか個別に出てきた申し出については個人的に相談に乗り、もう少し考えようということにして、しばらく様子を見ていた。こういうのが、普及部風な話の展開の仕方だ。そうしたら、普段クールな彼らが、身分の上下を問わずやたら動揺して(という風に、僕には見えた)、この活動を今年はしないのか聞いてきて、今年度もぜひやらなければいけないと熱心に言ってきた。僕は初めて、この活動が、彼らにとっては来館者と直に向き合って話ができる数少ない機会だったのだ、ということに気付かされた。そのことに、彼らが、あまり気付いていなかったということも。
そこで、ま、他にもいろいろあったのだけれど、今年度、開館以来の学芸員の一人が定年になることも有り、近代美術館としては、ものすごい基本である、収集作品の決まり方と美術館のあり方の深い関係を巡って、学芸員の個人的なお話なら話せるのではないかと思い、そういう講座をくんでみた。共通テーマ「収集作品から見る近代美術館」。
でも、学芸員の話は「収集作品について」だった。作品についてではなく、作品を巡ってになって欲しかったのだが。学芸員の話は、常に個人の話になってしまう。個人でも良いから、それを「巡って」欲しかったのだが、っていうあたりがうまく伝わらない。
教育に携わっていると、実は自分のことがよく見えていないと、他人の話もよく聞けない、ということがわかる。話を聞いて話をするという行為は、結構な特殊技術なのだ。各自は各自の常識(世界)を持っていて、常識は全く一つではない、ということを自覚しつつ話を聞き話を拡げる。他人に心を開くには、自分を相当放り投げる力というか開き直りがいる。
21日土曜日に、この講座の最後として、自分の話をしたが、どうだったかなあ。意識的に関係性の話をしたつもりなのだが、美術の話になっていただろうか。