2011年1月9日  小雪降ったりやんだり、一日。乾いた冷たい空気。


いよいよ卯年が始まった。今年の7月で60歳だ。感慨深い。

4日まで休んで武蔵野美術大学から頼まれている原稿を少し書き始め、5、6日美術館で一日会議(研修)。6日夜、鍼灸に寄り遅く帰る。そして翌7日から11日まで再び休み。美術館はメインテナンス休館だ。7日は家事の紅子さんやパンの渡辺さん等みんな集まって、昼に七草粥。8日は、昨年暮れに行けなかった様々な店をやっと回って、頼んでいた物を受け取ったり、個人的な初買い物。そうして夕方、家に帰って来たら電話が来た。
功弥オンチャン(栄子さんの弟)が死んだという知らせだった。病気気味だという事は知っていたが、突然だったのでやや動揺。その日は何も出来ずに、今日朝自転車で彼の家に行った。彼の家は、岩沼の僕の家とは反対側の町外れにあって、子供の頃の記憶しかなかった。母方の親戚とはあんまり行き来していなくて、最近まではまったく没交渉だったのだけれど、ここの所、栄子さんや胞夫さんの事があったので、急に繋がりが増えていた。弟が教えてくれた、うろ覚えの住所と、あそこの郵便局の裏辺りの、細い道の行き止まり、というような記憶だけで、とにかく行ってみた。確かこの辺りの細い道の行き詰まりという記憶の辺りは、今や新たな住宅地と化していて、どこがどこやら、やっぱり全然見当がつかなかった。何しろ、普通順番についている住所の数字がとびとびなのだ、42番地の隣りが36番地で、彼の家は32番なのだが、その裏に回るともう違う丁目になっていたりした。町内会長の札の出ていたやたら新しい住宅の人に聞いて(名前を言ったらすぐわかった。彼は数少ない昔から住んでいる人だったのだろう)教えてもらい、だいぶ時間をかけてたどり着く。まだお正月だから、遺体はそのまま布団に寝ていて、顔を見せてもらってお線香を上げ、人が死んですぐのこの時期、やたら忙しい事は経験ずみだからすぐに帰る。死因は脳梗塞に因る心臓停止だった。栄子さん系は脳の血管が遺伝的に弱い事が再び三たび確認された。静かに納得。

時間がある間、原稿を書く。何しろ今年度中に書けばいいのだと思っていたら、1月12日が〆切りだったのだ。お願いし、状況を話して20日まで伸ばしてもらったけれど、こういうのは早くやって早く終わるにこしたことはない。今日のような突発事件も起こるし。目次は出来ているので、後は考えを言葉にするだけなのだが。とは言え、アメリカンフットボールはプレーオフが始まるし、なんと今日からお相撲だ。ま、少しづつやっつけるほかないな。