神様と王様がいなくなった後が
モダン=近代。

人間は自分ですべてを、
決める/決められる。



2013年11月23日
快晴。雲一つない、乾いた冷たい空気。

相変わらずの何やら心忙しい毎日。スケジュール表はそんなに予定が立て込んでいたわけではない。季節の変わり目だからかなあ、毎日何やかにや片付けなければいけない事が起こる。

普通使いの車を冬タイヤに交換し、ストーブ用のペレットをそろえ、着る物を交換して、身の回りのしまうものをしまい出すものを出す。この時期は、その合間に、大学での授業が規則的に挟まる。書いてみるとそんなに気にする程のことではないのだが、定期的な授業は、僕には結構ストレス。そしてそういう時に限って、オカミサンが覚醒しすぎたり、職場でキレちゃう人が出たり、難しい質問を持ってくる人が重なったり、「そあとの庭」に児童館が来たりする。ううむ、書いてみて思ったが、ちょっと脳のメモリーに余裕が無くなってきている感じだな。こんなに天気の良い日に、美術館の創作室の端っこで電脳に向っているのが、まずいけないのかな。

前にカブのならし運転をしていたとき、柴田町入間田あたりに山神社というのがあるのを知った。この前の、今日のように天気の良い日、散歩を始めるには少し時間が遅くなったかなと思いながら行ってみた。登り口にカブを止めて、ちゃんと整備された登り坂の参道をたどると、大変立派な太い杉の並木に守られた、立派な古い(でも誰もいない)神社があった。良い空気が流れていて、ここでテントを張って一泊っていうの良いなあ。本殿をぐるっと巡ってみたら、裏の崖っぷちに細道が切ってあって滝沢不動に続くとある。ちょっと行って/落ちてみた。里山の雑木林の中や山裾の古そうな小道をゆるゆるとたどる、ものすごく気持ちのいい道。果樹園の脇や、昔からある大きいお寺の裏を過ぎる。山の中腹にある段々畑を登って、道が一層細く荒れて来る。そこに新しい石塔がたっていた。滝沢不動参道。カッコいい。そこから山の中腹をたどる道は、突然木々が迫り薄暗くなる。で、パッと明るくなると小さい滝の前で、そこがお不動さんだった。回りは崖で囲まれ、滝で始まる小川がそこに谷を作っている。カッコいい。深い落ち葉。小さい社のそばにあるペンキのはげかけた看板を読むと、この不動は個人の持ち物だということがわかった。個人が見つけみんなのために公開している。カッコいい。しばらく社に腰を下ろして、耳を澄ますと聞こえる水の音を楽しみ、もと来た道をたどり山神社に戻る。最初見たときも立派な神社だなと思ったけれど、滝沢不動に行ってから見ると、このあたりの神様の有り様の深さが一段と感じられて、しみじみした。

前に書いたかと思うが、この山の西側に、磨崖仏富沢大仏がある。そうか、このあたり一帯がなんだか様々な神様に守られているところだったのだなあ。又は、守られないと大変だった所だったのだなあ。帰り、もう日が沈み始めていたが、このあたりの一番谷奥にある(と聞いていた)深山神社によって帰宅。このあたりはまだまだ探検が必要だ、こういう毎日が続くと良いのだがなあ。