2011年11月12日  朝真綿のような雲、少しの青空。空気はまだ暖かい。


歩き続けないと前に進まない。
前に進みながら、
出来るだけよそ見をすること。
美術の極意。


一昨日昨日と、心筋梗塞の定期検査入院で仙台厚生病院へ。1年ぶり。手首からのカテーテル挿入時再び気を失いそうになって途中で気付け薬投入。この歳になっても、相変わらず弱虫なのが自覚できて嬉しい。結果はほぼ完治。もう定期検査は今回で終了ということになった。
とは言えこれからも気を抜かずに、いつ死んでも良いように、しかししぶとく生き続けることにしよう。

フェルメール展は、期待?した程には混んでいない。人は入っているが、回転が良いのだ。見るなら今のうち。終わりにむけてどんどん混んでくるのかな。今日は震災地中学生招待事業の第1回目気仙沼の子供達がバスでやって来た。美術館から迎えに行き、途中説明をして来ることになった。美術館にいられる時間があまりないのだ。本当は僕が迎えに行きたかったが、大S君が無理をしないでと変わってくれた。あと2回毎週土曜日行われて、それは僕が行きたい。
こういう美術館の活動を巡って、展示の合間を縫って様々事業や会議や打ち合わせが行われ、いまさらながら、そういう行政上の仕事に対応する僕の状況判断や態度が何回も揺れ動いて、僕の行政面に関する無能さ/非常識さが浮き彫りになった。基礎になる物の見方や決定の優先重要度順位が、行政関係の人とだいぶ違う。

どうも僕は、この30年をかけて、社会や教育で失われて来たものだけを蓄積して来たのではないか。行政の人達とは、大切なものや、伝えるべきものや、見えるもの、見るべきものや、その伝え方などがここに来て全く違っていることが、何かにつけて表面化して来る。行政的な思考は多分この社会を運営して行くには大切なのだろうが、もうそれは失敗だったのがわかっているのではなかったか。
そういうもの凄く基本的な所が違うので、その表面に出てくる活動が違って来る。そこが僕のオリジナルな所だと言われている/きただけなのではないか。20世紀中は、まだ、そこに気付く人達が、美術や美術館に関わる人達には少しいて、そういう人達に支えられてここまでやって来られたけれど、ここに来てそういう人達が途絶えて来たのではないのかなあ。だから、本当は僕がそういう人達の立場に居なければいけないのに、何だろう、上手く切り替えられなかったのかなあ。根が美術家だったのかなあ。やや、ストレスフルな反省。今更、様々遅いけれど。早く退職したい。