自覚する事だけが、
僕がここにいると言う
証明だ。
何と細やかな。
2025年 7月 8日
午前中からひどく暑い。高曇。
朝から、床屋に行く気満々。髪と髭は、気ままに充分伸びている。前にも書いたが、生まれて以来行っていた床屋が、代替わりしてしまって、自転車で行くにはちょっと遠いところに移ってしまった。その床屋に朝から出かけた。自動車で。
とは言え、僕の自動車はシトロエン2CVという1937年完成の設計を、二次大戦を挟んで1947年再開、僕のは1987年に製作したものだから、冷房装置とか、そういうものは影も形もない。自動車の基本思考そのものだけの自動車。そもそも今でいう、冷房用エアコンそのものがなかったのか。何はともあれ、暑い時は窓を開ける。最近は空気自体も暑いが、でも、風が入る、というやり方。意気揚々と出かけたが、こん週は月始めなわけで、今日は第一火曜日の休みだった。今、街を一回りして家に戻り、しばらく開いていなかった、ブログを書いている。部屋は冷房が効いているが、汗だく。
今気になって調べたが、ここしばらく、僕は、ブログを書いていない。こんなに書いていなかったんだ。歳を取ると、時間の流れが自分だけの基準になる。いやはや。自分だけの基準って、日本語になっているか?いやはや。
7月の第1土曜日まで、ほぼ毎土曜、児童館の人たちとの活動に呼ばれて、坪沼八幡宮あたりに夕方から夜に出掛てホタルを見たり、電車で東仙台まで出て、歩いて新田の児童館に行き、2歳以下の人たちと砂遊びをしたりした。これは、なんか変な格好の帽子を被った半ズボンのお爺さんが、突如折りたたみの移植ゴテををベルトのポーチから取り出して、普段使われていない砂場で大きな砂山を作ったり、それにトンネルを掘ったりするだけなのだが。立派な2歳児は、すぐには寄ってこず、しばらく遠くで眺めていて、大丈夫そうで、あんまり自分のことを気にしていないようだと分かってからそっと、一緒に遊び始める。小さい人間は普通、自分で遊ぶ人たちなので、彼らが自分で遊ぶ方が大切だと、僕は思っている。何もしないでじっとそこにいるだけの年寄り。助けてくれるではなく助けてあげるための年寄り。
さて、明日は、本当に床屋に行けるだろうか。